第五百二十八話【分かつ】
対処を。と、魔女はそればかりを繰り返していた。そして、攻撃への対処に専念していた……ように見えた。
けれど……今、少しだけ空気が変わった。ユーゴとアギトの連携攻撃を何度も食らって、それでも手傷はほとんど負わずにやり過ごして、結果……魔女の中で何かが変わったように思えた。
分からない。何が起こるかなどはまったく予想出来ない。そして、何かが起こるか否かについてもまったく分かったものではない。
もしかすると、この瞬間は最も危険な時間なのかもしれない。魔女はこちらを……アギトを見定め、一定の評価を下した。そして、それを殺害するのに必要十分な攻撃を算出した……のだとすれば――
「――排除を――」
「――っ! 揺蕩う雷霆――っ!」
二度の連携攻撃によって、アギトと魔女との距離はかなり遠くなっている。彼と魔女との間にはユーゴもいて、直接攻撃を加えられる心配はまだ無い――などとは考えてはならない。
アギトが身体強化の魔術を唱えるとすぐ、彼の周囲にはまた火柱が噴き上がった。逃げ道を塞ぐように――最初に彼が魔女にしたように、取り囲んでからの一斉攻撃で焼き尽くすつもりなのか。
「――脅威の、異様の、奇態の、排除を。生命活動の、終了を。生存の、不可能な、状況による、自然な、死は、至らず。異常の、排除を」
私の単純な予想は的中して――けれど、アギトがやったのに比べて圧倒的な熱量で、火柱は彼がいた地点を焼き尽くした。だが……
その瞬間に、アギトの姿が火炎の中から飛び出したのが見えた。身体に煤を付けながらも、ひどい手傷は負っていない……いや。完全に無傷で脱出したようだった。
「排除を――排除を。排除を。排除を。排除を――――」
「っ! やれるもんなら――っ!」
九頭の龍雷――と、また言霊が響いた。そしてそれは、はるか上空から九つの雷を撃ち放つ。
標的は無貌の魔女。罠や細工を弄さず、直接的な攻撃力のみに依存する一撃。魔獣などをまるで脅威とは感じさせない、ミラの持つ攻撃魔術の中でも特に強力なものの、その魔具だ。
「――貫く雷電――連ッ!」
雷光は空を照らし、地面を照らし、そして魔女の影を照らし出した。だが、それが致命傷を与えることは無い。
私の目からでは、雷は魔女に落ちたように見えた。だが、様子に変化が無い以上は無効化されたか躱されたと考えるべきだろう。いや、雷撃を躱すなどと言う行為が起こり得ない以上、何かしらの力で無効化されたに違いない。
アギトはそこへ、また次なる雷魔術を差し向ける。ひとつひとつ確かめるように――魔女の弱点を炙り出す為に、有効なものと無効なものとを選別しているようだ。
「魔弾の――っ。うわっ!」
だが、アギトがそれだけの攻撃を繰り出す間に、魔女が何も出来ないなんてことはあり得ない。
雷撃と雷撃の間を縫うように、形の分からない、何か黒い霧のようなものが伸びた。アギト目掛けて飛んで行ったそれの出所は……魔女そのものではなく、先ほど焼いた地面のように見える。
もしや……煙を攻撃に転用している……のだろうか。そんなことが出来るのなら……気体をも武器にしてしまうのならば、ふたりは常に無限の刃に囲まれているに等しい。もしそうなってしまったら……
「排除を。排除を。排除――」
「――させねえよ――っ! うりゃぁああ!」
黒い攻撃がアギトを襲うその隙に、ユーゴはまた剣を振りかぶって魔女へと突進した。それはひらりと避けられてしまった――が……
「――っ! 魔弾の射手――っ!」
瞬きよりもわずかな隙が出来れば、アギトはまたすぐに魔具を起動させて攻撃を繰り返す。そして、彼が攻撃をしている間は魔女の意識は彼ばかりに向くのだ。
ミラの言った通りになった。魔女はあの時の戦いによって――あの時に味わった理不尽な蹂躙によって、アギトに対して恐怖心を抱いている。
それが生んだ妄執によって、ユーゴへの対処や迎撃よりも、アギトを仕留めることにこだわり過ぎているのは私から見ても明らかだ。この状況は予定通り。ならば、この後には……
「――全砲門解放――っ! 流星群の射手――ッッ!」
ユーゴが致命傷を与えられれば、それで勝利を手にすることが出来る……と、そう考えた私を咎めるように、アギトはまた更に新たな魔術を――更に強力な魔具を起動させた。
アギトが魔女に向けた銃口から、一筋の光が伸びる。けれどそれは、攻撃力を発揮しないままに魔女の足下を照らしだした。そして――
彼の言霊が引き金となり、先ほどまでよりも更に眩い雷光が魔女を包み込んだ。唱えられた式から逆算して、魔弾を無数に射出する広範囲攻撃なのだろう。それまでに撃ち出したどの魔術よりも速く、広範囲を焼き尽くすそれは、間違いなく魔女を捉えていた。
「――っ! ユーゴ! 一気に行くよ! 連なる菫――改――っ!」
「分かってる! おらぁああ!」
