第五百二話【背を押すものは】
ダーンフールに戻って一度目の遠征に成功したその翌朝、私はまたアギトとミラのもとを訪れていた。
何か問題があったわけではない。むしろ逆、問題があったかどうかを……何も無かったことを確認する為に、ミラに話を聞こうと思ったのだ。
もちろん、何かあればすぐに教えてくれただろうから。不要と言われれば不要ではあるのだろうが、しかしミラの能力と精神性に任せっきりで確認さえ怠っていては指揮官として最低限の仕事も出来ていないと罵られてしまう。ユーゴに。
そういうわけだから、今朝も早くから……ユーゴに起こされて、それからしばらく前日の遠征についての所感を話し合って、ミラに尋ねたいことをある程度纏めてから……日も高くなる頃に部屋を訪れた……のだが……
「……すみません。どうにもこう……緊張感の無いやつで……」
「いえ、ふふ。まだ休んでいるのなら、それだけ疲れていた証拠でしょう。私達に出来ないことが多いばかりに、ずっとずっと頑張ってくれていたのですね」
部屋へ入った私が見たのは、アギトの背中の上で眠っているミラの姿だった。ふふ……こうしていると、本当に仲が良いのだと実感するな。その……どうしてか、起きているとすぐに噛んだり睨んだりするから……
「ところで……今朝はおひとりですか? その、多分……ですけど、昨日の遠征について……それから、これからの作戦について話をしに来た……んですよね? そういう時はユーゴも一緒なイメージがあったから……」
「ええと……はい、その通りです。昨日の成功について、そしてこれからの成功の為に何をすべきかと相談に来ました。それで……ですね……」
こういう時にはユーゴも一緒……か。私自身も自覚はあったが、やはり周りから見ても彼に頼っているように見えるのだな。
それ自体を恥じるつもりも無いし、問題があるとも考えない。ただ……どうにも、王として、指揮官としては威厳に欠けてしまうかもしれないとは思う。もう少し自立すべきだろうか……と、それは良くて。
「ユーゴは今、新たに加わってくれた部隊のもとを訪れています。彼らにも事情を詳しく説明する必要があったことと、もし前線へ出る機会がやってきたならば、ユーゴとの連携については問題無く取れるようにしておかなければなりませんから」
「なるほど、そういうことだったんですね。たしかに、そういうとこはコイツも気にしてましたから」
珍しく私がユーゴと別行動を取っているのは、彼に任せたい仕事が……彼にだから任せられる役割がまた増えたからだった。
今、この砦には大まかに分けて三つの戦力が集まっている。ひとつはユーゴとミラ、そしてアギトという、本当に特別な力を持つ、たった数人の特殊な精鋭。
もうひとつは、ヘインスの纏めるユーザントリア友軍の騎士達。それに加えて、ベルベットもそちらへ同行させている。ミラとは比べられなくとも、特別隊の隊員やアンスーリァ国軍に比べて戦闘経験の多い、練度の高い戦闘部隊と呼べるだろう。
そして、先日ヨロクを訪れた際に合流してくれた、かつて国軍に属していた兵士達の部隊。私とユーゴの戦いに数度参加してくれただけの縁で、軍を抜けてまで駆け付けてくれた仲間達だ。
この三つの部隊において、友軍部隊と元国軍部隊とでは連携が取りづらいだろう……と、ミラはそれを懸念していた。そして、残念ながらそれは覆しようのない事実だ。
友軍の全員がアンスーリァの言葉を学んでいるわけではない。そして、私がそうであるように、ユーザントリアの言葉を理解出来ている人間も多くない。文化の違い、練度の違い以前に、そもそも言葉の障壁があっては連携もままならないだろう、と。
「ふたつの部隊は連携させ難いかもしれません。ですが、だからこそ……です。だからこそ、せめてユーゴやミラとは連携を取れるように……小規模の遠征や作戦に帯同させ、その際には友軍の皆を休ませてあげられるようになれば、と」
今から全員にユーザントリアの言葉を覚えろと言うのは、いくらなんでも難しいし時間が掛かり過ぎてしまう。
ならばせめて、言葉の通じるこの少数部隊とは連携出来るようにしておくべきだ。と、今朝早くに部屋へやって来たユーゴと共にそんな結論を出したのだ。
「彼らは友軍の騎士に比べて練度も高くないかもしれません。ですが、かつてのユーゴの戦いを目の当たりにした経験があります。それに、自らの立場や名誉を投げ打ってでも私の下へ来てくれたのです。その志、愛国心はきっと大きな成果を呼び込んでくれるでしょう」
