第七十話【共に歩く道】
翌朝、私はユーゴに起こされて目を覚ました。
いつまで寝てる気だ。いい加減起きろ。準備しなきゃいけないんだろ、と。
「……ふわぁ。おはようございます、ユーゴ」
「さっさと顔洗ってこい。めっちゃバカみたいだぞ」
ば……どうして朝も早くからそう口が悪いのですか。
言われるままに顔を洗って、ようやく意識がはっきりとし始める。
そうだ、今朝は急いで準備をしないと。
きっとまたマリアノさんが迎えに来てくれて、ダランの砦……いいや、彼らの拠点のひとつで、もう一度ジャンセンさんと対談をする。
手を貸すに値するかどうか、見定めて貰う。
その為に……
「ユーゴ。その……大丈夫ですか? 今朝の具合は……」
「大丈夫だ。別に、昨日だって何も無かったし」
昨日見せたユーゴの弱み……脆さ、幼さを、どれだけ克服出来そうかというのを彼らに示さなくてはならない。
もちろん、それは今のユーゴでは足りないという意味ではない。
幼い彼に全てがのしかかってしまっている現在の私達の不甲斐無さを、短期間でどれだけ覆せるかという話だ。
「ジャンセンさんは既に協力の意思を表明してくださいました」
「しかし同時に、現時点での私達の価値が、貴方にしか無いとも」
「悔しい話ですが、厳然たる事実です」
「ユーゴ。私達にとって、貴方という存在は本当に特別なものなのです。と、それを今また念頭に置いてですね……」
「……? なんだよ。似合わないぞ、そういうまじめなこと言うの」
そう茶々を入れないでください。
ユーゴは私に少しだけ不信感を向けつつ、それでも真っ直ぐに向かい合って話を聞く準備をしてくれた。
こういう素直な子供らしさは、やはり彼のいいところだと思う。
「……けれど、どうかそれを重荷と捉えないでいただきたいのです」
「特別であり、貴方でなければ出来ないことが多いことは、何も貴方が無理や無謀を繰り返さなければならない理由にはなりません」
「苦しければ、嫌ならば逃げてください。それだけは約束してください」
「……なんだよ、いきなり」
いきなりではない。
私はずっと……ずっと、彼に選択肢を与えてあげなかったのかもしれない。
心の内では彼を心配していたつもりだったし、そういう声も掛けたつもりだった。
けれど、先日抱いた疑念はやはり私の思い込みなどではないだろう。
彼は選択肢が無いから戦っていた。
戦いなどとは無縁に生きていたいと願っていた、かもしれない。
彼の口からは否定されたが、それが全てとは思わない方がいい。
「……昨日ちょっとヘマしたからって、そういうのやめろよな。フィリアなんか、俺がいなかったらとっくに……」
「はい。ユーゴがいなければ、私はおろか、この国の多くの人々はとうに命を落としているでしょう」
「その自覚を、もっともっと強く持って欲しいのです」
「責任感や重しとしてではかく、栄誉として」
「貴方のおかげで多くのものが救われた。それを自覚して、前向きに歩いてください」
ユーゴは私の言葉に首を傾げて、変な奴。と、それだけ言って部屋を出て行ってしまった。
さっさと着替えて支度しろ……かな。
「……そうなのですよ。貴方を呼んだのは途方も無く変な王なのです」
「変であるから……異質であるから、貴方の心の内が――震えが、恐れが分かってあげられない。言葉にしてください、ユーゴ」
まだそこにいる。ドアのすぐ向こうに彼の姿がある。
けれど、返事は無かった。
すぐに遠退いていく足音がして、一応は考えてくれていると信じて私も支度を進めることにした。
昨日よりも多少は華美な服装に着替え、荷物もしっかりと準備し、そして私達はまたマリアノさんとの合流場所へと向かった。
どこと決めたわけではなかったが、しかし昨日はそれでも落ち合えた。
同じ場所に向かえば、きっとまた彼女の姿があるだろう。
「……来たか。おい、クソガキ。今朝はちびってねえだろうな」
「ちびってねえよ、昨日も。ぶっ飛ばすぞ」
やれるもんならやってみろ。と、マリアノさんはいつもよりもどこか穏やかな口調でユーゴを挑発した。
思った通り、全く同じ時間、同じ場所で待っていてくれた。
口こそ悪いものの、彼女もかなり情に厚い、優しい人物だ。
少なくとも、たった今までユーゴのことを心配してくれていた分くらいは。
「言っとくが、オレはまだテメエらを認めてねえ」
「どうしようもねえ、救いようもねえようなバカ女王と、ただのヘタレガキ。そういう認識しかまだ持ってねえ」
「ジャンセンがなんと言おうと、オレはテメエらを頼りにはしねえ」
「はい、分かっているつもりです」
「私達の評価は、これから自分で築き上げていくしかない。きっとジャンセンさんの期待に応えられるように精進します」
