第七十四話【互いに】
時間は流れ、そして私達は約束の日を迎えた。
ヨロクでの最初の会合から十日。
カンビレッジの役場には、私宛の手紙が一通届いていた。
差出人の名は、ジャンセン=グリーンパーク。
「――ようやくですね」
「ユーゴ、あまり無礼の無いようにお願いします」
「ジャンセンさんやマリアノさんはいくらか心を許してくださっているようですが、しかし他の方々がどうかは分かりません」
「悪印象を持たれてしまったら、これからの活動に支障をきたしかねませんから」
「……なんか、転校でもするみたいだな」
転向……? まあ、転向と言えば転向だろう。
これまでユーゴは、私を初めとして、ごく少数の人間としか関わってこなかった。
盗賊団の規模がどの程度かはまだはっきりしていないが、しかしこれまでよりもずっと多くの人と行動を共にする機会が増えるだろう。
そういう意味では、彼にとっては転向……もしくは転機かもしれない。
「ま、やることは変わんないだろ」
「俺が魔獣を倒して、他のやつが後始末をする。フィリアよりしっかりしたやつが手伝ってくれるなら、もっともっと強いのと戦える」
「なら……まあ、あのゲロ男と手を組んでやってもいい」
もっと強い魔獣と戦える。ユーゴはそればかりを繰り返して目を輝かせた。
本当に……本当に彼は戦うことが好きなのだろうか。
その力を振るうことが、魔獣を倒すことが好ましいのだろうか。
何度聞いても本人はそう答えるが……この優しい心根の少年が、本心から争いを好んでいるとはなかなか……
「んで、どこ行けばいいんだ? 何するんだ?」
「そういうのはまだ決まってなくて、カスタードみたいにこっち来いとだけ書いてあったのか?」
「はい。場所と時間、それから人数の指定があるだけで、何をするかの記載はありませんでした」
「こちらもまだ疑われる……警戒される立場ですからね。大勢の目に触れかねないものに、これからの行動予定を記したくないのでしょう」
ここカンビレッジ南部の砦跡――地図の上ではカンビレッジ内でありながら、今は盗賊団によって占拠されている砦へ、私とユーゴだけで向かうように、と。
深入りさせず、そして他の戦力を連れてこさせず。
その文面を見るだけで、こちらがまだ完全に信頼されているわけではないのだと理解出来る。
もっとも、先日のジャンセンさんの言葉を借りれば、それでこそ、というものだ。
「いきなり全幅の信頼を寄せられれば、それはそれで……疑わしいと言うか、奇妙だと考えてしまいそうですからね」
「このくらい緊張感のある関係から始める方が……? ユーゴ? どうかしたのですか?」
「……いや……うん……」
私の言葉に、ユーゴは頭を抱えてしまった。
そして、緊張感は持った方がいい。と、小さく呟いて何度も頷いている。私の方を見ながら。
「……どっちにしても、心配は必要無いと思う」
「マリアノより強いやつなんてそういないだろうし、アイツが一応は味方してくれるって言うなら……」
「そうですね。あの方の力は、およそ並大抵の鍛錬で身に着くものではないでしょう」
「単に努力を積み重ねただけでは、あんなにも強くはなれないでしょうから」
「きっと……良い意味ではなく、環境が彼女を育てたのでしょうね」
そうならざるを得なかった、から。
努力は当然の前提として、ある種の才能――危険を自ら退けようという思考、精神力、強迫観念。
幼いころから……と、そう言った彼女の言葉を鵜呑みにするなら、およそあってはならない地獄のような生活を潜り抜けてきた筈だ。
平和に慣れた甘い考えかもしれないが、そんな経験を他の誰もが積み上げているなどとは到底思えない。思いたくない。
「んで……時間はまだちょっとあるのか。でも、外に魔獣倒しに行く暇は無いよな。微妙な時間を指定しやがって」
「あちらの準備もあるでしょうから、あまり早過ぎてもいけませんしね」
「仕方ありません。街を歩いて、また皆の話を聞いて回りましょう」
「それに、そういう建前が無ければ、私達だけで出向くことも出来ないでしょうし」
やっぱり内緒で行くんだな。と、ユーゴは呆れた顔で……そう、呆れた顔だったが、笑った。
彼はやはり、いたずら好きなのだろう。
誰にも内緒で……と、そう言って雨の中を走り回った日を良く覚えている。
嬉しそうに魔獣の尾行をしてみたり、かと思えばその魔獣が自分の子を食ってしまったことに腹を立てたり。
素直な感情を表に出してくれた、貴重な機会だった。
「ユーゴはやはり、ジャンセンさんと仲良く出来そうなのですけどね」
「誰かを想い、その為に憤り、戦う。護る為に戦うという理念は同じなのですから……」
「だから、俺のはそうじゃないってば」
