第五百二十三話【暗い波】
昨日待ち伏せがあった山間部を越え、部隊はまだ調査すらしていない地点を走り始めた。
急ぐ必要はある。けれど、そうする手段は無い。
ここから先に魔女が隠れている可能性が高い……と、ミラはそう判断した。彼女のことだから、ある程度の根拠もあってのことだろう。だから、いることはほぼ間違いないと考えて良い。だが……
もしも隠れているのならば。そして、時間を稼ごうと考えているのならば。あの魔女を探し出すのは、とても容易なことではない。
それに、探すことだけが難しいのではない。探している間に隙を晒せば、その瞬間に部隊を壊滅させられかねない。あるいは、ユーゴやアギトでさえ戦う前に殺されてしまうかもしれないのだ。
「もうちょっとだけ広がってください! 声が届く範囲で、出来る限り遠くまで!」
奇襲はあった。待ち伏せもやはりあった。けれど、それを突破した後には……現在には、魔獣の姿も見当たらない。
これを、魔女も疲労しているから……と、そう捉えるべきだろうか。それとも、見当違いな場所へ来てしまったから、反撃も必要無いと判断されているのか。
あるいは……見付からないことを最優先として、攻撃の一切を控え、身を隠すことに注力しているのか。
ともかく、ひとまず攻撃の手は止んだ。そんな中で、アギトは騎馬隊へと指示を出し、出来る限りで広い範囲を捜索し始める。
「移動はともかく、探すのはやっぱりミラがいないとキツイ……っ」
部隊の進行速度は変わらない。変えてなどいられない。もしもまだ先に進まねばならないとなれば、ここでの減速が命取りになりかねない。もっとも、見過ごしてしまっても同じことではある……のだが。
「アギト、ミラの使っていた探知魔術の魔具は無いのですか? その……既に知られた術だけに、正しく対処されれば間違った情報を掴まされかねない……とは言っていましたが……」
それでも、もしも本当に無貌の魔女にも焦りが生まれているとすれば、この瞬間には有効になり得るのではないか。と、そんな期待を込めてアギトに尋ねた……のだが……
「……すみません、そういうのは貰ってないんです。そもそも、返ってきた信号をちゃんと読み取って理解出来ないと意味無いですから。そんなの、アイツ以外にはとても……」
「そう……ですか。では、本当に人の手で探し回るしか……」
やはり、欠けたものが大き過ぎる。魔術が無効化されるのだとしても、ミラの探知能力はここにいる全員の眼よりもアテになっただろう。
だが……彼女以外にあちらの状況を解決出来る人員もいなかった。それもやはり事実だ。
彼女ひとりにあれだけの負担を強いて、結果こちらにはこれだけの人員を残せたのだから。こちらのことは私達だけでなんとかしなければ……
「……せめてユーゴに力が残っていれば……っ」
悔やまれるのはミラの別行動だけではない。かつてのユーゴにあった魔獣を感知する能力……いや。敵意や害意、危険を感じ取る能力が失われている事実が痛い。
分かっている。それがあっても、以前には魔女を見付けられなかったのだ。それがあったならば……と、ただ現実から目を背けているだけに過ぎない。それは分かっている。分かっていても……縋らざるを得ないほどに、状況はひっ迫しているのだ。
「何か……なんでもいいから、魔女の手掛かりになるものさえあれば……っ。そしたら、もしかしたらベルベット君なら……」
「……ベルベット殿にも高い探知能力が備わっているのですか? それは……ええと、錬金術によるもの……なのでしょうか」
もしもミラのような術を持っているのならば……とも思ったが、しかしどうだろう。
確かにベルベットの術自体は知られていないかもしれない。
ただそれでも、広範囲を知覚する術があり、それを用いて探しに来る可能性があると知られていたならば、それだけで偽の情報を掴ませることくらいは出来るのではないか……と、ネガティブなイメージも抱いてしまう。
あの魔女にならばそれくらいは出来てしまうのではないか……と。
「いえ、そういう術があるのかは分かりません。あんまり見せてくれないし、そんなの見るほどのピンチになったことも無いですから。ただ……」
もしも魔術によって……魔法によって魔獣を呼び出しているのならば、魔力痕が見えたりしないだろうか……と、アギトはそう言った。
「その……詳しくは分かってないですけど。転移の魔法ってのは、空気中の魔力の流れに乗せて物を運ぶ……術らしいんですよね。だったら、その……どの過程で何がどうなるかは分かんないですけど、そういう変な魔力の痕跡が残っててもおかしくはない……と、思うんです」
