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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第三章【たとえすべてを失っても】
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第五百三十話【ふたりの魔女】



 ごうごうと音が迫って来る。何もかもを挽き潰しながら、絶望の嵐が私達を飲み込もうとしている。


 ユーゴは私を抱えて逃げ出してくれた。その暴風から、その死から、その恐怖から。逃げ出して、走り抜いて、そして……


「――っ! う――おおお――っ!」


 彼の頭上に光が射し込んだ。嵐から抜け出したのだ。舞い上がる砂ぼこりに遮られていた陽の光が照らす場所まで、逃げて、逃げて、逃げ込んだ。


 一度目の攻撃を生き抜いたのだ。これだけやって、やっと。一度目の攻撃だけを――


「――排除を。望まれた、通りに、排除を。貴方を、貴女を、貴方達を」


「――ッ。フィリア! ちゃんと掴まってろ――ッ!」


 逃げ切った――筈だった私達を、やっと日の下に逃げ込んだ私達を、魔女は新たな攻撃で覆い隠した。それは……炎の嵐だった。


 音がする。風の音だ。先ほどまでと同じ、あらゆる障害を吹き払う暴風の音。だが、それが運ぶものは石つぶてやごみではない。陽の光の代わりに私達の影を伸ばすのは、林の木々よりも高くまで舞い上げられた炎だった。


「――排除を――」


 もはや魔女がどこにいるのかなどは分からなかった。それを気にしている余裕などはどこにも無かったのだ。


 ユーゴはまた走り出した。私を抱えたまま、死に物狂いの必死な形相で。息を吸い込むだけで身体が焼けそうな熱い空気に包まれる中で、彼は先も見えぬ嵐の中へと駆け出した。


「くそ――くそ――ふざけんな――っ。ふざけんなあぁああ――ッッ!」


 真っ直ぐ走って、走って、炎の壁を前にして、彼は地面を思い切り蹴り上げた。砂を――地面を抉り、石も土も砂も纏めて蹴り飛ばして、噴き上げる炎を一時的にかき消した。


 一瞬だけ開いた風穴に飛び込んで、また彼は走り抜いた。駆けて駆けて、駆け抜けて、またその果てで日の下に逃げ込んで――――


「――――排除を――――」


「――っ。くそ――」


 逃げた先で、また嵐に襲われる。まだ後方からも炎が迫っているのに、前方からもまた更なる炎の壁がやって来てしまった。


 そのどちらからも逃げる必要に迫られて、ユーゴは嵐の継ぎ目を走り出した。ふたつの嵐がぶつかり、ひとつの大きな渦になる前に。嵐と嵐の間を駆け抜けるように走り出して……けれど……


