第五百六話【交差する戦士達】
魔術翁からの報告により、ミラは無貌の魔女に対して何かしらの手掛かりを手に入れた様子だった。
それを詳しく説明してはくれなかった……まだ切り札として信頼を預けられるものではないと判断されたのだろうが、しかしわずかでも光明が差した事実は小さくない収穫だろう。
その後、魔術翁には再び調査に出発して貰い、私達はこれまで通りに……得た情報に左右されることなく、変わらない作戦を継続することが決定された。
手にしたわずかな欠片は、まだ武器には出来ない。ならば、今はまだ手段を変える段階ではないだろう。
そして、その決定からまた二日。私達は遠征に……合流してくれた元国軍の兵士達を中心とした新部隊を率いての作戦に出発していた。
「まさか、もう一度貴方達と共に戦う日が来るとは。特別隊を立ち上げたあの日、国軍の指揮権を放棄したあの時には思いもよりませんでした」
今、私が乗っている馬車の中には、普段とはずいぶんと違う活気が満ちていた。
ユーゴがいて、アギトとミラがいて。私を含めてたった四人だけの移動とは打って変わって、今日はかつて国軍の兵士として同行してくれたギルマン達が乗っている。
もちろん、だからと言ってアギトとミラが同行していないわけではない。
普段の目的地を定めない作戦とは違う、すでに安全を確保した地点の事後確認が主な目的だが、しかし危険がまったく無いわけではないのだ。
ゆえに……
「……あの、皆どうかしましたか……? 仮にも女王を前にしているのですから、気を遣うなと言うのも難しい話かもしれませんが……しかし、以前にはもう少し砕けた態度を取ってくれたではありませんか。その頃と同じように、私ともユーゴとも気楽に接してくれて構わないのですよ」
私とユーゴがいて。アギトもいて、ミラもいて。そこにギルマンとジェッツ、グランダール、それに馭者台にはアッシュがいる。彼らはかつて、ヨロクへ向かった際からしばらく共に戦ってくれた、特にユーゴと打ち解けてくれた者達だ。
それでも、ほとんど初対面の、それに外国の英傑と席を共にしたならば、簡単には気を緩められないのだろう。皆どこか緊張した面持ちで、同様さえ感じられる顔色で、私とミラとを見比べて……
「…………おい。アホ。このアホ。アホデブ。お前、王様名乗るんだったらもうちょっと気を使え。アホ」
「阿呆……そ、そんなに罵らなくとも良いではありませんか……」
しかし、彼らはかつてユーゴとは対等な関係を築いてくれたのだ。ならば、もっと人懐こいアギトとミラとはすぐに打ち解けられる……いや。これからの作戦を考えれば、打ち解けて貰わねば困る……と思い、私は皆に声を掛けた……のだが……
どういうわけか、そんな私にユーゴは罵倒の言葉を浴びせる。浴びせ……桶に溜めた水をひっくり返したかと思うくらいのとんでもない量の、けれどたった一種類の悪口を叩き付けるのだ。
「……こほん。たしかに、私は察しが悪いところがあるかもしれません。ならばこそ、そうして口悪く罵るだけでは伝わらないこともあるのです。ユーゴ、伝えたいこと、私に知らせねばならないことがあるのなら、もう少し……暴言にも手心を加えながら、しかと伝えて頂かないと……」
「いや、それ乗っけてんのにみんなびっくりしてるのは流石に分かれよ。こっち来る前はもうちょっとマシだったぞ」
それ。乗せている。とは? と、ユーゴの言葉を理解し切れずに首を傾げていると…………ごつん! と、乾いた音が聞こえて、視界の端でアギトが両手をついて頭を下げたのが見えた。
「――申し訳ございません! 女王陛下! 何度も――何度も何度も、もう耳が千切れてもおかしくないくらい言って聞かせているつもりなのですが! どうしても……どうしても…………陛下からももう少し拒んでいただけないと……それもきちんと理解出来ないようで……」
「……え、ええと…………あ、ああ、なるほど」
そんなアギトの姿に、そしてそれを見る困り果てたユーゴの顔に、更には私と彼らとのやり取りを呆然として眺めるギルマン達の様子に、私はやっと状況を理解した。なるほど。皆、この状況に……私の膝の上で丸くなっているミラの姿に、まったく理解が追い付いていないのだな。
「おっと、そうでした。まずは紹介せねばなりませんね。この愛らしい少女はですね、ミラ=ハークスと言って……」
「そうじゃねえよ」
