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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第三章【たとえすべてを失っても】
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第四百九十四話【ふたりの女傑】



 イリーナ=トリッドグラヴ。サンプテムを治めるもの。ユーザントリアの魔術の大家に生まれた、魔術を使えない為政者。


 私は彼女に対して、小さくない苦手意識を抱いていた。性格的な問題、そりの合わなさもそうだが、何より劣等感を覚えてしまうから。


 彼女はひとり、国を飛び出し海を渡って、そして流れ着いたこの島国で何もかもをゼロから作り上げたのだ。


 魔獣に荒らされ、人は誰も残っておらず、人間が積み上げたもののすべては廃墟という形でしか残されていない。そんなかつてのサンプテムにあって、彼女は奮起し、そして街を立ち上げた。


 その時の彼女の隣に、私もよく知る人物がいた……と、それを聞かされた時、私は少しだけ嬉しかった。傲慢かもしれない。それに、勝手な思い込みかもしれない。それでも、喜びたいと思ってしまった。


 私の知るマリアノさんは、盗賊のひとりだった。生業として盗みを働き、盗みを成立させっる為――盗むだけの価値を生ませる為に魔獣を倒し、街を守る。そんな彼女を知る人物は、少なくとも特別隊に関わったもの以外にはいなかっただろう。と、そう思っていたから。


 私の恩人は、大切な仲間は、わずかな人間だけが知る記録ではなかったのだ。と、そう思ったらとても嬉しかった。そして……とても、つらかった。


 私はマリアノさんを失った。私が、マリアノさんというかけがえの無い存在を喪失してしまったのだ……と、そう思っていた。けれど、それは違った。


 私だけではない。特別隊に与してくれた皆だけではない。私達と関わりを持っていなくとも、マリアノさんを知り、彼女を慕う人物はいるのだと。それを思い知ったら、孤独感と喪失感は罪悪感へと姿を変えてしまった。


 けれど……そんなマリアノさんの、遺体も無い慰霊碑の前で、私は彼女を知る人物と並んで花を添えられている。その事実は、やはり喜んでも良いもの……だと嬉しい。


「……本当に……本当にどこにもいないのねぇ。あのマリアノが、まさか戦いの中で命を落とすなんて」


「……戦いに身を投じるのならば、それには常に死の可能性が付き纏う……と、普通はそう考える筈なのですが。そう……ですね。私も、マリアノさんが力及ばずに倒れる姿などは、一度も想像出来ませんでした」


 イリーナは私の言葉に目を細めて笑った。まったく同じ意見だと、私の言葉に賛同するのは少し嫌なのだろう。だから、言葉にはせずに笑ったのだと思う。


 しかし困ったことに、私はまだ……そうだ。まだ、マリアノさんが死んでしまう姿などは想像出来ないでいる。ジャンセンさんと共に、逃げ延びた仲間を守りながらどこかで力を蓄えているのではないか……なんて、そんな下らない妄想をしてしまいそうになる。


 けれど、これは口には出来なかった。そんなことを言えばきっと、私はイリーナに見限られてしまうだろう。せっかく協力を取り付けられたサンプテムとの縁も切れ、今の解放作戦にも支障が出かねない。


 だから、甘ったるい妄想は飲み込んだ。飲み込んで……代わりに、ただ静かに手を合わせて頭を下げた。目の前の慰霊碑に……マリアノさんに、ジャンセンさんに。そこに名を刻むことさえ出来ていない多くの仲間に。


「……ここには特別隊の皆の魂だけが鎮められている……と、そう決められたわけでもないのですが。しかし、特別隊の……と、そう命令して作らせたものですから。けれどもうひとり、大切な仲間が……恩人が、隊の外にあったのです。生きていたならば、あるいは貴女にも引き合わせたいと思えるような、素晴らしい人物が」


「……ふぅん」


 特別隊の慰霊碑には、残念ながらバスカーク伯爵の名は刻まれていない。そもそも、かの人物を知るのは私とユーゴだけ。名前を知っているのでさえパールやリリィと、それから洞窟までの道を共にした国軍の数名だけだろう。


 だから、この場所にはあの方の魂を鎮められていない……と、私はそう考えている。そして……ならば、伯爵の心はどこに弔われているのかと、そんな疑問と、解決する手段のない絶望感もまた渦を巻いている。


「そうですね……オクソフォンのランディッチ殿に似ている……のかもしれません。私達よりもずっと長く生き、広い視野で世界を見渡して、常に未来を探り続けていた。人柄、性格については、とても人懐こく、それでいて非常に思慮深い、まるで大海のような精神を持った立派な人物でした」


