第五百一話【再編成、再始動】
ダーンフールの砦へ戻って二日。私達はまた遠征に出発する。
かつて国軍の兵士として力を貸してくれた新規部隊は、ひとまず砦の警護、そして物資補給の手伝いを任せることになった。
最前線へと向かうのは、私とユーゴと、アギトとミラ。それから、ベルベットも加えたユーザントリア友軍の部隊だけ。
以前の通りに、魔獣との交戦があればその時点で撤退すると定め、私達はこれからまた北へと進むのだ。
「――最終的な目的地はアルドイブラ。けれど、それはあくまでも最大の結果でしかありません。作戦の本分はより広い範囲を解放すること。そして、可能な限り被害を抑えることにあります」
ここより北へ向かい、かつて魔女と初めて交戦した場所も無視して、以前にゴートマンと戦った場所をも通り越す。
明確な目的は無い。より正確には、定められるものではない。
この先に魔人の集いの本拠地があるのか否か、それが分かっていないのだ。
この先に魔女が眠る場所があるのか否か、それも分かっていないのだ。
何も分かっていない。ならば、不明を解明する為に私達は進まなければならない。
「では、これより部隊を北へ進めます。しばしの時間が空きました、魔獣の数もまた元に戻っている可能性が考えられます。皆、細心の注意を払って付いて来てください」
何が待ち構えるかが分からずとも、何をすべきかは明確になっている。それだけは、ひとつ安心出来る点だろうか。
私の号令に部隊は地鳴りと間違えそうな雄叫びで応え、そしてゆっくりと進攻を開始する。
部隊の並びはこれもやはり以前と変わらない。ユーゴがいて、ミラがいるこの馬車が一番前。彼らの切り拓いた道を進み、その先に標を打ち込む。これを淡々と繰り返すだけだ。
ただ……ひとつだけ、変わってしまったこともあって……
「……じゃ、再確認しとくわヨ」
進み始めた馬車の中で、ミラは私の膝の上に座ってそう言った。アギトに、ユーゴに、そして私に。全員に言って聞かせるように。
「魔獣の群れが出現した場合……それも、意図して配備されたものとぶつかった場合。私とユーゴで蹴散らして、部隊の力で殲滅して、ベルベットの力で隊列を反転させてそのまま帰還すル。これが一番可能性が高くて、一番簡単に対処出来るケースになるワ」
一番簡単に……と、ミラはそう言って、本来ならば絶望的な状況への対処を語った。その絶望を容易へと書き換えるふたつの名前を挙げて、その力を以って解決するのだと。
「それで、次。あの無貌の魔女が出た場合ネ。これもやっぱり私とユーゴとで対処する……んだケド。こっちにはアギトの存在も欠かせないワ。それと合わせて、交戦よりも前に部隊を退かせる必要もあル。探知も難しい相手だけに、咄嗟の判断が求められるでしょうネ」
そして次にと語ったのは、魔女が……かつて特別隊のすべてを蹂躙した特異な存在が現れた場合への対処だった。
それは、とても対処方法とは呼び難いものだった。ただ、被害を最小限に抑える為の予備策であり、魔女そのものを打倒する手段について語ったものではない。
ただ……これもやはり、以前と変わらないものだ。魔女にとってはおそらく最初の恐怖であろうアギトという存在を活用し、ユーゴとミラの力で致命傷を与える。それが叶った場合にのみ、私達は生還を許されるだろう……と、それはとうに腹を括った話だ。
「……で。アイツが――ゴートマンが出た場合、ネ。この時には……バカアギト」
「分かってる。俺がお前と一緒に出て、ユーゴとベルベット君が部隊を守る。ふたりでひとつの天の勇者として、足は引っ張らないよ」
そして……これが、たったひとつ変わってしまったこと。ゴートマンとの戦いにおいて……いや。人間との戦いにおいて、ユーゴは前線を退くという決定。
ユーゴには力がある。特別な能力がある。召喚に際して与えられた、この世界で最も強くなるという特異性が。
だが……だが、彼にはそれを十全に振るう心が……人を相手にそんな力を振り回すような、タガの外れた悪心が無かった。それがたとえ自らを害する悪人であっても、彼は他人を傷付けられない。
ゆえに、ミラはその力を諦めると決断した。少なくとも、魔獣や魔女を相手には戦えるのだから、そちらに専念させるべきだと。そちらに支障をきたしかねないのだから、不必要な場面で心をかき乱すべきではないと。
