第六十八話【アンスーリァ】
街を出発してからというものの、マリアノさんは終始イラついた様子だった。
もしや、また私は何かを間違えてしまっているのだろうか。例えば……そう、服装だとか。
「……おい、クソガキ。そのデカ女、どうしたんだ。なんでオレのこと見てやがる」
女王という身分を隠してこれまで行動していたから、それにふさわしい服飾品は持ち合わせていない。
しかし、マリアノさんは昨日までとは違う。
大剣も持っていないし、特別な装いに着替えているのだ。
「……マリアノさん。申し訳ありません、女王としてあまりにも不出来で、気が回らず、それに……」
「貴方達をどこか見下してしまっていた……軽んじてしまっていたのかもしれません」
「そんなつもりは毛頭無かったのですが……しかし、結果としては……」
「……ァア?」
式典用のドレスやティアラを宮から持ってくる……時間は無い。
けれど、せめてもう少し……と、自分の身体を見れば見るほどに思ってしまう。
動きやすさ最優先の衣服には華美さなど無く、それに宝石や装飾品の類は一切身に付けていない。
これから協定を結びに行こうというのに、王がこんなみすぼらしい姿でどうすると言うのか。
威厳や豊かさを見せびらかすという意味ではない。
女王という立場をきちんと理解し、その責務を負う覚悟を姿に表さなければ。
「少しだけ……少しだけ時間をいただけませんか。必ず、ふさわしい服装に――姿に着替えて参りますから」
「少なくともその呑気な頭の中身がふさわしくねえよ、何考えてんだテメエは。パーティじゃねえンだぞ」
あ、あれ……?
私の言葉に、マリアノさんは今までにないくらい目を丸くして頭を抱えてしまった。
ユーゴもそれに釣られるようにため息をついて、やっぱりお前は黙ってろと言い出す始末。そんな……
「服装がふさわしくないから……私に責任が足りていないから、マリアノさんは不機嫌だったのでは無いのですか……?」
「……ア? 別に、普段からこうだよ。ンだテメエ。オレが不貞腐れてるように見えンのか?」
いえ、どこからどう見ても機嫌が悪いではありませんか……と、しかしそんなことを言えばまた更に機嫌を損ねてしまいかねない。
私はユーゴに言われた通りに閉口して、彼女には首を横に振って否定の意思だけを伝える。
そんなつもりはありませんでした、と。
「……はあ。いいから黙って付いて来い。オレはテメエらなんかにこれっぽっちも期待なんてしちゃいねえよ。あのバカが勝手に……」
あのバカ……とは、ジャンセンさんのことだろうか。
それとも、盗賊団の首魁に当たる人物だろうか。
その真意を今になって問うことに意味は無い。
けれど……マリアノさんの口ぶりは、その人物を凄く信頼してのものに思えた。
自分は信じていない。
だが、その人が信じるに値すると言った。
だから、不服でもこうして連れて行こうとしている。
そんな背景が少しだけ透けて見えた。
「マリアノ。その……着く前に一個だけ聞いときたいことがある」
「フィリアとか国とかは関係無い、俺が気になっただけだ。その……お前について」
「……ァア?」
おや。珍しい、ユーゴが他人に興味を示して、更にその心の内を言葉にするなんて。
いつも他人になどこれっぽっちも関心なんて無くて、つまらなさそうに眺めているだけなのに。
仲良くなった相手にすら、自分から踏み込むなんて今まで一度も……
「お前、変な力は使ってないんだよな。なんか……変なの」
「そういうの無しで……ただ鍛えただけでそんだけ強いんだよな」
「……ンだそりゃあ。変な変な……って、要領得ねえ奴だな。テメエに叩き潰されたってのに、どこを強いと思うんだ」
どこも強いと思うだろ。と、ユーゴはどこか自嘲気味な……というよりも、喧嘩腰なマリアノさんの言葉に怯まずに真っ直ぐに返した。
純粋な興味だけで疑問を口にしているのだと、彼女も悟ったのだろう。
睨むこともため息をつくことも無く、一度立ち止まって彼の方を振り返ってその問いに答えてくれた。
「そうだ。オレはガキの頃から戦う為に鍛えられて育った。だから、強い」
「敵を殺す為に、全部ぶっ潰す為に、強くなる為に鍛えた。だから、強い」
強くなる為に鍛えたから、強い。
