第六十三話【三度目の訪問】
人を操る魔術。
そんな可能性を伯爵から聞かされた私達は、とっくに顔見知りになった兵士や役人にすら少しだけ怯えながら、その日の晩を過ごした。
けれど、翌日になれば――日が昇り、義務感と責任感が強まれば、それ以上気にすることも無く、またヨロクへ向かう馬車を出す。
そうしなければならないから。
そして、そうすることで、その不安の根元を切り払うことが出来るから。
「――女王陛下。まもなく到着いたします」
馭者の声に、同乗者は皆顔を明るくした。
また三日の時間をかけて、私達はヨロクへと戻って来たのだ。
「お疲れ様でした。ですが、気を緩めぬよう」
「以前には街中にまで魔獣が侵入する事態に陥ってしまったのです。安全を確認するまで、どうか皆で注意してください」
はっ。と、私の声に返事をしてくれたのは、かつて供してくれた皆ではなかった。
疑いがあるから人を変える……という話ではない。
そこまで大事には捉えていない、すぐの問題としては考えていない。
何も特別なことは無く、たまたまそうなったというだけ。
彼らにも当番や鍛錬、休暇が順に巡ってくる。誰が同行するかを決めるのは私では無いのだから。
そんなわけで、道中も到着後も、ユーゴのテンションは少し低いままだった。
バスカーク伯爵同様、彼らもまたユーゴにとっては心を開いた貴重な相手だったのだろう。
次からは直接指令を出して、彼らに同行を願おうか。
それとも、彼らとしたように、他の兵士達とも打ち解けてみようか。
少なくとも、ユーゴが寂しそうな顔になるのはあまり良くない。
「ユーゴ、お疲れ様でした。具合はどうですか?」
「ん、まあまあ……悪くは無さそう」
「だけど、やっぱり弱いの相手じゃダメらしい。どんなにイメージしても、全然先が思い浮かばない」
え? ん? と、私とユーゴは互いに首を傾げて黙ってしまった。
先が思い浮かばない……イメージ……? ええと、何を言って……
「……ち、違いますよ、ユーゴ。力の具合ではなくて。体調は問題ありませんか?」
「ずっと走り続け、戦い続けだったのです。疲労から来る不調だって……」
「ん、ああ、そっちか。そんなのあるわけないだろ、あの程度で。ってか、聞かれるとも思ってなかったよ」
あの程度……とは言っても、街から街までを馬車と同じ速度で走り続けて、その上で魔獣とも戦い続けていたのだ。
疲労が無いなんて話はあり得ない。
彼はどうにも強情と言うか……妙な見栄を張りたがるから。
しつこいぐらいに確認しないと、何かが起こってからではいけない。
「ところでさ。役場はこの間壊されちゃったわけだけど、そしたらこれからはどこに泊まるんだ? フィリアは仕事もしなくちゃならないんだし……」
「それでしたら、既に仮の新拠点を設営しているそうです」
「場所は砦のすぐそば……街のはずれですが、しかし私達の活動には支障も出ないでしょう」
「前よりも設備は劣りますが……それも大きな問題にはなりません」
ふーん。と、ユーゴは興味無さげな相槌を打って、きょろきょろと街の様子を窺っていた。
被害がたくさん出ていたから、それが気掛かりなんだろう。
それに、あの後にも魔獣が攻めてきていないとは限らない。
彼としては、全てを守ることは出来なかった場所として、多少の責任や負い目を感じているのかもしれない。
「それで、これから何するんだよ」
「カスタードはさっさと解決しろって言ってたけど、それが出来るんだったらとっくにやってるわけだろ?」
「そう……なのですよね。伯爵から多くの情報を提供していただきましたが、しかしそれでもまだ……」
まずは盗賊団について解決しなくては。
しかし、首魁の居場所は未だに突き止められていない。
こうなったら、私とユーゴでどこかの拠点に直接乗り込んでみようか。
そこで偶然出会えたらよし、出会えなくともこちらの話……意図を伝えて貰えるように頼めば少しは話が変わるだろう。
だが……そんな直接的な手を打つとなれば、もう少しだけ情報が……盗賊団そのものの情報が欲しい。
「交渉の余地がまだある……と、私はそう勝手に思っていましたが、しかし事情が分かれば分かるほど、それも難しいのだと思い知らされます」
「盗賊団は、既に国軍を遥かに上回る軍事力を手にしている可能性が高く、それに北の組織との競り合いが想像以上に激しいもののようですから」
「……その北の組織が人を操るってんなら、なおさらこっちも信用して貰いにくいよな」
