第五百二十二話【陽の隣の星】
部隊はつい先日通ったばかりの谷を抜け、その時には待ち伏せがあった地点を通り過ぎようとしていた。
問題は起こっていない。いや……問題自体は発生しているが、それによる被害は出ていない。
ミラの不在――感知能力、対処能力の大幅な減少があったにもかかわらず、部隊はまだ一切欠けていないのだ。その理由……要因は……
「――まだ――まだ――――ここ、来る――っ。魔弾の射手――ッ!」
予期出来ない筈の攻撃を、予知している人物がいる。窓から外を睨んで、魔具を握り締めて、空に現れていないその事象を先んじて察知する少年が――アギトがいる。
これまでに見た彼とはまったく違う人物に見えた。それは、普段の彼が頼りないという意味ではない。普段の彼にはない、ある種ミラの能力に近い特異性を発揮しているから。
もしや、本来のアギトはこうだったのだろうか。ミラの陰に隠れ、彼女の能力の前に霞んでいただけ……彼自身が目立つ必要が無かっただけで、ミラに次ぐ感知能力、そして予測能力があった……のではないか。
もしもそうならば、ミラの言っていた言葉が……有事にのみ真価を発揮するとされた評価の真意が、有事でしか――ミラに頼ることが出来ない状況でしか明るみに出ない……と、そんな意味だとすれば……
「――フィリアさん。この先、ずっと行ったところ。大きい段差がありそうです。前の馬車が結構跳ねてるんで、気を付けてください」
「は、はい。では、荷をこちらに纏めておいた方が良いですね」
そうじゃなくて、ケガに気を付けて……と、アギトは荷物を手で抑える私に苦笑いでそう言った。戦う為の物資よりも、私個人が怪我をしないように、と。
その言葉は彼らしいものだった。アギトらしい……悪い意味では、のんきな言葉に思えた。
だが……それを口にしたのは、たった今までに魔獣による急襲を……魔獣を道具として用いた、魔女による頭上からの攻撃を予期し、対処している人物なのだ。その差が私には理解し難かった。
彼は彼のまま、普段通りの少し頼りない人物のまま、能力だけを見せ付けてくれている。いや……違う。これだけの能力を持っていても、ミラの隣にいた所為で自信を付ける機会に恵まれなかった……のだろうか。とすれば……
「……っ。アギト、ユーゴが今どこにいるか分かりますか。そして、今彼が何をしているのか、についても」
「ユーゴですか? えっと……ここから四つ……いや、今五つ前の馬車に移動しました。基本的には戦わずに、状況確認と指揮に徹してくれてるみたいですね」
私の問いに、アギトはすぐに答えてくれた。目で見てすぐに分かるもののように、彼の位置からでは確認が難しいであろうものを。
彼は馬車の窓から周囲を見ているに過ぎない。そして、窓は馬車の側面にしか付いていない。
前方は彼にとって死角なのだ。少なくとも、真っ直ぐに目を向ければ見えると言うものではない。
きっと今のアギトは、見える範囲の様々な情報を掻き集め、それらをもとに事態を把握しているのだ。
音だろうか。それとも、影だろうか。あるいは戦況……彼から見えやすいであろう魔獣の動き、そして馬車列から少し外れて動く騎馬隊の動きから逆算しているだろうか。
ともかく、今の彼は……
「……アギト。ひとつ、頼まれてはくれませんか。この後方から、主に騎馬隊へ向けて指示を出して欲しいのです」
もしかすると、ジャンセンさんに匹敵するだけの視野を持っているかもしれない。いや、この戦場において見えているものに限れば、あの方やマリアノさん以上に広く捉えている可能性もある。
ずっと埋まらなかった穴が……視野の広い指揮官が、ここへ来てふらりと現れてくれた。私では到底務まらなかった役割を、今の彼にならば任せられるかもしれない。いや、任せたいと思わせてくれる。
アギトはしばらく攻撃を続けて、それが落ち着くと急いでこちらを振り返った。真剣な顔を……怖いくらい冷静な顔をしている……のかと思っていたのに。まるで遊んでいるさなかの子供のような、無邪気な顔を向けてくれた。
「指示ですね、分かりました。なんて伝えれば良いですか? あと、一応……アテにならないかもしれないですけど、俺にも作戦教えてください。こう見えても勇者ですから、それなりには自分で考えて動いてみせます」
「……こ、この期に及んでまだそんなことを……」
無邪気な顔で……またなんとも、気の抜ける発言をしてくれた……。まさか、アギト自身は気付いていないのだろうか。今、自分が魔女の攻撃を予期し、対処し、そして状況を誰よりも広く把握している事実に。