はあ。と、マリアノさんは頭を抱えて、そういうとこなんだよなと小さくぼやいた。
ユーゴはそんなマリアノさんをやや警戒した顔で睨んでいて、いつもより少しだけ私に近付いて歩いていた。
「……ま、ガキの方はちとマシになったみてえだけどな」
「よく覚えとけ、クソガキ。テメエが死んだら終わりじゃねえ。そっちのバカが死んだら終わりなんだ」
「テメエがどれだけ強かろうが――オレがどれだけ強かろうが関係ねえ」
「――っ。分かってる、そんなこと。昨日は……っ。もう、あんな真似させない」
マリアノさんは少しだけ上機嫌に笑って、そして私達との距離を一歩だけ離して先を歩いた。
もしかして、ユーゴを刺激し過ぎないように気を遣ってくれているのだろうか。
昨日よりも早歩きなマリアノさんに連れられて、私達はまた彼らの砦へとやって来た。
ユーゴは常に周囲を警戒していて、その様子をマリアノさんはどこか嬉しそうに見ている。
この警戒心……戦いへの備え、戦士としての心構えが課題だったのだろうか。
いいや、ジャンセンさんの言葉からはそんな考えは……
「おはよう、フィリアちゃん。それに……? おーい、ユーゴ? 何やってんだ、お前?」
「――フィリア。あんま近付き過ぎるな。また何されるか分かんない、ゲロ掛けられる可能性だってあるぞ」
吐かねえよ、飲んでねえんだから。と、ジャンセンさんは少しむっとした顔でユーゴに反論したが……すぐに呆れた顔を私に向けてしまった。
こういうこと言ったつもりじゃなかったんだけど、と。
「ま、立ち直ってんならなんでもいいけどさ」
「おい、こら、ユーゴ。俺達はこれから仲間だ、味方同士だって」
「昨日のはフィリアちゃんの覚悟を試したかっただけ、本気で攻撃するつもりなんて一切無いよ」
「姉さんも、凶暴だけど勝手はしない。そうピリピリすんなって」
「うるさい。信用出来るか、お前みたいなやつ」
こ、こら。
これから協力してやっていこうという話を付けに来たのに、そうも敵対心を向けてしまっては意味が無いではありませんか。
私がそう言ってもユーゴは聞く耳など持ってはくれず、挑発してきたのはあっちが先だ。と、そればかりで……
「ままま、フィリアちゃんも落ち着いて」
「ユーゴの言い分はもっとも……ってか、むしろ安心だ」
「あんなことがあったんだ、警戒すんのは普通。むしろこれで上出来」
「女王様の身を護るナイトがぼさっとしてたんじゃね」
「は、はあ。すみません、せっかく協力関係を結ぼうというのに」
だから、そこはいいんだって。と、ジャンセンさんは言ってくれるが……しかし……
その……彼らを見下すつもりも、自分を誇大に思うつもりも無いが、やはり私と彼らでは価値観が違うのだな。
こういう場面での礼儀作法よりも、彼らは実利を優先する。
非礼、無礼な態度を咎めるよりも、その警戒心と危機意識に重きを置く。
言うなれば今日は式典のようなものだから、私のような人間は、それを煩わしいと思っていても重要なのだとも考えてしまって……
「んじゃ、早速だけど……俺達の待遇について聞かせて貰おうかな」
「フィリアちゃんが考えてる、俺達盗賊団を飼いならす為の策ってやつを」
「飼いならすだなんて、そんな……こほん」
「皆さんの待遇については、私の――女王の私設部隊という形に収めるつもりです」
「特別な階位は与えられませんが、国や宮に属するよりも自由に動けるでしょう」
「しかし同時に……」
まず、これまでの盗賊行為についての罪は消えないということ。
しかし、罰の代わりではないが、隊に加わり活動することを償いとすること。
一定期間の活動の後に、国営の兵団や役場で雇用しなおすこと。
少なくとも、彼らの生活を保障する部分の取り決め、その大枠を私は説明する。
「最終的には、皆が公務に携われるように……と、そう考えています」
「もちろん、国の回復を待つ必要はありますから、すぐにとはいきませんが」
「んー、なるほどね。それはまた、随分な好待遇だ」
「ま、気持ちは分かるよ。ここで俺達の手を取り損なったら、アンスーリァとしてはかなりの痛手……いんや、場合によっては致命傷になりかねないもんね」
「やり過ぎるくらいの条件で、意地でも味方に引き入れるのが最優先だ」
私達はこれからの――国と盗賊団という恰好ではなく、明確な目的を持つひとつの大きな集団としての指針を打ち立てる。
最優先は魔獣の問題の解決。
この北も、南も東も西も、どこもかしこもその問題でかかりっきりだ。
人々を守る、人々の生活を守る、人々の経済活動を守る。
焦点をそこに絞って、この時に第一手を決定する。
まず、南の最終防衛線を破棄する。
それはつまり、国の南を全て解放するという意味だ。