これまでには見られなかった明確なダメージが、魔女の肉体に刻み付けられていた。肉が焼け焦げ、血が流れ、明らかに動きが鈍っている。
その好機をふたりは一切見逃さなかった。かつてないほど大量の火球を生み出して、アギトは魔女の逃げ道を完全に封鎖する。そして、まだふらついたままの魔女目掛け、ユーゴは思い切り剣を振り抜いて――
「――っ! う――おおっ!?」
回避しようと、防御しようとした魔女の腕を斬り飛ばし、その結果に自ら驚いて大慌てで飛び退いた。
「――き、斬れると思ってなかった。もしかして、コイツかなり弱ってんのか」
「そうだと嬉しいな。まだ残弾はあるとは言え、この緊張がずっと続くのは胃に悪い」
突然やって来た好機、突然現れた結果に、ユーゴだけでなくアギトも困惑している様子だった。ふたりの中で、それだけ魔女という存在が驚異的で、とてつもなく大きなものになっていたのだろう。
それでも、腕一本を斬り落とした。この結果は……もしや、ふたりの力が想像以上に高まっている証明なのだろうか。あるいは、魔女の力を過剰に警戒し過ぎていたのか。または……以前のダメージが想像以上に残っている……とか。
思えば、転移の魔法を使えるだけの体力が残っていながら、ゴートマンを囮に使ってでも回復しなければならない状態にあったと考えれば、これは必然だったのかもしれない。
それでももちろん油断などは生まれ得ない。たとえ弱っていようと、腕が一本だけになろうと、こちらはふとした瞬間に殺されかねないのだ。安心など、咎められるまでもなく手にする余裕は無い。
「……もし弱ってて余裕が無い……んだとしたら。短期決戦で押し込むべきか、持久戦で削り取るべきか。どうだろうね」
「さっさと倒した方が良い……って、簡単には決められないな。でも、時間だってあんまり掛けられないだろ」
余裕は無い……が、しかし猶予は生まれた。選択肢が増えたのだ。もしも体力が本当に限界なのだとすれば、持久戦に持ち込むこともまた勝機に繋がるだろう。
もっとも、選択肢の増加が良いか悪いかは分からない。もとよりひとつしか可能性が無いのだからと、迷うことなく突き進める時もあるだろう。それに、増えたと思った選択肢が落とし穴かもしれない。
ひとまず、ふたりはまだよろめいている魔女を前に、追撃ではなく作戦の練り直しを選んだ。増えた選択肢の中から、より慎重な道を選んだ……わけだが……
「……排除を……対処を。脅威の、特異の、人ならざるものの、排除を。マナの、揺らぎの、事象への、対処を。対処を」
その間に、魔女はゆっくりとだが体勢を立て直してしまった。短絡的に考えるのなら、好機をひとつ取り逃した……ようにも見える。
しかし、そうして魔女が立ち直る間に、ふたりもまた新しい作戦を決定した様子だった。ユーゴはまた剣を握り直し、アギトは短銃を魔女に向け直して……
「――魔弾の射手――っ!」
先ほどと同じ作戦……かどうかはまだ分からない。ただ、有効打になった魔弾を活用した作戦ではあるのだろう。
言霊が雷撃を放つと、それはまた魔女の身体を捉えた――ように見えた。しかし、それには効果が見られない。また、無効化されてしまったのだろう。
「行くぞユーゴ! 掬い上げる南風!」
「任せろ――っ! おらああ!」
だが、そうして一撃目を無効化されるところまではふたりも織り込み済みだろう。次に唱えられた言霊は、たしか馬車を持ち上げて溝を飛び越えさせた魔術のものだ。それが今度は、ユーゴの身体を上空へと押し上げて、支えて、そして落下の勢いをいつも以上に高めて――
「――――対処を――――」
「――おらぁあ――っ!」
魔女の頭上から、地面諸共に叩き割らんばかりの勢いで剣が振り下ろされる。雷光に比べられるものではないが、しかしそれまでのユーゴの攻撃の中では最も素早く、破壊力の高いものだっただろう。
その一撃は……魔女の身体を真っ直ぐに斬り分けた。頭から入って、脚の付け根できっちりと二等分に。それは、紛れも無い致命の一撃……である筈なのに。
両断された魔女は、そのまま左右に倒れて動かなくなった。魔女は死んだ……のだ。死んでいなければおかしい、生物として何かが異常だ。そう思える結果が目の前にある。あって……
「……倒した……? コイツを……俺が……」
何かが足りない。私だけではなく、ユーゴとアギトの顔からもそんな違和感を感じ取った。何か、決定的なものがひとつ欠けている。そんな気がする。
魔女は倒した……倒せているのか。本当に、これは殺せば死ぬものなのか。人と同じような最期を迎える存在なのか。そこのところから認識が揺らぎ始めて、勝利を握り締めた筈の手が震え始めて――
「――――排除を――――」
――その震えが止まった時、私達は大きな勘違いの上に立っていたことを思い知った。