「……こほん。私からの指示ではありません。貴方に……アギトに、騎馬隊の指揮を執っていただきたいのです。もちろん、全権を任せるとまでは言いません。魔女の攻撃へも対処せねばなりませんから。ですが……」
縦に長く連なった馬車隊にとって、側面からの攻撃は致命的になりやすい。隊列が分断されやすく、応手にも選択肢を広く取ることが出来ない。
だからこそ、前後へ自由に動ける騎馬隊の働きは大きな意味を持つ。かつてはマリアノさんが率い、ジャンセンさんが指示を飛ばして活躍していた部隊を、この時には彼に任せてみたいと思ったのだ。
そんな私の意図にようやく理解が及ぶと、アギトはしばらく黙り込んで…………あっ、違う。まだ理解が及んでいないようだ、これは。首を傾げたまま、眉間にしわを寄せて……
「……? えっと……俺が……指揮を……? オレガ……ミンナニ、メイレイ……」
「ど、どうして急に理解力が落ちてしまったのですか。先ほどまですべてを見通しているような活躍ぶりだったではありませんか」
どうにも……ううん。自信の無い、自己評価の低過ぎる少年だとは思っていた……が……これほどとは。
それでも、しばらく時間を掛ければ事態を飲み込んでくれたようで、虚空を眺めていた目が次第に私の方へと向いて……そして……
「お――おおおおおお俺にででででででで出来ますかねっ⁉ いえ! その! ま、ままままま任せて頂いたからには全力で取り組ませていただだだだだだだ――っ!」
「っ⁈ お、落ち着いてください。先ほどまで出来ていたのです。先ほどまでしていたことを、騎馬隊にも声を掛けながらしていただくだけで良いのですよ」
ことがそう単純でないことは理解しているが、しかしそう大仰に捉えるほどすべきことが変わるわけではない……筈なのだがな。
どうしたものだろう。もしかしたら、遂に埋まったと思った穴を私自ら掘り返してしまったかもしれない。もしやアギトは、プレッシャーにとてつもなく弱い気質なのでは……
「……頑張ります。ミラが頑張ってくれましたから、俺だって。世界一可愛い妹が頑張ってるなら、お兄ちゃんはそれ以上に頑張らないと」
「……ふふ。頼もしい限りです。どうか、お願いします」
だが……真っ青な顔のままに、アギトは真剣な表情で頷いてくれた。なんとも他人本位なモチベーションではあるが、しかしふたりで一組の勇者となれば、これでも正しいのかもしれないな。
「じゃあ……その……えっと。すいませーん! ちょっと良いですかーっ!」
頑張る。と、そう宣言してすぐに、アギトはまた窓の外へ目を向けて、身を乗り出して騎馬隊に指示を出し始めた。
思えば、彼の言葉はユーザントリアもアンスーリァも隔てることなく通じるのだから。指示役として、これ以上の適任は初めからいなかったのかもしれないな。
「先ほどまでずっとあった不安が嘘のようです。やはり、貴方もミラと同じなのですね」
油断は出来ない。してはならない。慢心などあり得ない。それでも……今のアギトの活躍ぶりを見ていると、もしかしたら……と、希望を抱かずにはいられない。
なんにせよ、魔女の攻撃に対処出来ている事実は揺るがないのだ。先ほどアギトが私に掛けてくれた言葉を引用するのならば、この状況を無貌の魔女も予測していなかった……だから、バタバタしている可能性は十分に考えられる。いや、していなければ話が合わない。
ミラによってあの巨大な魔獣が撃退されてから、それからやっとこちらに攻撃の手が移った。それまではきっと、あちらさえ抑えれば自身には刃が届かないと考えていたのだろう。
その目論見が外れて、迫る部隊に脅威を感じて。そして……
迎撃する為に。そうだ、迎撃……迎えで撃つ為に。取り込んでから叩き潰すのではなく、乗り込まれる前に戦力を削らんと、こうして攻撃を急ぎ始めた。これを見て、どうしてバタついていないと思えるものか。
無貌の魔女は間違いなく疲弊している。そして、予定外の事態に慌てている。
こちらもまた、疲労はある。それに、予定外が続いているのも同じこと。だが……
予定外が好事か悪事かの違いははっきりと出る。ミラがあの魔獣をひとりで制圧してくれた。アギトが戦況把握能力を見せてくれた。そして、勝手に無欠の怪物と思い込んでいた魔女の心にも波が立つのだと知ることが出来た。
勝利は必ず手に入れられる場所にある。機を逸さず、万全の攻撃を加えられたならば。絶対に勝って帰ることが出来る。
新たな指揮を加え入れて、馬車は未解放地区へと侵入した。先日の作戦で立ち止まった地点から更に奥……あの魔女が身体を休めているであろう場所に向かって。