そして、ユーゴ自身がそれを受け入れた。弱さとも捉えられるその心を、彼が自覚し、それがこの瞬間には不要なものだと自ら決断したのだ。
「ユーゴ。こう見えても意外とヤバいやつと向き合う機会は多かったんだ、任せて。その代わり、もっとヤバいやつはそっちに任せるからさ」
「……任せられるほどは頼もしくないんだよな。まあ、こっちの分はしっかり受け持つけど」
決断を自ら下したから……だろうか。ユーゴはどうにも変わらない小馬鹿にしたような言葉を、どこか余裕のある表情で口にした。彼がそんな様子だから、任せてと言ったアギトもまた穏やかな笑顔を浮かべている。
ふと、以前にもこんなことがあったかもしれない……と、思い出したことがあった。そしてそれが、まったく真逆のことが起こっていたにもかかわらず、今と同じ関係性を意味するものだと気付いた。
「……ふふ。変わったのか変わっていないのか、なんとも判断に困りますね」
「……? なんだよ、いきなり。アホみたいなこと言って」
どうしてこの子はすぐに人を誹謗するのだろう……。これも愛情表現……ミラがアギトに噛み付くのと同じだと思えば……思えば……ううん。それでも傷付くのは傷付くのだよな……
私が思い出していたのは、奇しくも今と同じ状況……ダーンフールを出発し、明確な標も無く遠征に出ようとしていた時のことだ。
あの時は、ジャンセンさんがユーゴに向かってある策を講じていたのだ。それは、彼が体力を温存出来るように、不必要な段階での不要な進化を妨げるというものだった。
ユーゴの進化にはイメージが欠かせない。しかしながら、戦いなんてものと縁遠い生活を送っていたユーゴにとって、強さの想像を繰り返すことは簡単ではないように思えたのだ。
だから、越えなければならない問題の出現まで――彼でなければ対処出来ない事態に陥るまで、その力を押し留めておこう……と。あの方はそう考えて……ユーゴを挑発し、悪い意味で集中をかき乱したのだった。
今はそれとは違う。むしろユーゴは集中出来ている。穏やかで、けれど張り詰めていて。あらゆる事態に対処しようと、自分が任されたものごとだけに向かい合っているように思える。
けれど、それらの本質は同じ、たったひとつの考えだ。それは……
「……ユーゴ。私は貴方を信じていますから。今までがそうだったように。そして、これからもそうであるように。貴方はきっと、私達に勝利を、そしてアンスーリァに希望をもたらしてくれるのだと」
「……本当にいきなりなんだよ。アホ過ぎてよく分かんない幻覚でも見たのか?」
ぐっ……どうしても綺麗には収まらないのだよな、私と彼とが話をすると。
しかし、ユーゴは呆れた顔でため息をつきながらも、私から目を背けなかった。言葉の上では軽くあしらっていても、きっと私の気持ちは……皆の気持ちは、彼への期待は伝わっているのだろう。
「フィリア。私もいるんだから、もっと安心して良いわヨ。ここにいるのはただの勇者じゃなくて、世界を救う天の勇者なんだもノ」
「ふふ、そうですね。ミラの強さ、賢さ、それに優しさは本当に心強いです。きっと私達を、そしてこの国を守ってくれると信じています」
んふふ。と、ミラはにんまり笑って私を抱き締めてくれた。この子の明るさ、愛らしさは、愛情が真っ直ぐに届けられるから……ふふ。どうにもくすぐったささえ感じてしまう。なのに、どうしてアギトにだけはあんなに険しい顔をするのだろう……
馬車の中に過剰な緊張は無い。この先に何が待つか、詳細はミラにさえ分かっていないと言うのに、だ。
少しだけのんびりと、けれど十分な警戒心は持ち合わせたまま。全員が良い集中力を発揮したまま、馬車はぐんぐん速度を上げ、北へ北へと突き進む。
勝利を手にし、今日の無事を祝う為に。戦えない私にも、きっと何か出来ることがあるだろう。と、それを信じて、私も出来る限り周りに意識を向け続けた。魔獣の群れが出現し、それをミラとユーゴが蹴散らしてくれるその時まで。
そして、その日の遠征は成功という結果で締めくくられた。
進み、倒し、そして帰還する。これからあと何度繰り返すか分からない勝利の一歩目を、私達は揃って……王も食客も、友軍も、元国軍も、誰にもなんの区別無く、全員が揃って喜び、夜を迎えた。