「――っ――ぐ――ぁあああ――ッ!」


「――っ! ユーゴ!」


 脚に鋭い痛みが走った。そしてそれは、私以上に彼を襲っていた。


 ふたつの嵐はぶつかり合って、その熱を爆発的に増幅させながらひとつになる。その時に吹き荒れた熱風が、ユーゴの背中を焼いたのだ。


 私が――。私がいなければ、こんな大きな荷物を抱えていなければ、彼ならば逃げられたのではないか。私が足を引っ張らなければ――――


 浮かんだのは後悔だった。それも、たったひとつ限りのものではない。いくつもが重なった、重たくて苦い後悔。


 私はここに残るべきではなかった。


 部隊への被害を減らす為に。そして、もしも部隊が襲われた時に死なない為に。そうした理由で、私はこの場所に残ることを選んだ。


 その選択は、まるっきり間違っていたのではないか。部隊が全滅しようとも、私が死のうとも、ユーゴが無事ならばこの戦いに勝利し得るのだ。それを……っ。


「――っ。ユーゴ、私を捨てて逃げてください。貴方ならば、傷を癒せばあの魔女にも……」


 今からでも……散々足を引っ張って、台無しにして、今更になってからでも遅くないだろうか。遅かったとしても、選択しない道があるだろうか。いや――


 私はユーゴに声を掛けた。私を捨てて、荷物を下ろして、身軽になって逃げて欲しい、と。


 今のユーゴは右手が使えない。私を抱えたままでは剣も握れない。自らの身を守ることも、誰かの命を守ることも出来ない。私が、ユーゴという希望を踏み潰しているに等しい。


 これでは意味が無い。これでは未来が無い。これでは、勝利などを掴みようがない。なら……私がこの場所を退こう。そう覚悟を決めて、彼の腕を掴んで、言葉にして――


「――アホ――っ! 間抜け! デブ! このデブ! 変なこと言ってないで今すぐ痩せろ! 重たいんだよ! 重たいんだから、変なこと言ってイライラさせるな!」


「――で――っ!? い、今は体型をどうこう言っている場合では…………私が大きく、重たいから…………」


 ぐ……うう……。そう……だ。もしも今こうして抱えられているのがエリーだったならば、どれだけ負担が少なかっただろう。こんなに大きくて重たい私だからこそ負担になっているのであって……


「――捨てるとか諦めるとか――そんなのもう二度としない――っ。ふざけんな! このアホ! こっちには約束がいくつもあるんだ! フィリアだけは絶対に守るって!」


「……っ。ユーゴ……」


 ユーゴは私を怒鳴り付けると、折れている方の手で私の頭を叩いた。拳も満足に握れない手で、闇雲に振り回して。


 それがとても痛くて……熱くて……私は涙を飲み込んだ。それと一緒に、吐き出してしまった泣き言も。


「……すみません。私も、貴方に約束があるのでした。その力を振るう場所を定めろと、散々言われていた。ならば、この場所この時にお願いを……命令をします」


「っ! 命令とか、言い方変えてもあんまり王様感出ないな。やっぱりフィリアはフィリアだ。アホなデブだ」


 で……こほん。抱きかかえられて足を引っ張っている今、体型を揶揄されることももう受け入れよう。その上で……私が彼にすべきことは、第三の目になること。つまり……


「……ふう。私だって、貴方を召喚した魔術師なのです。長らく何もしていなかった、知識も経験も埋もれさせてしまっていた。そうだとしても――――っ」


 私は魔術師――だった。かつて、その道をしばらく歩いた者だ。わずかでも、私には魔力痕が見て取れる。ミラほど正確でなくても、その濃い薄い程度は判別出来る筈だ。


「――ユーゴ! あちらです! あちらは魔力痕が薄い……延焼によって燃えているだけで、渦からは遠い筈です! あちらへ逃げてください!」


 それが正しいとは限らない。それを正しいと信じ切るだけの実績は無い。私は私の力について、一切信用を預けられない。それでも、この時にくらいは嘘も真にしてみせよう。


 魔術とは学問だ。魔術とは技術だ。魔術とは、自然の摂理に沿うものだ。


 あの魔女が魔法ではなく魔術で攻撃をしている以上、それには当然の法則が存在する。


 炎は燃料が無ければ消えるし、燃料は炎に消費し続けられる。炎が燃料を消費するには酸素が必要だし、酸素は絶えず供給されるものではない。


 魔術とは、自然に起こる現象を都合良く捻じ曲げたものである。燃料が足りなければかき集めれば良い。酸素が足りなければ送り込めば良い。そうした誘因を指して、人はそれを魔術と呼ぶ。そして、それには必ず魔力による干渉が――魔力の痕跡が伴うのだ。


「あの方向には決して近寄らないでください! とてつもなく大きな魔力痕が見て取れます! あの魔女が私を魔術師と知って、それもわざわざ罠に掛けねばならない存在と判断したのでない限り、見えているものがすべての筈です! 大きな力を避け、薄みを突破し続ければ……」


「少なくとも、魔術には対処出来る……ってことだな。分かった!」


 私の指示に、ユーゴはわずかも疑うことなく従ってくれた。一度も力を証明出来ていない私を信じてくれている。


 そのことが嬉しくて、そして……彼の力になれている事実が心から誇らしくて、私はつい笑ってしまった。乾いた顔の皮膚が突っ張るから、笑顔を浮かべているのだと良く分かった。