「だって、味方すら信じられない状況に陥ってるかもしれないんだし」
そうだ、そこも大き過ぎる問題だ。
なんと言ったら彼らに信じて貰えるだろうか。
罠ではないと思って貰う。妄言ではないと思って貰う。
そもそも国の代表であることを信じて貰う。
それぞれの関門に、更に柵や濠を建てられてしまった気分だ。いったいどうしたら……
「……やはり、マリアノさんに協力いただくしかないでしょうか」
「彼女なら、私達が街を守る為に戦っていることを知っています。少なくとも、北の組織とは別の意思を持っているのだと」
けれど……彼女は凄く……その……私を嫌っている節があったから、それも少し難しいのかな……と。
そんな情けない話をすると、ユーゴは何も言わずに苦い顔で俯いてしまった。
せめて……本当に雑なものでも構わないので、そんなことはないとフォローしていただきたかった……
「でも、それしかないかもな。少なくとも、アイツ以外の手掛かりなんて無いんだ」
「それに、北の林に行けば会えるかもしれない。いつ行っても……ってわけじゃないんだろうけどさ」
「そうですね。少なくとも、あそこで何かをしていた……目的があってあの場所を巡回していたようでしたから」
「ならば、そこへ足を踏み入れれば、或いはまた……」
であるならば、まずは北への遠征を企画すべきか。
しかし困ったことに、今回はギルマン達ではない、他の兵士と馭者が供をしてくれている。
そうなると……彼らにだって本当は反対されているし、凄く迷惑もかけていると自覚しているが……
やはり、彼ら以上に猛烈に反対されるだろうし、林へは私とユーゴだけで……などと口にしようものなら、宮に告げ口されかねない。
「となれば……今回は正式な調査として、街の兵士達にも協力をお願いするべきでしょう」
「きちんと隊を組んで調査すると言えば、誰も怪しまないでしょうから」
「それに、マリアノさんにも私達の目的を伝えやすい筈です」
魔獣と北の組織について、私達は本腰を入れて問題解決に当たろうとしている。
そう思って貰えれば――それなりに頼りに出来そうだと思って貰えれば、協力関係を築くには都合がいいだろう。
「……逆効果な気もするけどな、それについては。そもそも、アイツひとりでも兵士数人よりずっと強いんだし」
「むしろ変に大人数の方が、逮捕しに来たと思われないか?」
「……そう……考えることも出来ますね。いえ、ですが、しかし……そう……ですね……」
アホ。と、あまりにも短い罵倒を口にして、ユーゴは小さくため息をついた。
相手にどう捉えられるか……は、相手のことをロクに知らない今の私達では想像するので精いっぱいだ。
やはり、下手に刺激しない方がいいだろうか。
なら、途中でユーゴと共に彼らと別れて……いや、それを許して貰えるとも思えない。
なら、彼らを振り切ってふたりだけで……
「おい、フィリア。お前またバカなこと考えてるだろ」
「なんか……最近ちょっと……凄いバカになったよな、いきなり。なんでなんだ?」
「っ!? す、凄いバカとはなんですかっ。私は何も……変なことなんて考えては……」
ううっ。やはり……やはり、最近私の評価が著しく下がってしまっている。
どうしてだろうか。と言うよりも、どこからだろうか。
いつから、何があってからこうなってしまった。
いえ、ユーゴは割とずっと……思えば、伯爵のもとを初めて訪れた時には……
「……でも、お前がそれにするって言うなら俺は手伝うよ。それしかないって思ったなら、だけど」
「……っ! ユーゴ……ありがとうございます」
「もしも他の皆には手伝って貰えないとしても、貴方さえいれば何も怖くはありません。頼もしい限りです」
うるさい。と、何故かユーゴは悪態をついて、そしてすぐに顔を背けてしまった。
ど、どうしてっ。たった今、私の味方をしてくれるという旨の発言をしてくれたばかりなのにっ。
それからは私が何を言ってもつんと拗ねた態度を取るばかりで、新しい役場へ到着するまでは一度も口をきいてはくれなかった。
そして、私達は新しい拠点でゆっくり休息をとることにした。
特にユーゴの疲労は十分に回復させてあげないと。
私の分の食事も彼に回すように、そしてそれを彼には知られないようにと頼んで、私は持ち込んだ携帯食料で小腹を満たし、翌日からの予定を考え始めた。
やはり、最短の近道はマリアノさんとの再会だろうか。
それとも、もっと強行策に打って出るべきか……