「俺はこの凄い力を使いたいだけ。どれなら倒していいかフィリアに決めて貰ってるだけだ。この話、前にもした気がするぞ」
ユーゴは少しだけ不満げにそっぽを向いて、そしてそのままこちらを振り返ることなく部屋を出て行ってしまった。
けれど、ドアの向こうから、行くなら早く行くぞ。と、そう呼んでくれたから、怒っているわけではないのだとすぐに分かった。
やはり少しだけ浮かれた様子のユーゴと共に街を歩き回っていると、約束の時間はすぐに迫って来た。
ここからは緊張感を持って……と、私達は揃って深呼吸をしてから砦を目指す。
もっとも、私がやろうと言ったらユーゴは少しだけ嫌な顔をしたけれど。
それでも付き合ってくれるのだから、彼の気分が良いのは間違いないだろう。
「……で、その砦ってのが……」
「……はい。あれですね」
そうして私達は憲兵に見つからぬように街を出て、そして目的地――カンビレッジの砦跡に到着した。
ここも無理矢理な増築がなされており、外観は他の国有の砦とは一線を画している。
何かあったら倒壊してしまいかねないようにも見えるのだが、これで本当に大丈夫なのだろうか。
「……ま、建物がどうだって今はいいだろ。問題は、この中にちゃんとアイツらがいるかどうかだ」
「……? ええと……呼び出されたのですから、当然……」
アホ。バカ。間抜け。と、ユーゴはまたしてもげんなりした顔になってしまった。
最近はずっとこんな顔ばかりを向けられてしまっている……。
「自分でも言ったくせに……はあ」
「警戒してるのが当然だって言うなら、罠があるかもくらいは考えとけよ」
「あのふたりは俺に気配を覚えられたって知ってるからな」
「全然違うとこにいて、中には武器持ったやつがたくさん待ってる……なんてのもあり得るだろ。あってもなんとでも出来るけど」
「そう……ですね、確かに。ユーゴの言う通りかもしれません」
だが……うーん。それをしたとて、向こうに利益があるとは思えない。
やはり、ユーゴの力は――国との協力は魅力的な筈だ。
力尽くでこちらに言うことを聞かせる……という目的ならば、私達を罠にかけても仕方が無い。
全く無い話とは思わないが、しかしジャンセンさんとマリアノさんの人となりを思うと……うーん。
「……では、ここからおふたりの気配は感じられますか?」
「以前は酒場にいたジャンセンさんの気配を感知していましたが……」
「無理。ドアが閉まってるから……なのか、それは関係無いのか」
「俺もなんで分かるのか分かんないから、なんとも言えないけど。少なくとも、この中がどうなってるかは……」
分からない……と。
やはり、これも私が付与した特別な力なのだろうけど。
もう少し細かく条件を絞って式を組めば良かったなんて後悔は今更か。
それに、アバウトな式だったからこそ、私の予定以上に強大な能力が与えられているのかもしれない。
ならば、後悔するよりも適応する――使いこなしてしまう方がいいだろうな。
「――ごめんください。フィリア=ネイ=アンスーリァと申します」
「ジャンセン=グリーンパーク殿からの招待状の通り、ユーゴと共にやって参りました」
こんこんとノックはしたが、しかし分厚い扉を相手には意味があったかどうか。
返事もしばらく無かったので、仕方なしにそのドアを押し開けて挨拶をする。
そんな私に、ユーゴはまた冷たい目を向けて……あ、挨拶は大切ですから。決して気を抜いているわけでは……
「あー、ごめんごめん。ちょっと準備手間取っててさ、出迎え行けなかった、申し訳ない」
「よく来たね、フィリアちゃん。それと、よくまだ俺のこと警戒したままでいたな、ユーゴ。この間でめっちゃ打ち解けたつもりだったのに」
「あれで打ち解けたと本気で思ったなら、お前もフィリアと大概変わんないな。間抜け過ぎる」
な、何故私をバカにしたのですか……?
ドアを開けて、挨拶をして、少しだけ中に入ってもしばらく返事は無かった。
しかし、もう一度声を掛けるよりも前にはジャンセンさんが走って迎えに来てくれた。
準備に手間取っていた……とのことだが、果たして何を……
「とりあえず奥入ってよ。罠とか無いから、安心して。って言うか、そんなの掛けるくらいならもっと早い段階でやってたし」
「だから、おら、ユーゴ。いい加減その顔やめろ。傷付くぞ」
もしや、外での会話が聞こえていたのだろうか……?
しかし、準備に手間取っていた、出迎えが無かったことを思えば、それは流石に勘繰り過ぎだろうか。
先日の酒場でのやり取りのように、ジャンセンさんはユーゴをからかいながら砦の中を案内してくれた。
そうして最終的に通されたのは、まだいくらか散らかってはいたが、大きな机とたくさんの椅子が準備された、見た通りの会議室だった。