「――そこです! その先には魔力痕がありません! それでひとまずこの嵐から抜けられる筈です! ただ……」


「そしたらまた次が来るだろうな。でも……突破するスピード上げればいつかは出し抜ける。それまでちゃんと手伝え」


 っ。私で力になれるのならば、いくらでも身を焼かれよう。ぎゅっとこぶしを握って、目を瞑って、最後の炎の壁を突き抜ける瞬間を堪えた。熱くて、痛くて、苦しくて。けれど、怖さは無い。そんな一瞬だけの苦痛を乗り越えて、そして――――


「――――排除を――――」


「――え――」


 目の前には、炎の壁は無かった。代わりにあったのは、貌の無い怪物の姿だった。


「しまっ――くそ――っ!」


「わ――ユーゴ――っ!」


 何をされるかなどは予測出来なかった。ただ、それより先に起こったことは理解出来た。


 私の身体は宙に放り投げられて、そのまま地面を転がった。転がって、転がりながら、魔力を見るのに慣れた私の目は、それがユーゴに迫る瞬間を捉えていた。


 切り取られる。かつてマリアノさんの腕が切り取られてしまったように、ユーゴのすべてが切り取られて消えてしまう。その魔法が来ると分かって、なのに――私には――――


「――――白銀の片翼ディヴァイン・オブ・ヘカーテ――――ッ!」


 声が聞こえた。言霊……かもしれないと思った。けれど、それは聞き慣れない言葉だとも思った。


 何も見えなかった。声の主も、声の意味も、声が表す結果も、何も。何も見えなかった。ユーゴを襲う筈だった魔法も、ユーゴを襲う筈だった魔女も、魔女の――姿も――


「――読みが完璧に当たり過ぎてる――一周回って気持ち悪いまである――っ! 俺の妹は最強越して最凶みたいだ――っ!」


「その……声は……っ! まさか……」


 ユーゴの前には何も無かった。先ほどまで魔女が立っていた――筈の場所には、もう何も残っていなかった。


 炎の壁が一部削り取られているのが見えた。いや、違う。一部ではない。何かがやって来て、何かを突き飛ばした、二か所の穴が開いている。


 突き飛ばされたのは魔女だ。無貌の魔女だ。絶望と死を運ぶ、あの災厄の姿だ。では……それを突き飛ばしたのは――


「――アギト――お前、それ――」


「あの程度の風、とっくに経験済みだっての。そんで、それを操る力も借りて来た。初めて使うから上手くコントロール出来なかったけどさ」


 背中から翼を生やした――右の肩からだけ銀の翼を生やした、地面から少し離れた場所に立っているアギトの姿がそこにはあった。どこにも傷を作らず、どこにも絶望感などを感じさせない、アギトがそこに――


「――排除を――。排除を、排除を――排除を――――」


「――っ。やば――アギト――っ!」


 歓喜した。ほんのわずかな瞬間、私は歓喜に気を緩めた。けれど、それはすぐに咎められた。


 炎の壁はすぐに形を変え、まるで槍のように鋭い切っ先を彼へと向けたのだ。手に何も持っていない、無防備なアギトの喉元へと伸びて……


「――――白銀の抱擁プロテクト・オブ・キルケー――――」


 炎の槍は、彼の喉に突き刺さる――その瞬間に、ぐにゃぐにゃと捻じ曲げられて、粘土のように捏ね回されて、そして――


「――っ! 対処を――――」


「――間に合えばな――」


 炎の壁も、嵐も、土煙もすべて貫いて、遠く遠くに見える魔女へと届いた。アギトに向けられた槍よりも大きく鋭いそれは、ユーゴでさえ反応出来ないスピードですべてを焼き貫いたのだ。


 貫かれて、炎に巻かれて、魔女はその場でのたうった。まだ死んではいない……だが、重大なダメージがあったことは確かなようだ。


 嵐は止んで、炎も消えて、そして……その場所には白銀の輝きだけが残った。アギトを包む、ふたつの光だけが。

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