第五百話【安全確認と手札の減少】
ランデルとヨロクの無事も確認し、かつて作戦を共にした兵士達も仲間に加わってくれて、そうして私達はまたダーンフールへとやって来た。
到着してまず行ったのは、砦の機能が十全に機能するかの確認……つまり、留守の間に攻撃が無かったかと確かめることだった。
部隊の半分を砦の内部へ、もう半分を砦の周囲と旧市街区画へと分けて、人の目によって問題を洗い出す。
それと並行して、ミラとベルベットの知識と眼識……魔術に対する感知能力を用いた調査も進める。
またしてもミラの力に頼る形にはなってしまうが、しかしそれを嘆いている時間も余裕も無い。
「ミラ、この部屋はどうでしょうか。見たところ、荒らされた形跡はありませんが……」
すんすんと鼻をヒクつかせながら私達の前を進むミラの背中に、申し訳無さ半分、そして頼もしさ半分で声を掛ける。
そんな私の言葉に、ミラは目を閉じたままこちらを振り返って、今のところは問題無いと答えてくれた。その……魔術の痕跡とは、匂いで分かるものなのですね……
「ここに到着した時点で、砦全体に異変が無さそうなのは分かってたケド。相手が格上かもしれない以上、ちゃんと調べておかないとネ。すんすん……」
「貴女よりも格上の魔術師……ですか。何度聞いても気が気ではありませんね」
この部屋は大丈夫。ここも大丈夫。と、時折こちらを振り返ってそう言うミラの背中の頼もしさと、そんな彼女をしても格上とするゴートマンの脅威とが交互に悩ませてくれる。
このままミラに頼り続けて大丈夫なのか……と。もちろん、彼女を疑ってのことではない。ただ……彼女の言葉に何度もあった通り、天の勇者ミラ=ハークスは外国の英雄なのだ。
彼女がどれだけ活躍しても、この国には希望がもたらされない……可能性が高い。外国の介入によって平和を取り戻した……という結果だけが残り、現王政にも、それにこの後に残すつもりの民主主義の政治にも、人々を惹き付ける魅力が生まれるかどうか……
しかしながら、ミラに頼らずにあのゴートマンや無貌の魔女をなんとか出来るヴィジョンも無い。
これが贅沢な悩みだと……まだ気の早い、楽観的過ぎる悩みだとは分かっているが、しかし無視するわけにもいかないから。
そうして私が砦の安全確認とは別の考えごとをする余裕すらある中で、ミラは部屋のひとつひとつを嗅いで回った。どうも野性的過ぎる手段に思えてならなかったが……しかし、それで結果が伴っているのだから良いのだろうか。
「……ん、これで全部見終わったかしらネ。魔術痕は見当たらなかったし、それに薬品のニオイも無かったワ。正真正銘、ここはアイツらに攻撃されてないと保証出来るでしょウ」
「ありがとうございます、ミラ。本当に頼りになりますね」
ふふん。と、ミラは私の言葉に胸を張って、そしてまたぎゅうと私を抱き締めてくれた。もっと頼りにして良いと言ってくれているのだろうか。ふふ、良い子良い子。
「ここが安全なのは分かったけど、それで……ここからアイツらの気配とかが分かるようになってたりはしないのか? その……なんと言うか……」
「……ふむ。このしばらくの不在の間に、魔獣による戦線が拡大されていないか……と、懸念しているのですね?」
良い子良い子。と、ミラの背中を優しく撫でていると、心配そうな顔でアギトがそう言った。
なるほど、たしかに。時間を掛けて解放を進める……と、そうして始めたこの作戦なのだから、手を休めている間に進んだ道をまた魔獣で埋められてしまっていては意味が無い。
そんなアギトの言葉、不安に、ミラはにこにこ笑ったまま首を横に振った。その可能性は低い……少なくとも、この場所からは感知出来ない……と言いたいのだろうか。
「それをやる必要は、少なくとも向こうには無いでしょうネ。むしろ、そうなってて欲しかったくらいだもノ」
「こちらの成果を帳消しにする必要は無い……ですか。たしかに、魔女の力を思えば、少しの優劣程度に意味があるとは思えませんが……」
そうじゃなくてネ。と、ミラは私の言葉を遮って……そして、私に座るように促すと、そのまま私に背を向けて膝の上に収まった。