それに、彼らには成果がある。バスカーク伯爵と協力出来ていたのも、ジャンセンさん達と会えたのも、彼らの助力無くしては成し得なかったことだ。それらの実績を鑑みれば、砦に待機させて準備を手伝わせるだけでは勿体無いと言えよう。
「……その愛国心があんまり良くないって思ってるんだけどネ。ふわ……ま、リスクの分だけリターンも大きくなると思えば、そう悪い賭けでもないのかもしれないケド」
「っと。なんだ、聞いてたのか。ってか、起きたらすぐ降りなさいよ。フィリアさん来てるんだぞ」
おっと。私の話に返事をしてくれたのは、アギトではなく彼の背中の上で眠っていた……筈のミラだった。起きていたのですね……あるいは、起こしてしまった……でしょうか。
「むにゃ……ふわぁ。前にも言ったけど、アンスーリァの兵士を巻き込んでの失敗は許されないワ。これがただの勝利を求める戦いじゃない以上、希望を反転させかねない要素は可能な限り排除すル。これが鉄則で、フィリアが求める未来を手にする為の絶対条件ヨ」
「……彼らを失えば、彼らを愛した民からの憎しみが私へ……このアンスーリァ王国へと向いてしまう。はい、そのことは重々承知しています。それでも……」
それでも、手を貸してくれると言ってくれた彼らを置き去りにはしたくない。
分かっている。これは私の独善だ。彼らの期待に応えたいと、その手を取って共に歩みたいと、そんな身勝手な願いだ。
身勝手……だとしても、彼らの誇りを、誉れを、尊厳を踏みにじることは出来ない。立ち上がってくれた彼らに、役に立たないから帰れなどとは言えない。言いたくない。言うつもりなど毛頭無い。
ただ……それ以上に、私の中にそうせざるを得ない事情もある。ずっと付き纏っている人員不足の問題もあるが、私がこれまでずっとそうすることで進んできたという自負……この場合に限り、ある種呪いに近い実感があるから。
「いつかのアギトの言葉を借りるのならば、ジンクス……とでも言うのでしょうか。私は……私達は、いつでも誰かの力を借りてここまで進んできました。そして、それらには一度として区別をしたことが無かったのです。誰の手も借り、誰の力も借りて、ここまでやって来ました」
私達はこれまで、背中を押して貰って進んできたのだ。進んで来られたのだ。なら、今更になって自立したような気になるのは違う。それは思い上がりで、慢心で、大き過ぎる油断だ。
兵士達に力を借りるのは、リスクを取って大きなリターンを得に行く策ではない。私にとってそれは、当たり前のことなのだ。そうすることが、最も私“らしい”選択なのだと、胸を張って答えてみせよう。
「ですから、彼らにも作戦に同行して貰う日が来るでしょう。と言っても、あの部隊だけではあまりに小さ過ぎますから。ヘインスや他のアンスーリァの言葉を会得している騎士にも参加して貰っての、混合部隊での出発にはなるでしょうが……」
「……まあ、大きな作戦でなければ問題も起きにくいでしょうから、それで少しずつ慣らしていくのも手かもしれないワ。魔女との戦いが終われば、今度は大人数での魔獣掃討作戦が待ってるんだもノ。その時になってから連携を強化し始めてたんじゃ遅いものネ」
ふう。と、ミラは小さくため息をつくとそう答えて、そして……アギトの背中から飛び降りると、そのまま私の方へやって来て、正面からぎゅうと抱き締めてくれた。ふふ、良い子良い子。
「となったら、その時も私がしっかりしないといけないわネ。不慣れな部隊も、ぎこちない連携も、全部守って成功させるから安心して良いわヨ。んふふ」
「ふふ、頼もしい限りです。本当の本当に」
任せテ。と、ミラは私を抱き締めたまま胸を張って、それから背伸びをして…………も、私の顔にはとても届かなかったからか、喉よりも下に頬をすり寄せて笑った。本当にこの子は小柄で愛らしくて……それで…………本当に私は無駄に大きいのだな……可愛げの欠片も無い……
「……っと、そうです。その話も大切ですが、もう少し細かく……そして、直近に行うであろう作戦について。昨日の反省もしながら、ミラに相談したいことがあるのです。聞いてくださいますか……? あの、ミラ……?」
っとと。自分が不必要に大きいことなどはどうでも良かった。すべき話をせずに遊んでいたのでは、それこそ本当に大きいだけの無能になってしまう。と、もう一度ミラに話を聞いて貰うようにと声を掛けた……のだが……
残念なことに、ミラはもう一度夢の中へ落ちてしまったようで、私の腕の中ですやすやと健やかな寝息を立てていた。なんと愛らしく、幼気で……そして……困ったことだろうか……




