第五十四話【防衛】
ユーゴの言う通り、そして私達の予期した通り、ヨロクへ引き返す短い道程には、かなりの数の魔獣がいた。
なんらかの理由で私達を襲うよりも街を目指す方を優先している。
なわばりに侵入してきた外敵よりも、優先すべき目的がある。
まるでそう言われているようだった。
「――フィリア、もうちょっと中で待ってろ! 街の中も見てくる!」
「っ。分かりました。ジェッツ、グランダール。貴方達も行ってください。ユーゴを――街をお願いします」
馬車はどうやら街に到着したらしい。
けれど、ユーゴは私が外へ出るのを許さなかった。
まさか、もう街の中にまで魔獣が侵入してしまっているのだろうか。
馬車はそのまま街のすぐ外で待機していた。
ユーゴからの……先に街に入った三人からの連絡を待つ。
砦の内側には入っているが、しかしもしも魔獣が既に侵入しているとしたら、この場所だって安全ではない。
「アッシュ。もしもの時があれば、ユーゴを迎えに行きます。街の中に乗り込んでください」
「ギルマン、ヒル、キール。周囲の警戒をお願いします」
「魔獣の気配があれば……一頭でも侵入するようであれば、緊急事態である前提で動きましょう」
はっ。と、皆真剣な顔で返事をして、そしてそれぞれの持ち場に着いた。
アッシュはいつでも走り出せるように、手綱を握りなおす。
ヒルとキールは馬車の前後を警戒。
ギルマンは馬車の入り口を警備……私を守ってくれている。
なら、私も手を打たねば。
もしもの時を想定することと、そしてそのもしもが起こってしまう原因を想定すること。
「やはり……あの少女なのでしょうか……」
最悪の事態となれば、やはりこのヨロクが制圧されてしまうことか。
そうなる原因――魔獣がこれだけ強固な砦を突破してまで街を襲う理由はなんだ。
街の中にしかない獲物があるのだと気付いたか、それとも街を超えて向こう側に――あの何もいない北方の荒野へ行きたいのか。
もしも後者なのだとすれば、ユーゴの言っていた林よりも向こうにいるという脅威に何か動きがあったのだろうか。
「――――陛下! 先行した二名からの指示が――信号弾が打ち上げられました!」
「色は赤――緊急を告げるものです!」
「――っ。ヒル! キール! 戻ってください! 馬車を動かします!」
私の思案など無駄だと、そう蹴飛ばされた気分だ。
緊急信号という形で応えは早々に叩き付けられる。
街が危ない。
それも、ユーゴがいてなお戦力が足りていないという連絡だ。
「三人を拾って……っ。合流し次第、街を脱出します」
「アッシュ、気を付けてください。ここで馬車を失えば、私達も……」
「承知しました!」
もう、ヨロクは諦めるしかない。
現時点での最高戦力を投入しても守り切れないとなっては、被害を減らす方向で物ごとを考えるべきだ。
そうなれば、このヨロクを破棄してでも――最終防衛地点をここからハルまで後退させてでも……っ。
「――っ。ユーゴ……っ」
悔しい――
これまで――ユーゴを召喚してからこれまでずっと、私達は前に進み続けてきた。
立ち止まることも道に迷うこともあったが、しかし後退はせずに済んでいた。
なのに……
「……陛下、まもなく役場へと到着します。情報を交換して、もう一度策を立て直しましょう」
「ヨロクを離れた後にも、この脅威は残る筈です」
「……その通りです。皆、役場の防衛を任せます。もっとも、まだ無事ならば……ですが」
馬車は街の中を走り続け、そしてやっと役場へと……今朝まで私達が仕事をしていた建物へと到着した。
まだここまでは魔獣も迫っていないらしい。
慌てて走り回る役人達の姿はあったが、しかしどこにも怪我人はいなさそうだ。
「――女王陛下! ランデルへお戻りになられたのではなかったのですか!?」
「はい。異常を察知して戻りました」
「状況はどうなっていますか。何が起こって、どれだけの被害が出ているのか」
「判明している範囲で構いません、報告してください」
役人の口から告げられたのは、想定内の……最も悪い状況だった。
南方――私達がさっきまで走っていた方角から、大量の魔獣が攻め入って来た。
これまではその侵攻を跳ね返せていた砦も無力になるほどの数が、一斉に。
そして……
「……ヨロクは……ヨロクの防衛能力は、既に現状を解決する水準を満たしていません」
「どうかお逃げください、女王陛下。貴女に万一があれば、この街だけでなく、国までもが……っ」
「……っ。分かりました。報告ご苦労」
本当に……本当に打つ手は無いのか。
いいや、まだ諦めない。諦めてはならない。
街の中へ入って、少しだけ見慣れた景色が破壊されているのを目にして、私の中には小さくとも火が灯った。
ここで触れ合った人々の生活を失わせたくない。
なんとかして打開したい。
そんな思いで私は馬車へと急いで戻り、もう一度街の中を走ってくれるようにと頼む。
「ユーゴなら……っ。どれだけの脅威であっても、ユーゴの力さえあれば……っ」
分かっている。それはもうとっくに理解している。
彼の能力がどれだけ突出していようとも、彼ひとりでは護れる範囲が限られる。
ランデルでもそうだった、彼自身が口にした。
ただ、あの時はなんらかの意図によって、彼のいない場所には魔獣の脅威も少なくて…………?