彼女の言葉はあまりにも真っ直ぐ――他の意味を含ませる余地の無い簡潔なもので、ユーゴはそれに少しだけ気圧されてしまっていた。
黙って彼女がまた前を振り返ってしまうのを見送ってしまうくらい。
「お前のは違うんだろうな。強いやつの顔してねえ。強いやつの腹を――心をしてねえ」
「だけど、テメエはどうしてか強い、オレよりも」
「さっきやけに気にしてた“変”ってのは、テメエのことを言ってんのか? だったら納得だ」
テメエは変だ。魔獣なんかよりもずっと。マリアノさんはそう言って、それから少しだけ歩みを速めた。
言葉に後悔して逃げている……なんてわけは無い。
言葉にしてみてなおのこと実感したのだろう。
気味が悪い。得体が知れない。
けれど、自分の中にある裏打ちされた力よりも強い。
鍛錬に時間を費やして育ったのならば、その存在には腹も立つだろう。
苛立ちが彼女の中の何かを急かすのだ。
それからはユーゴもマリアノさんもずっと無言で、そして街からはずっとずっと離れた林へと――
——あの魔獣のいない林とも繋がっている、街の北西部に広がる林へと到着した。
確かこのそばには……
「……ヨロク北方、最終防衛線よりも外。ダランの砦が目的地でしょうか」
「――元――な。元、ダランの砦だ。あそこはもう国営の砦じゃねえ。テメエらのもんじゃねえよ」
捨てといて、持ち主づらすんな。と、マリアノさんは少しだけ声を荒げた。
捨てた……か。
そうだ。最終防衛線という言い訳を作って、この国はそれより外の街をすべて捨ててしまった。
もうそこは国ではないと、守ってはやらないと。
そんな非情で非道な宣告をしたのだ。そこには何も言い返せない。けれど……
「……そうですね。でも、そこはダランの砦です。ずっとそう呼ばれていた、暮らしがあった町です。そこだけは……」
「……チッ」
その街が国をどう思っていようと、しかしそこは守るべき場所に変わりは無い。
少なくとも、私の代である今は。
それだけは宣言しておきたくて、また怒られるかもしれないと思いながらもつい言葉にしてしまった。
そんな私に、マリアノさんは何も文句は言わなかった。
呆れられたのでなければ、或いは……
「分かってんなら間抜けな顔やめろよ。こっから先はオレ達の領地だ。あんまりだらしねえと、誰に殺されるか分かんねえぞ」
「っ。は、はいっ」
ここから先はもうアンスーリァではない、か。
なるほど、道理だ。
ここはもう捨てられた町、その外れの林。
ならば、ここは完全に国外と思っていい。
女王という立場に価値も無く、国の庇護も無く、当然私達の権利など保障されよう筈も無い。
そういう場所に立ち入る――これからを繋ぐ為に、協定を結ぶ。
その一歩はとうに踏み出されていたのだ。
「――入れ」
そしてすぐに到着したのは、確かにかつては砦だった――国営の防衛拠点だった建物だった。
けれどそこは、もう工事に工事を繰り返され、かなり不格好に増築された見知らぬ場所だった。
少なくとも……我が国ではこんなやり方は認めていない。
とてもとても安全とは呼び難い姿をしていた。
「――さ、オレ達のボスのお出ましだ。それなりに礼儀は尽くせよ」
「でなきゃ、隠れてる全員がテメエらを殺しに飛び掛かるぜ」
「っ! 承知しております」
「この場において、私は王にあらず。ただの客――それも、あまりに立場の弱いもの。故に――」
ここに私を女王として認めて貰うこと。
それこそが、手を取り合うという協定の形だ。
ユーゴを一歩だけ下がらせて、私はマリアノさんの視線の先へと踏み出した。
その先には人影があって、そしてこちらをじっと見降ろしているのが分かる。
帽子を被り、仮面を被り、そして立派なマントを身に纏って――
「――よくぞ参った、フィリア=ネイ=アンスーリァ」
「…………? あの……ジャンセン……さん……?」
――何やら変装しているつもりらしいジャンセンさんが……なんだか高いところから私を見下ろして……いて……?
ええと……?
「あの……マリアノさん……? その……貴方達の……この団の首魁に引き合わせていただけると……」
「――なんで――っ! なんでなの――っ! フィリアちゃん! なんでなの――っっ!」
「なんで俺には気付いて、そこには気付かないの――っっっ!!」
え、あの、あれ……?
