第五十三話【踵を返す】
翌日、私達はまた馬車に乗ってヨロクの街を後にした。
目的地はランデル――ハル、マチュシーを経由する、前回同様の帰路を予定している。
「――じゃ、またちょっと出てくる。フィリア、大人しくしてろよ」
「わ、分かっていますよ。では……お願いします、ユーゴ」
おう。と、彼は小さく頷いて、走り出した馬車からひとり外へと飛び出していった。
このヨロクからハルにかけては魔獣の数が多い。
これで二度目の復路――往路も含めればここを通るのは四度目だが、そのいずれでも彼は馬車の中でゆっくり到着を待つなんてことを許されなかった。
私が……そうなるようにしてしまった……
「――っ。ユーゴ……どうか、無事で……」
祈りをささげる私の姿は、果たしてどう映るだろう。
私は……私には、とてもおぞましいものに思えた。
私がそうさせているのに、私がそこに追いやったのに。
その身を案じているのならば、最初からこんなことさせなければいいだけなのに。
昨日の考えが頭から離れない。
まるで焼き付いてしまったかのように、自分を呪う言葉として繰り返されてしまう。
――ユーゴは戦いたくないのではないか――
それを、私が強要してしまっているのではないか。
怖くても、恐ろしくても、痛くても、逃げ出したくても、それが出来ない状況を私が作ってしまったのではないだろうか。
「――――っ!」
ぎゅうと歯を食いしばって、自分で自分の足をつねる。
一度……一度、冷静になろう。
今こんなことを後悔しても仕方が無いのだ。
ユーゴはもう馬車から出てしまった。もう魔獣と戦い始めてしまった。
そして――もう、彼に任せねばならない状況を作ってしまった。
もう遅いのだ。今必要なのは後悔ではない。
彼が戻った時――街に到着した時、彼の心をどう癒すか。
そして、その時に彼の本音をどう引き出すか、だ。
「――後方より魔獣接近。追い付かれる速度じゃないが、警戒しろ」
「陛下の身に万が一のことがあれば、俺達がユーゴに蹴飛ばされる番だ」
おう! と、ジェッツの声に皆が士気を高めて掛け声で続く。
後方からも……か。もしや、魔獣の数が増えているのだろうか。
前回の帰還の際には、馬車からではとても魔獣など見つけられなかった。それが……
――もしや、彼は戦う心を失い掛けているのではないか――
「――ッ。ユーゴ……」
また、頭の中に嫌な音が入り込んできた。
違う、今はそれを考える時ではない。
ばしばしと手で腿を打って気を逸らそうとしても、一度浮かんだ言葉は簡単には消えてくれない。
もしかして、彼はもう戦うことに疲れてしまっているのではないだろうか。
もう戦いたくない。もう怖い思いをしたくない。
だから、必要以上に魔獣を倒さない。
倒せない。
私達の――私の安全だけは確保したうえで、深追いはしない。
そんな方法で自分の心を守っている……守り始めたのでは……
「……ん。ユーゴが戻ってきます。後方の魔獣に気付いた……のでしょうか」
ユーゴの動向を報告してくれたのはギルマンだった。
そして彼は、覗き窓から頭を出して、前から後ろへと視線をずらしていく。
その顔の向く先に彼がいるのだろう。
馬車の進行方向から、先ほど魔獣が迫って来ていると言った後方に……
「――フィリア――ちょっと待った、馬車停めろ。後ろの魔獣倒したら戻ってくるから、馬車停めとけ」
「っ! な、何かあったのですか!? まさか――まさか、やはり貴方は――」
もう限界なのだろうか。
もう、彼は戦うだけの心を残していないのだろうか。
つらくて苦しくて、もう立ち止まりたいからと音を上げに来てくれたのだろうか。
答えは……どちらとも違った。
彼の声が遠ざかってすぐに後方の魔獣は倒され、そして馬車は何も無い道のど真ん中に停車する。
そして彼が大急ぎで走ってきて……
「――戻った方がいいかもしれない。なんか……なんか変だ。変な感じがある」
「変な感じ……っ。ユーゴ、一度こちらへ。馬車の中へ入ってください」
「そして……ゆっくりでいいです、貴方が何を感じているのか……どう考えているのかを話してください」
ぎしっ。と、勢いよく飛び乗った彼の体重に馬車は少しだけ揺れて、そして全員がその言葉を待ち構えた。
ユーゴは少しだけ言葉を整理すると、どことなく自信無さげに……いつもの彼とは打って変わって、不安そうな顔で後方を――ヨロクの方角を眺めた。
「……魔獣、こっちに向かってくるのが多い。ハルの方からヨロクの方へ」
「分かんない、そう感じるだけかもしれない」
「だけど……変だ。前はこんなの無かった」
「何かがあって、魔獣がヨロクに集まろうとしてる。そんな気配がある」
「魔獣が……ヨロクへ……っ。ユーゴ、それは……」
一回確認しに行きたい。と、ユーゴはそう言って私を見た。
いつもならもっと断定してしまう、自信を持って言い切ってしまう。
けれど……今日は違う。
それは、本当に事情が見えてこないから――状況があまりにも不透明だから、だろうか。