魔力痕……か。なるほど、その着眼点は間違っていないのかもしれない。
魔法とて魔術……魔力を用いた技術に過ぎない。ただその規模が自然界に存在するものと同等と言うだけで、根本的な仕組みは似通ったものになるのだ。
物質を分解し、マナへ……大気中の魔力へと乗せて移動させる。あの魔女が使っている魔法がそんな仕組みだとすれば……分解の工程には、直接関わらなければならない筈。ならば、その痕跡の近くにはあの魔女が…………ああ、いや……
「……ダメです。以前にもあの魔女と戦っていますが、魔獣を呼び出すのにあの魔女が近くにいなければならないと言う制約があったようには見えませんでした」
あの時、私達は無貌の魔女へと肉薄して戦っていたのだ。それでも、魔獣はどこからでも降って来た。
分解する魔獣の近くにいる必要も無い。それに、先ほどまでに呼び出された魔獣の数や種類、場所、それに出現間隔からも、呼び出す地点にも制約は無いように思える。
となると、攻撃による痕跡が魔女の近くに残ることは期待出来ない……のだろう。
「他の魔術を……たとえば、身を隠す為に施した細工などがあれば、そこから特定出来るのかもしれません。しかし……魔術に対して高い見識を持つミラの存在を知った上で、むざむざ跡を残すとは思えません」
希望を摘み取る為だけの否定的な意見ではなく、現実的に考えた際に浮かぶ可能性だ。
もしも跡が残っているとすれば、それはきっと誤認を誘う為のものだろう。こちらの能力をどの程度かと推し量る為の、掛からずとも意味のある罠として設置する筈だ。
「そうなると……やっぱりしらみつぶししか方法が無いのか……っ。せっかくアイツがひとりであんなの倒してくれたのに、こっちが見付けられなかったら……」
アギトは悔しそうにそう言って、そしてまたすぐに外を……魔女が隠れているかもしれないあらゆる場所を睨み始める。
もし……もしも、このまま見付からなかったならば。あちらからも攻撃が無く、被害が無い代わりに未来も無くなってしまったならば……
「……? あれ……なんか、部隊がちょっと遅くなってる……? もしかして、ユーゴが指示出してるのかな。見付けらんなかったら意味無いからって、もっとちゃんと調べられるように」
ふと、険しい顔のままにアギトはそんなことを漏らした。たしかに、言われなければ気付かない程度にだが、馬車の進行速度が低下している……気がする。
「……とするならば、彼はこの近辺に魔女がいる可能性が高いと考えている……何か、本能的な部分に感じるものがあったのでしょうか」
もしや、彼に力が戻った……のだろうか。こんな窮地に、都合良く、求められている力が手に入った……なんてことが……
いや……いや、いや。そうだ。彼の力は、彼が求めた分だけ成長すると言うものだった。ならば、捜索、探知、索敵について彼が高い能力を求めたのならば、その内に刻まれた力が真価を発揮し始めても不思議は……
いや、その可能性は低い。勝手な希望を抱きながら、私は結局その結論に至った。何故なら、これまでにもその力を求める場面は数多くあったのだから。
では、部隊が減速している理由は……
「…………いや……これ、違う……っ! ちょ――まさか、これ――――」
「え――わっ。馬車が傾いて……揺れ――」
結論を出し、諦め、そして勝手に落胆しているところへ、大きな揺れが……ある意味、正しい回答とも捉えられるものが襲った。
馬車が大きく傾いている。急勾配を登り始めたように、進行方向を上にしてぐんぐんと傾いて……けれど、遂にはバランスを崩したようにふらふらと揺れ始めて、前に進むことも覚束なくなって――
窓を見れば、そこには木々を見下ろす景色があった。どうしたことか、馬車は空高くまで持ち上げられているようだ。そしてそれは、何もこの馬車だけに襲った異変ではなかった。
狼狽える声が聞こえる。そして、慌てた馬の鳴き声も聞こえる。馬車隊も騎馬隊も区別無く、すべての部隊が何かの力によって持ち上げられて――――
「――フィリア!」
「っ! ユーゴ!」
持ち上げられたいくつもの馬車の上を駆けて来るその姿が見えた。私を呼ぶ声が、心配する声が聞こえた。
この異常事態を前には、何を説明されるよりも納得せざるを得ない。
探して見付かるものか。隠れられては手の打ちようも無い。と、間抜けな心配などまったく不要だと言わんばかりに、その怪異は一切の容赦無く襲い掛かった。