「……あの時とは関係無い……?」
「ランデルへと魔獣を差し向けた組織は、今回は関与していない……?」
あの時は……バスカーク伯爵とも話をして、あれは盗賊団の仕業だった……かもしれないと結論を出した。
街を守ることに意義があり、しかし防御を手薄にさせることにも意味がある。
そうだ、もしも盗賊団が裏で糸を引いているのだとしたら、このヨロクはどうあっても落とされてはならない街だ。
「ならば……ならば、今この瞬間にこそ――っ」
私は慌てて皆に――ギルマンとヒルとキールに指示を出す。
ユーゴ達を発見したら、合流して防御に当たって欲しい、と。
三人は嫌な顔もせずに頷いてくれたが、しかし事情は把握出来ていなさそうだ。
「もしも……もしも、私の読みが正しければ……っ」
「皆の前で散々情けない姿を晒しましたから、信頼は無いかもしれませんが。けれど、この時に限ってはまだ可能性が残されています」
「まだ、この街は諦めなければならないほど絶望的な状況ではありません」
私達が全力で抵抗すれば――最も強い力を、ユーゴを擁する私達がここで踏ん張っていれば、彼らにとっては最もおいしい状況に見える筈だ。
戦力も整い、恩も売れて、それに結果として街を維持出来る。
盗賊団からすれば、これ以上無い好機なのだ。
「――ジェッツとグランダールの姿を確認! 現在、街の防衛隊と共に交戦中の模様! ユーゴの姿は……」
ここには見当たりません。と、アッシュはそう叫んで、そして三人は私の指示を待った。
ここで降りて戦うべきか、それともユーゴと合流すべきか。私の出す答えは……
「……ギルマン、貴方だけは残ってください」
「ヒル、キール。隊と合流して防衛を」
「アッシュ、このまま馬車を走らせ続けてください。私達はユーゴと合流します」
彼にも事情を説明しなければ。
なんの目的も終着も教えられぬままに戦っていたのでは、彼の精神は疲弊してしまう。
そうなれば、いくら強い力を持とうとも、あっさりと倒れてしまいかねない。
もう少しだけ踏ん張れば……と、そんな希望をユーゴのもとに届けてあげないと……
「……女王陛下。僭越ながら申し上げます。先ほどのお話ですが……」
「ええ、理解しています。私のひとりよがり……希望論です。ですが……っ」
「それにでも縋らなければ、この街を守る算段が付きません」
「私達だけでは……この街の力だけでは……」
分かっている。これは凄く凄く分の悪い賭けだ。
盗賊団からすれば、私達を守ることにはメリットが無い。
むしろ、ユーゴの力を排することが出来たならば、国そのものを思い通りに出来ると考えてしまうだろう。
だから、これはもうひとつの組織を信頼した賭けだ。
国の力を今失うわけにはいかない程度に盗賊団がひっ迫してくれていれば……と。
北にあるという別の脅威を、悪い意味で信頼しての暴挙だと言える。
「……ユーゴの姿が見えました! けれど……っ」
「っ! ギルマン、彼と合流を…………っ。あれは……そんな……」
アッシュの声がして、そしてすぐに馬車は急停止した。
覗き窓から外を見ると、そこには魔獣の大群が――これまでに見たことの無いほどの大群が、ユーゴを取り囲んで襲い掛かっているのが見えた。
あれでは馬車で拾いに行くことも、ギルマンが合流して共に戦うことも出来ない。これでは――
「――っ。ユーゴ! ユーゴ――っ!」
「まだ――まだ、諦めるような状況ではありません!」
「策はあります! この街を――ヨロクを、皆を守る策が!」
「だから――だから……っ。な――なんとかしてください――っ!」
「――――っ! うるさ――い――っ! この――バカ――アホ――間抜け――っ!」
私の言葉でユーゴの目の色が変わった気がした。
やはり、終わりの見えない戦いに疲弊していたようだ。
雄たけびを上げて剣を振り回すと、さっきまでよりも圧倒的な一撃が繰り出されて、取り囲んでいた魔獣の一部がまとめて吹き飛ばされた。
ユーゴの一撃を以ってしても、まだそれだけしか……
「――っ。陛下、私も彼のもとへ――」
「なりません!」
「貴方の腕前は信用しています。故に、あの状況への加勢が無謀だとも理解しています」
「まだ……まだ、もう少しだけ待ってください」
「せめて……せめてユーゴがこちらへ合流してくるまでは……っ」
ギルマンは私の言葉に俯いて、そして思い切り歯を食いしばった。
どうやら相当拳を強く握り込んでいるらしくて、革の小手に赤いしみが出来ていた。
私だって……私だって悔しい。
けれど、ここで私達が無茶をして、戦力を失って、彼が戻っても間に合わないという状況になってしまえば…………っ。
「――ァア――? ンなとこで何やってんだ――テメエら――」
「――っ。この――声は――」
声が聞こえて、そしてすぐに爆発にも似た音が響いた。
土埃が舞い上がって、馬車が大きく揺れる。
衝撃に馬が驚いてしまったらしい。
魔獣にも戦闘にも慣れて、多少のことでは驚かない馬車馬が、おののいて取り乱してしまう程の衝撃が――
「――クソガキ――テメエ、手ぇ抜いてんじゃねえよ――っ!」
「――っ! あの方は――」
オラァ! と、凶暴な掛け声とともに、巻き上げられていた土埃は薙ぎ払われた。
そうして現れた人影は、先日北方で遭遇した大剣の少女のものだった。