本当にそれだけなのだろうか。本当に――ユーゴは――
「……っ。分かりました。アッシュ、馬車をもう一度ヨロクへ」
「ユーゴの感覚は頼りになります。それに、何も無ければ徒労で済みますが、何かがあっては大問題になってしまいます」
「あの街を失えば、私達の活動拠点はまた更に狭められてしまう」
思い切り自分の頭を叩いて、それから私は決定を下した。
今はユーゴの異変に目を向けている場合ではない。
そのユーゴが……どこか元気が無いように見えるユーゴが、それでも危機を知らせてくれたのだ。
これに応えなければ、彼の信頼を得ることは出来ない。
彼が気を許して、心の内にある弱気を吐き出してなど貰える筈が無い。
「――進路変更、目的地をハルからヨロクへ。転回します。陛下、お気を付けて」
ぐわん。と、馬車は大きく傾いて、そして進路を真逆に取り直して走り始めた。
ここに来るまでの魔獣はあらかた退治したから、ユーゴも安心して馬車の中で到着を待っていられる……なんて考えは、私だけが勝手に持った甘いものだった。
彼はすぐに馬車を飛び出して、ギルマンの口から接敵を報された。
「では……では、本当にヨロクの方面へ魔獣が集まっている……と……? どうして……何故、今になって……」
けれど、私達の滞在中にヨロクの街が魔獣に襲われるということは無かった。
では何故、こうもタイミング良く――タイミング悪く、魔獣があの街へと押し寄せているのだろうか。
理由など無いのか、それとも何かきっかけがあったのか……
「まさか……私達が北へ赴いたから……」
魔獣のいないあの地点。ヨロクの北東、荒れ地とその先の雑木林。
あの場所に私達が踏み入ったから何かが変わった……なんて、そんな話があるだろうか。
いいや、あり得ない。
あの場所には何も無かった。
あの奥にこそ、ユーゴが感じ取った何かがあった。
それだけは刺激しないようにと調査を打ち切ったのだ。
いえ、他にも理由はあったのですが……
「……っ! もしや……あの時の少女が何か関係しているのでしょうか……」
もしもあの大剣を振り回す少女が、この魔獣騒ぎに関係しているのだとしたら……
それはもしや、ランデルに脅威を差し向けた組織とも関係があるのではないだろうか。
盗賊団なのか、それとも北にある他の組織なのかは分からない。
ただ、どちらにせよ、今追いかけている情報の最終到着点だ。
「となれば……っ」
「ギルマンはそのままユーゴの様子を報告してください。ジェッツとグランダールは警戒態勢を維持」
「ヒル、そしてキール。貴方達には尋ねたいことがあります。そして、共に考えて欲しいことがあります」
五人は私の指示を聞くと、少しだけ不思議そうな顔をしたが、しかしすぐにそれぞれの役割へと就いてくれた。
「ヒル、キール。先日の北方の調査を覚えていますか?」
「あの時のことを――私達が調査をしている最中の街の様子を、覚えている範囲、見ていた範囲でいいので教えてください」
「街の様子……ですね。かしこまりました」
街に異常があったのならば気付いた筈だ。
少なくとも、報告出来るものならとっくにしているだろう。
だから、これは意識の再確認に近い。
今、ヨロクの街に何かが起ころうとしている。
そしてそれが、あの北方での出来事に起因しているかもしれない、と。
ふたりの口からは、やはり異常らしい異常は報告されなかった。
私達と別れ、街へ戻り、装備を再度点検、食料などを補充しなおし、そして信号があるまで待機。
その間には何も無く、見張りと休憩をふたりで交互に行っていた。
信号が打ち上げられてからはすぐにヨロクを出発し、合流地点を目指した……と。
「……では、少なくとも役場と砦については、何も異変は無かったのですね」
「ありがとうございます。では……ここからが本題です」
私は北方での調査結果を――役場でも報告した情報をもう一度ふたりと共有する。
何か違和感は無いか……なんて問いは必要無い。
あの地点とあの少女はどう考えたって怪しいのだ。
ならば、それが起因して魔獣が大挙して攻めてきた……と、そういう結果に結び付く過程を思い描いて欲しいのだ。
「私が考えるのは、ランデルを襲った組織とあの少女とが繋がっているという線です」
「他に……他に可能性は無いでしょうか。思い付く限り列挙してください」
「この際、あり得ないと思えるものでも構いません」
「魔獣の動向を操作しているという時点で、もうあり得ないことは起こっているのです」
「どんなものでも構いません。備える為に、可能性をひとつずつ考慮していきましょう」
そうして私達は、ヨロクへ向かう間に、いくつかの候補をひねり出した。
林は既に組織の領地となっていて、見張りが立てられていた。
私達がそもそも監視されている。
魔獣そのものを調教して、その獣の能力を以って私達の行動に先回りしている、など。
どれもこれも涙が出るくらい否定出来ない、そして対処の難しいものばかりだった。