このアホ。と、呆れ果てた言葉と共に、ユーゴは私の頭を叩いた。い、痛いではありませんか……
「こほん。皆、この子がこの場に相応しくないと思って動揺しているのでしょう。今、私達は危険な作戦の真っ只中にいる……と、そう聞かされているにもかかわらず、彼女はのんびりと眠ってしまっている。それが不自然に思えるから、納得が出来なくて……」
「違う違う違う、そんなわけあるか。いや、それも無いわけじゃないだろうけど、それじゃないだろ、絶対」
それではない……とは、いったいどういうことだろうか。ユーゴの言葉が理解出来なくて首を傾げていると、彼は大きな大きなため息をついて……
「……いや。そう……だな。俺の所為かもしれない。チビの所為が九割だけど、俺も……うん。そういうとこあるから……」
少しだけ……ほんの少しだけ、申し訳無さそうな顔でそう呟いた。それから……鞄の中身を全部床に並べて、それを大きく振りかぶって――
「――もうちょっと王様らしくしろ――っ! このアホ――っ!」
「――いたいっ⁉」
思い切り……人を罰する範疇で最大限に、力いっぱい私の頭に叩き付けた。い……いたい……っ。
「みんなの前ではちゃんとするとか言ってただろ! 自分で! 威厳がどうとか! いや、駒かい理由は知らないけど」
「…………ああ、なるほど」
なんだ、そういうことだったのか。と、私が納得したのを見るや否や、ユーゴはもう一度鞄を振りかぶった。も、もう叩かないでくださいっ。
「……こほん。皆、ミラが何者なのかと……私と対等に接しているからには、何か特別な存在であるのではと考え、緊張しているのですね。ならばなおのこと、かつての通りに振る舞っていただいて構いません」
理解してみると、なるほどまったく当然のことだったな……と、ユーゴが怒鳴って殴り掛かって来た理由も納得出来た。
皆の目には、ミラがどう見えていただろうか。解は単純だ、この国の女王の膝の上で丸くなって眠っているこの少女は、きっと敬わねばならない高貴な存在に思えたのだろう。
もっとも、ユーザントリアの大英雄ともなれば、相応に敬意は払わねばならないだろう。それも間違いではない。だが……
「アギトも顔を上げてください。彼らふたりは……そう、ユーゴの友達なのです。そして、私も仲良くしていただいています。皆には、かつてユーゴにしたような接し方をしていただければ……」
「ちょっと違う。いや、大体合ってるけど。でもやっぱりちょっとズレてる。なんか……バスカークのとこに初めて行った時くらいアホになってるぞ」
ぽこん。と、少しだけ優しく頭を殴りながらユーゴはそう言った。ま、まだ何か問題があるのですか……
「みんな、危ないのを承知で来てくれたんだろ。フィリアを守る為に、国を守る為にって。それを……はあ。王様のフィリアが率先してのんきなことしてたら……」
「うぅっ……な、なるほど……そういうことでしたか……」
うぐっ……お、思っていたよりも痛烈な駄目出しを食らってしまった……
だが……ふむ。ここまでの下らない、気の抜ける……私の醜態の成果もあってか、ギルマンらの顔からはこわばりが取り除かれつつあるように見えた。
アギトもやっと顔を上げてくれて……なんとかミラを私の上から退かそうとはしているが、しかし真っ青だった顔にも血の色が戻って、どことなく気を緩めた様子で皆を見ている。
「……ごほん。それでは……女王陛下の御前ではありますが、ユーザントリアよりいらした頼もしい仲間に挨拶をさせていただきましょう」
「っとと、ごほん。だったら先に余所者から名乗るべきですよね。俺はアギトって言います。ユーザントリアから来た…………あんまり頼りにならない方の勇者です。それで……そっちの超絶不敬者が、究極可愛い妹兼最強の勇者、世界一お兄ちゃんっ子なミラです」
そうなれば、もう私やユーゴが何をするまでもなく、馬車の中には温かな空気が漂い始める。
ギルマンが、ジェッツが、グランダールが。そして、彼らが自己紹介を終えれば馬車の壁越しに馭者席のアッシュが、次々に挨拶をする。アギトはそれにいちいち頭を下げて、この出会いに感謝をしているようだった。
ミラの自己紹介はそれからしばらく後……目的地に巣を作り始めていた魔獣をせん滅することで、言葉よりも雄弁に伝えられた。今、私達の中で最も頼りにして良い最強の勇者が彼女なのだ、と。




