第五百二十六話【ひとつひとつ】
ユーゴとアギトの連携は、たしかに魔女を翻弄し、手傷を負わせた。致命傷には至らなくとも、攻撃が届くことは証明されたのだ。
倒せるのかもしれない。かつて私達を絶望の底に叩き落したこの無貌の魔女を相手に、勝利を手に出来るのかもしれない。そう思うと、少しだけ身体が熱くなった。
それに気付いたから、私は自分の腿を思い切り叩いて戒める。油断はいけない。慢心などあり得ない。と、それを何度も念じていたのに、わずかな優勢に喜んでいてどうするのだ。
「……アギト。さっきの魔具、どういう効果なんだ。アイツが避けなかった……避けられなかった理由が分かるかもしれない」
「うん、そうだね。さっきのは……」
目の前では、攻撃に成功したふたりが緊張感を保ったままに策を練っている。この状況で私が緩んでどうするのだ。
しかし……ひとつ不穏なことは、そんなふたりを前に魔女が一歩も動かないことだ。攻撃をすることもなければ、逃げて隠れるそぶりも見せない。じっと彼らを……アギトを観察しているようで……
「……っ。ユーゴ、まだ剣はあります。隙を見て受け取りに来てください。投げ渡せば破壊されるのだと、以前にも思い知らされていますから」
私の呼び掛けに、ユーゴは振り返りもせず頷いた。魔女から目を背けるわけにはいかない……か。それがたとえ武器の補充であったとしても、一瞬も防御を解けないでいるのだ。
先ほどわずかにでも気を緩めたのが遠い昔のようで、沈黙が冷たい緊張感をもたらしている。きりきりと胃が痛むのは、きっと他人事で済んでいるからだろう。今、あの魔女が私を標的に選ぶ理由が思い当たらないから。以前のような、焼けるような焦燥感とは少し違うものが身を食っている気がする。
「……ユーゴ、フィリアさんのとこ行ってて良いぞ。ちょっと……いや、だいぶ。これくらいならまだ俺ひとりで捌けるから。ミラの予想の範疇を出ないんだよな、アイツの攻撃が。まあ……これが続くと全滅するって聞かされてるけどさ」
「……全然大丈夫じゃなさそうだな、それ」
ミラの予想……? ユーゴと相談しているアギトの口から、少しだけ不穏な言葉が聞こえて来た。
ミラはこの魔女の攻撃を……魔法ではない力に頼る姿を、ある程度予想していた。魔術翁と呼ばれるユーザントリア最大の魔術師からの調査報告を根拠に、無貌の魔女は魔法だけに頼ることはないのだ、と。
けれど……それが理由で、このままでは全滅するとも予想していた……らしい。それは……やはり、魔具の戦闘継続能力の低さが理由なのだろうか。
「フィリア。くれ。あと何本ある」
「えっ、は、はい。これを含め、もう五本予備があります。武器になりそうなもの……という意味ならば、これ以外にもいくつかありますが……」
アギトと話をしながら、それに魔女を警戒しながら、ユーゴはじりじりと後退りして私のところへやって来た。そして、顔も目も向こうに向けたまま、手だけをこちらへ伸ばして剣を寄こせと催促する。
私はその手に剣の柄をぎゅっと握らせて、予備の刀剣がどれだけあるかと伝えた。彼が普段使っているのと同じものがすべてで五本。それに加えて、ナイフを始めとした刃物が二本と、火薬式の単発銃が一丁。一応、信号弾も目くらましや牽制くらいには使え……ないか、あんなものを相手には。
「……ユーゴ。もし……もしも、私が標的にされることがあったならば。その時は即座に魔女を討ってください。私を狙うとすれば、そうすれば貴方の気を逸らすことが出来るからだと判断した時です。ならば、その瞬間には貴方からの攻撃はあり得ないと考える筈ですから」
剣を握らせて、鞘を抜いて、そして私はユーゴの手に触れながらそれを伝えた。ひとつでも多く作戦を立てて貰うには、私が枷になってはならないから……と、その一心で。だが……
「……アホ。お前が死んだら全部ダメになるって、そういう話だっただろ。忘れんな」
ユーゴはそのまま私の手を握り返し、子供を叱るようにそう言った。言われてしまった。
ジャンセンさんの言葉だっただろうか。それとも、マリアノさんの言葉だっただろうか。答えはきっと、どちらにも口酸っぱく言われていた……なのだろう。
私は……そうは思わない。何度も言われはしたが、実感などはまったく無いのが正直なところだ。
私は王だが、別段優れた為政者でもない。この国は王政国家だが、しかしそれを延々と続けるつもりも無い。
私が死せば、その後には王政無き国が残るだけだろう。それは終わりなどではなく、ただの区切りでしかない……と、私はその程度に捉えているのだが。どうにもやはり、私は皆と価値観を共有出来ないのだな。
「では、私を狙う隙などを与えずに勝利してください。これでは無責任過ぎるでしょうか」