ぱぁん! と、乾いた音を響かせて、ジャンセンさんは帽子も仮面も床に叩き付けてしまった。
そして……マリアノさんは膝から崩れ落ちて天を仰いでいて、ユーゴは……そんな彼女のすぐそばで、まるで懺悔でもしているかのように床に手をついて悔しがっていた。
あの……えっと……
「――気付いてよ――っ! ってか! 気付かないでよ――っ!」
「なんなの! 鈍いの!? 察しがいいの!? どっちにせよ察しは悪かったけど! どっちなの!」
「え、えっと……ジャンセンさん……? これは、その……」
俺だよ! 俺がここのボスだよ! と、ジャンセンさんは……ジャンセンさんが……盗賊団の……
「……え……ええっ!? だ、だって! ジャンセンさんは商人だと、色んな街を渡り歩いてものを売り買いするやり手の商売人だと、酒場の皆さんも……」
「――嘘に決まってんでしょ――っ!? 堂々と盗賊団の頭張ってますなんて言いふらす盗賊はいないよ――っ!」
「嘘でしょ!? フィリアちゃん、もっと賢い子だったよね!? いつの間にこんなことになっちゃってたの!?」
嘘……えっと……そ、そうか。
その通りだ、盗賊団の首魁であることを大っぴらにして生活するなどあり得ない。
ジャンセンさんから聞いた話で言えば、首魁の男は用心深くて……それに……
基本的に動き回っていて、色んな拠点を転々としている。
きっと、その時に商品も売買しているのだろう。
その近辺の街、集落で。必要とされるものを売り、稼ぎになるものを買い取って。
そうして現場を把握しているのだ。
警戒心が強く、誰のことも信用しない。
それはきっと、素性を隠して生活していることを指していたのだ。
誰にも身の上を明かしていないのだから、誰も信じてはいない。
順序の逆さまな理屈で、彼は自らを……
そして――北の街、アルドイブラで生まれ――生まれた時には既に最終防衛線よりも外にいて、家族を――平穏を、幸せを、希望を魔獣に食い潰されてしまった。
故に――
「――フィリアちゃん、分かるよね。俺のことはもうそれなりに話したからさ」
「だから――ごめん。俺達はアンスーリァとは仲良く出来ない」
「俺だけじゃない。みんな――ここにいるのも、ここ以外にいるのも、全員」
「みんな――国に捨てられた人間なんだ――」
「――っ」
――姉さん――と、ジャンセンさんがそう声を掛けると、マリアノさんは物凄い勢いで私に飛び掛かって来た。
昨日見たあの大きな剣ではないが、しかし袖の下から出てきた短剣を振りかざして、そのまま私を一撃で――
「――テメエ――ナメてンのか――っ」
「――いいえ。私は――私は、ここに対話をしに来ただけです――」
――一撃で、喉を掻き切ることも出来ただろう――
切っ先は私の首の薄皮に突き立てられ、しかし喉笛を突き破ることは無かった。
私のすぐそばにマリアノさんの顔があって、そしてそのすぐ後ろには……
「……ユーゴ。安心して、待っていてください。大丈夫です。大丈夫ですから」
「――っ」
凄く凄く青い顔をしたユーゴの顔があって、けれど……何も出来ないで立っていた。
ああ、そうか。
ユーゴは優しい子だから。
優しさに起因する殺意は察知出来ないのだな。
そんなものは知らないから、感じ取ることなど出来なかったのだ。
それにきっと……そんなもの、彼女の中にも無かったのだろうから。
「――デカ女――っ。テメエ、なんなんだよ。ボケっぱなしだったと思ったら、突然……っ」
「死ぬとこだったんだぞ……?」
「頼みの綱のそこのクソガキが間抜け晒して、テメエの首はたった今ここに転がるとこで――」
「――いいえ、殺しません――」
「マリアノさん、貴女は――貴方達は、この機会をみすみす見逃したりはしません」
「ジャンセンさん――いいえ、盗賊団の長、ジャンセン=グリーンパーク」
「私はここに、交渉に参りました。情では無く、利を以って」
「私達と貴方達が手を組む意義をしっかりと持って、協定を結びに来たのです」
マリアノさんからもユーゴからも視線を切って、振り返ればそこにはやっと辿り着いた答えが待っていた。
凄く凄くまじめな顔の――怒った時のパールよりも、たった今剣を突き付けたマリアノさんよりも冷たくて鋭い、凛とした表情のジャンセンさんが、ようやく私を対等と認めて向き合ってくれている。
「――本気なんだね、フィリアちゃん。いいや――フィリア=ネイ=アンスーリァ王――」
「――はい。私は貴方と――貴方達の力と共に、この世界を救済します――」
交渉の材料は全て提示してある。
結果として生まれる利益も、彼らにもたらされる影響も、それら全ての是非も、何もかもは彼に託した後だ。
私に出来るのは、女王としてそれと向き合うことだけ。
私は黙って彼の出す答えを待った。