「これは陣取り合戦じゃないもノ。こっちはそのつもりでやってるけど、あっちは陣地をどうこうなんて考える必要が無いワ。劣勢ならどこまででも撤退すれば良いし、こっちの陣地がどれだけ残ってても目的さえ達成出来ればそれで良いのヨ」
目的……か。それが分からないからずっと困ってはいたのだが……ああ、なるほど。陣地の取返しを図ってくれていれば良かったとはそういうことか。
「あちらがこちらの成果を打ち消しに掛かっていた場合、目的の中に陣地の拡大……つまり、活動圏を広げたい意志があることが確定します。そうなれば、自ずと他の目的についても推理出来るようになるでしょう」
「そういうことヨ。でも……まったくだんまりとなったら、こっちから何かを推察することは出来ないワ」
この砦の無事は、安堵すべきことがらでありながら、同時に未だ敵の姿が分からないという現実を思い知るものでもあった……か。
そんなミラの説明に、ユーゴもアギトも渋い顔で黙り込んでしまった。もっとも気に掛けていたことがまったく解決しそうにないとなれば、今ひと時の無事や安全などは気休めにもならないのだから仕方ないが……
「……じゃあ、超高範囲探知で相手の居場所を割り出す……状況を探るってのは……やっぱり危ないのかな。でも、こっちの居場所がバレる……って話なら、ここに何度も出入りしてる時点でもうバレてそうだし……ううん……」
「そうネ。探知を仕掛けたところで、今更向こうがそれを気にして飛び出してくることも無いでしょウ。ただ……一度見られてる術である以上、もう通用しないと考えるべきヨ」
ふむ……? 探知が通用しない……とはいったいどういうことだろうか。
その……アギトが尋ねた超高範囲の探知魔術……とは、いつか魔女を引きずり出す為に使った魔術のことだろう。
だが……私やユーゴには、それがどういったもので、何が起こったのか、どういう経緯で魔女がこちらを感知して現れたのかがまったく分かっていないから。
それが通用するしないの話になったとて、前提の部分が何も理解出来ていないから……
「魔術の性質は特別なものじゃないワ。聴覚と触角を強化して、その上で電気信号と超音波を用いて周囲の地形を感知すル。元々の機能を弄ってる私だから出来る術だから、そうそう見破られたり対策されたりしない……ものなんだケド。今度ばかりは相手が悪いわネ」
ミラはその探知の魔術の大まかな説明をすると、そのまま私の手を抱き締めて……どういうわけか、優しく噛み始めた。その……それは、悔しがっている……のでしょうか。それとも、説明の為に何か意味があるのでしょうか。
「あの術は一度魔女に見せてるワ。そして同時に、あの男にも知られてると考えて良いでしょうネ。普通なら見破られようのない術でも、見破られれば対策は簡単なのヨ。来た波を感知したら、それをまったく別のものに書き換えて追い返せば良イ。そうするだけで、こっちは間違った情報を掴まされる羽目になるワ」
「……ええと……術の全貌についてはイマイチ把握し切れていませんが、しかし能力のあるものには対処が可能で……出来るかもしれない時点で、探知で得られた情報が正確なものか罠であるかを疑う必要が生まれるから……」
その探知魔術によって状況を把握するという手段は、基本的には魔力を消費するだけに終わってしまう……と、そんなところだろうか。
私の答えに、ミラはこくんと頷いて……そして、また私の手を甘く噛んだ。その……やはり、悔しかったのですね。彼女にとっては本当に特別な……絶対の自信と信頼を預けるに足る魔術式が、この状況でアテに出来ないのだから。
「やっぱり、やることは変わらないわネ。まっすぐ進んで、何かあったら引き返ス。また準備して進んで引き返して、それを目的地に着くまで繰り返すだけヨ」
「分かりやすいと考えるべきか、他に手立てがないと嘆くべきか……ですが、この場合は……」
嘆きながらも前進するしかないのだろうな。そんな諦念を抱くと、ミラはこちらを振り返って頬を寄せて来た。もしかして、私の感情に反応して噛んだりじゃれついたりしてくれているのだろうか。渇を入れる為に、励ます為にと。
その後、もう少しだけ砦の周囲を確認すると、私達は次の出発に備えて休むことにした。荷物を纏め、装備を確認し、その上で体力を回復させるべく。