「……十分だろ、それくらいで」
ユーゴは最後に私の手をぎゅっと握ると、それっきり言葉も残さずにまたアギトの隣へと戻ってしまった。握られた手がまだ温かいからか、それともその背中が大きく見えたからか、私の中には勇気が芽生えつつある……気がした。
「……さてと。ユーゴ、これ終わったら話がある。ちょっとおじさんの部屋に来なさい。この一大事にイチャイチャしやがって……ゆるせん……ッ」
「……フィリアも酷いけど、お前も危機感無いよな。アホなこと言ってる場合じゃないだろ」
っ⁉ な、何故だろう、それほど危機感の無い話などしていなかった筈なのに、奇妙なところで悪口を言われてしまった。
しかし、そんな軽いやり取りとは裏腹に、ユーゴもアギトも互いの顔を見ようともしなかった。見る余裕などはまったく無かった……のだろう。
じっと魔女だけを睨んで、睨み続けて、警戒心を一瞬も緩めることなく――
「――それじゃ、次。パターン・カニで行こう。合わせるから思いっ切りやって」
「ダサい、その名前却下だって言っただろ。それで遅れたら本気で殴る」
パターン……カニ? 何か暗号じみた打ち合わせをすると、ユーゴは剣を構えて魔女へと突撃して行った。
「――じゃあ行くぞ――っ! 雷雲の揺り籠――っ!」
真っ直ぐに突進するユーゴの背後から、アギトはまた新たな魔具を起動させる。いったい何種類の魔具を……魔術を準備してきたのだ。そして……それらをこれだけ細やかに使いこなしているアギトの技量は、いったいどこで培われたのだ。
私の感心などは無視して、ユーゴは言霊をきっかけに方向を転換する。真っ直ぐに向かっていたところを、ぐるりと魔女の周りを回るように。
だが……肝心のアギトの魔術が発動した形跡が無い。少なくとも、言霊から判断出来る雷の魔術であろう攻撃の痕跡は見当たらなかった。
失敗……ではないとすれば、もしや強化の魔術だったのだろうか。それをユーゴに施すことで、近接戦闘を有利にする……とか……
「――マナの、揺らぎを、確認しました。対処を――」
「――っ! やっぱ見えるんかい……っ! ユーゴ!」
私の予想も推測もまったく意味を成さないが、しかし状況の把握は出来るだけしておきたい。そう思ってふたりの行動をじっと睨んでいると、もっと注視していなければならないものがあったのだと今更になって気付いた。
ふたりの行動を前にして、魔女がやっと動きを見せたのだ。おそらく……だが、ユーゴにではない。アギトの魔具に反応したのだろう。ふわりと軽い動きで、けれどとてつもなく高く跳び上がって……
その瞬間に、やっとアギトの攻撃がなんであったかが判明した。魔女が立っていた地面が青白くスパークしたのだ。地面を介した攻撃……先ほどの何か分からなかった攻撃に続いて、眼で見えない種類の魔術を試していたのか。
「しかし、今度は対応されてしまった……そういう種類の攻撃があると学習されてしまったから……? いや、違う……」
そう言えば、魔女は貌も無いのに――目も無いのに、どうやって私達を判別しているのだろう。
触角がある……ようには見えない。だが、あるいは全身の皮膚が鋭敏な感覚器官で、触覚による探知を可能にしていると言われても違和感は無い。
そうか……私達はあの無貌の魔女について、強さ以前のところから理解出来ていなかったのだ。
今までアレがこちらを向いたように思えたのは、そう見えたのは、少なくとも私達の居場所を正確に理解し、気を向けたのが分かったからだ。
では、その感知に引っ掛からないものが分かれば――
「行くぞユーゴ――っ! 旋刃一線――ッ!」
「――ッ! っらぁああ!」
理解した……つもりになってた瞬間。アギトはまた別の言霊を唱え、それに合わせてユーゴも周回をやめて、着地寸前の魔女へと突進し始める。それは……ふたつの刃による挟撃だった。
「……マナの、揺らぎを、確認しました。対処――」
「――ぶつぶつうるさい――っ!」
甲高い風切り音が響いて、辺りに暴風が吹き荒れた。ふたつの刃がひとところを同時に切り裂いた音……だったのだろう。
その一撃で魔女が手傷を負うことは無かった。しかし……魔女の身に着けている衣服の一部に傷が付いているのは見えた。わずかだが、これもやはり届いたのだ。
「……普通に避けられた……っぽいな。地面から飛び出してハサミでちょっきんするカニさん作戦はダメか」
「ダサい。致命的にダサい。本当に頭おかしい」
……なんだかのんきな言葉が聞こえた気がしたが、しかし成果は少しずつ積み上がっている……のだろう。
少なくとも、ふたりはまだ真剣な表情で機を窺っているように見えた。やはり、今の作戦は確認の一端で間違いなさそうだ。




