第五百二十七話【至らず】
ふたりの攻撃は確実に魔女を捉えようとしている。一度ならず二度までも、それも意図した作戦によって、その身を断つことは出来ずとも、もう一歩のところまで迫ったのだ。
ユーゴには特別な力がある。自身の想像する範囲で無限に強くなり続ける、私が付与した特異な能力が。だから、彼ならば魔女にとどめを刺すことも叶うかもしれない。
アギトには格別な力がある。彼が目にし続けたもうひとりの勇者の強さを、彼女が与えた魔具の限りで模倣する優秀な能力が。だから、彼ならば魔女を追い詰めることが出来るかもしれない。
この状況は、紛れも無い好機なのだと思う。部隊は撤退した、これで少なくとも目に見える範囲で被害が出ることは無い。
ならば、ユーゴがかつてのような苦しみを背負うことも無い。それはつまり、彼の成長を妨げるものが無いことも意味するのだ。
「……っ。勝ってください。ユーゴ、アギト」
敗北を否定する材料は存在しない。だが、勝利を否定するものも存在しない。無貌の魔女を前にしても、彼らには紛れもなく勝利の可能性を感じられる。
痛いほどの沈黙の中、私に出来ることは、祈ることと、そして信じることだけだった。願い、託し、そして見守ること。それ以外には一切出来ない。
ならばせめて、目を背けることだけはするまい。そう思い、私は彼らの背中をじっと見つめた。その向こうにある魔女の姿も視界に入れて、その戦いと言うものを最後まで見届ける為に。
「よし、じゃあ次だ。カニがダメならカツ丼作戦で行こう。あれ、カツ丼だっけ。天丼だった気もする。とりあえずアレで行こう」
「……やだ。名前がダサい」
……本当に、勝利を否定するものは存在しないのだろうか。なんとものんびりした作戦会議が行われて、拒絶もされて……
けれど、ユーゴは言われるままに……いや、指示と正しい行動なのかを判断する材料も無いのだが。ともかく、ふたりはまたそれぞれで魔女に対して攻撃姿勢を取った。
「じゃあ――行くぞ! 狂い咲く鉄線葛――っ!」
ユーゴが駆け出したのを見て、アギトはまた言霊を唱えて魔具を起動させた。それは……地表は這いずり、目標地点で爆発する火炎の魔術……のものだった。
しかしながら、その術そのものは既に魔女にも見せている。だから当然、魔女はその火花が到着するよりも前にその場から退避して……
「カラッと揚げるぞ――っ! 連なる菫――っ!」
「だから! ダサいからやめろ!」
ゆらりと後退したその先に、アギトはまた更なる火炎魔術を向ける。だが……これもやはり、先ほど見せた術の内のひとつだ。無数の火球から吐き出された炎を、魔女はまたその場でひらりと躱して――
「――っ! 対処を――」
――視線を誘導され、誘い込まれて、そして死角に迫ったユーゴへの反応が遅れたのが分かった。
「遅い――おらああ!」
勝手に近付く魔女の身体目掛けて、ユーゴは思い切り剣を振り抜いた。
しかし、それはギリギリのところで躱されてしまった。身体を捩じり、跳び上がって、剣の軌道に沿う格好で回転して、魔女はユーゴの攻撃をやり過ごした。だが……
反応が遅れれば対処が遅れる。対処が遅れれば姿勢が崩れる。姿勢が崩れれば、次なる攻撃への反応が更に遅れる。
その次なる攻撃というものに私が気付いたのは――魔女が気付いたのは、その攻防が一度完結してからだった。
「――っしゃぁああ!」
爆撃を避け、火炎を避け、斬撃も回避した魔女の身体を、アギトは思い切り蹴飛ばしていた。強化による青白い雷光を纏った姿で、まるでミラのように。体勢を完全に崩した魔女の腹部へ目掛けて、鋭い回し蹴りが放たれたのだ。
「――っしゃぁ! 手応えあった! けど、全然効いてる気がしない! ユーゴ、気を付けて!」
蹴り飛ばされた魔女はそのまま地面を転がって、ふたりからずっと離れた場所でやっと停止した。まるでボールのように転がるその姿からは、自らの力で止まろうとする意思を感じなかった。
そんな魔女を睨んだまま、アギトはなんとも頼もしくない言葉を口にしてくれる。手ごたえはあったが……しかし、その様子からもダメージは見込めない、と。
もしかしたら、魔女はあえて受け身を取らなかったのかもしれない。そうすることで間合いを遠くした……たった今繰り出されたアギトの体術と、先ほどから繰り返されているユーゴの剣術を目の当たりにして、自らに襲い来る選択肢を減らそうと企んだ……とか。
それは、かつての魔女の姿からはかけ離れたものだろう。だから……正直なところ、本当にそうだとはとても思えない。だが……
もしも本当にそうだとして、ふたりを十分に警戒した結果なのだとすれば……今の無貌の魔女は、かつてよりも更に厄介極まりない存在であると言える。
「……なんかさっきからいちいちダサいし、あと……やっぱり、今ののどの辺がカツ丼なのか分かんない。もうちょっと真剣にやれ」
「し、真剣だよこっちはずっと! 失礼な! 気が抜ける名前なのは、師匠がそういう人だったからなの! 俺の所為じゃないから!」
厄介だ……とは、きっと私だけがそう思っているわけでもないだろう。
ユーゴもアギトもどこかふざけたようなやり取りをしながらも、目はずっと魔女を睨み付けたままで、表情は冷静と言うよりも冷淡さや冷酷さといった言葉が似合うほど張り詰めたものだった。
「さてと。起きてこっち来る気配まったく無いな。それなら……次は遊園地作戦を試してみるか。それとも、こたつアイス作戦か……」
「だから……いや、もういい。魔術については俺よりお前の方が詳しいから、効きそうなやつをそっちで選べ。合わせるから」
真剣に、ふたりはまた次の作戦について相談しているようだ。しかし……はて。ひとつ疑問が湧いてくるのは、彼らの間でどうしてこうまで連携が取れているのか……だ。
これまで、遠征の度にユーゴとミラとは共闘するシーンも多く見られた。もっとも、どちらかがせん滅し、どちらかがその討ち漏らしを対処する……という関係だったが。
それも、基本的にはミラの魔術でこと足りてしまうから。ユーゴが任されるのはいつも近距離の警戒ばかりで、残党駆除もほとんど必要無かった。
だから、これがミラの魔術とユーゴの連携であるとして見たとしても、説明が付かない。
そして、現実的にはミラとの連携ではなく、アギトとの連携なわけだ。腕は確かとは言え、ミラほどの精度と威力ではないのに……
「……うん、よし。エアコン全開かき氷作戦で行こう。あんまり試さなかったやつだけど、これまでの傾向的に効く可能性高い気がする」
「ダサい。でも分かった。もしミスったらなんとかするけど、ちゃんとやれよ」
疑問が残る中で、ふたりは先ほど話していたのとはまた違う作戦を決行しようとしている。これで既に三つ……名前だけならば五つの共同作戦が挙げられているわけだ。
口ぶりからして、一度や二度の試みではないのだろう。もちろん、私が宮にいる間にユーゴは友軍宿舎を訪れていたわけだから。機会はあったと考えることも出来る。だが……
ミラがいるのだ。本来ならば共闘する筈だったミラが、宿舎を訪れれば待っていたのだ。彼女が起きるまでの間、彼女との鍛錬が始まるまでのわずかな時間だけで、果たしてここまでの練度に至るだろうか。
「……もしや、貴女はこうなる可能性まで想定していた……のですか……っ⁈」
ならば、答えはたったひとつ。単純な理屈だけが残るだろう。
ユーゴは友軍宿舎で、アギトとの連携訓練を繰り返していたのだ。ミラとの鍛錬や模擬戦闘ではなく、彼と息を合わせる練習に時間を費やした。その場面を見ていなくとも、光景は簡単に浮かび上がった。
「凍てつく足枷――ッ!」
アギトはまた別の魔術を唱え、それは急激に効果を発揮し始める。まだ離れた場所で臥せっている魔女の頭上――いや、横たわった身体すべてを覆うように、白い霧が発生した。
そして……魔女がゆっくり起き上がると、それはすぐに牙を剥く。目に見える無形の霧が、魔女の四肢を拘束する氷の塊となったのだ。
「……マナの、揺らぎを、確認しました。対処を」
しかしながら、ただの拘束程度で止まる存在ではない。そのことは私でも理解出来ている。
魔女の腕を固めていた氷は、一瞬の間に無数の穴が空けられ、削り取られて拘束具としての機能を失った。
しかし、脱出に時間を使っている間に……
「もう――一回――っ! 凍てつく足枷――ッ!」
二度目の言霊が唱えられ、そして今度は両手両足だけにとどまらず、貌の無い首までもが凍り付いた。文字通り、五体の動きを完全に制圧されて、そして……
「うぉおおっ!」
まるでガラス窓を割るように、ユーゴの剣のひと振りで粉々に砕け散っ……いや。
「――対処を――」
砕けた氷の中に肉体は残っておらず、気付けば魔女はまた更に遠くに移動していた。ダメージは……多少、手足を冷やされた程度……だろうか。
攻撃は機能している。連携も十分だ。だが……それでも、まだ大きなダメージを与えられない。
少し……ほんの少しだけ、私の中にも危機感が芽生え始めた。もし……もしも、今こうして一方的に攻撃出来ているのが、ただ魔女がこちらを観察するのに注力しているから……だとしたら……っ。
「…………対処が、可能だと、判断しました。マナの、揺らぎの、パターンを、理解しました」
ぴり――と、嫌な空気が流れる。連携攻撃が成功して、しかしダメージは見込めていない状況で、魔女の様子に変化が生まれた。
言葉に……ではない。行動に……でもない。ただ……言葉にしがたい、雰囲気がわずかに変わったのだ。ふたりを見るその存在しない目が、観察するものからまた別のものへと。