 私はバスカーク伯爵の人柄を、その素晴らしさを、聞かれてもいないのに語っていた。イリーナはそれを、嗤うでも咎めるでも止めるでもなく、ただ黙って聞いてくれていた。


「貴女はいつか、ジャンセンさんを認めないような発言をしていましたね。けれど、あの方もとても立派で、素晴らしい方でした。マリアノさんをしても警戒心が高いと評するような、冷静で、けれど自分の理想に対しては高い熱意を秘めた、理想の指揮官のひとりでした」


 その次には、イリーナからすれば少し悪い因縁さえあるとも取れるジャンセンさんについて、私はまた勝手に語り聞かせた。けれど、イリーナはそれも嘲笑わず、静かに耳を傾けてくれていた。


「……特別隊は、ジャンセンさんの在り方に惹かれた若者達によって成り立っていました。そんな若い組織を、バスカーク伯爵の助言によって引き締めていました。とても……とてもとても、信頼出来る仲間だったのです。とても……重大な組織だったのです」


 イリーナは私の言葉に……泣き言に、ため息にも似た相槌を打って笑った。優しく微笑んだ。嘲笑うのではなく、慰めるでもなく、その素晴らしい組織というものに関心を向けたような……向けてくれているような、そんな笑顔だった。


「……けれど、そんな素晴らしい部隊はもうどこにも存在しない……その事実は覆らないわぁ。それで……なら、そんな悲しみに暮れた女王陛下は、これからどうするのかしらぁ」


 そして……また、いつもの憎たらしささえ感じてしまいそうになる嫌らしい笑みを浮かべて、私を小馬鹿にするような言葉を口にする。本当に……本当にそりが合わない。私はいつだって、励ます時には真っ直ぐな言葉を選びたいと思うから。


「……ランディッチ殿については、もしかすると私より貴女の方がより人となりを知っているかもしれませんね。ですが、あの方がかつては宮で先王と共に治政を行っていたことは案外知らなかったりするのでしょうか」


「……へえ。それは初耳ねぇ。あのご老人、あまり自分の話は聞かせてくれないものぉ」


 おや、そうだったのか。ならば……ランディッチ殿についても、イリーナと私との間では多少認識違いがあるのかもしれないな。


 私から見れば、父の姿を重ね得る頼もしい存在として。彼女からは、あるいは老獪で厄介な手練れに見えていたりするのだろうか。


「北に、カストル・アポリアという独立国家があります。そこを治めるヴェロウという人物は、貴女やランディッチ殿と比べても頭ひとつ抜けて優れたカリスマを持っているように思えました。能力や過程の話ではなく、国を建てたという事実は他の誰も真似出来ていませんから」


 私だってその気になれば……と、イリーナは私の言葉に噛み付いて、そして苦々しい顔でこちらをひと睨みしてからそっぽを向いてしまった。先んじられてしまった……という事実の重みを、彼女ならば軽んじる筈も無いだろう。


「……それに。イリーナ=トリッドグラヴという不屈の統治者も協力してくださっています。かつての私にあったものがすべて失われてしまっていたとしても、今の私にもまた新たな頼もしい力がいくつもあるのです。ならば、私は悲しみになど暮れている場合ではないでしょう」


「……ふぅん。まぁ、せいぜい足下を掬われないように気を付けることねぇ。少なくとも、私はいつだってこの国を切り取って手に入れるつもりでいるのだからぁ」


 その気概こそが頼もしいのだ……と、そう伝えたらまた睨まれてしまうだろうな。イリーナは私の言葉にまた目を細め、にやにやと、心底バカにしたような笑顔を向ける。これが彼女なりの励ましだとはもう理解したが……しかし、本当に相容れないものだ。


「……イリーナ。私は貴女を対等な仲間として、これからもずっと頼って行こうと思っています。どうか、どれだけでも値踏みをしてください。そして、協力に値すると思えばその力をいくらでも貸し与えてください。きっと大きな利子を付けて返してみせますから」


 相容れない……が、それでこそだ。政治にはいくつもの目が必要で、それらはまったく別のものを見ていなければ意味が無い。いつかアンスーリァがひとつになったならば、彼女の存在は王政破棄後にも強く輝き続けるだろう。


「……まあ、期待はしないでおくわぁ。のんびり屋さんでのんきなフィリアに、私が望むレベルの結果が出せるとは思わないものねぇ」


「言いましたね? ならばきっと、貴女から懇願したくなるほどの成果を見舞ってみせますから」


 イリーナは私の言葉に、本当の本当に……今までで見た中でもとびっきりの嫌らしい笑顔を浮かべ、まるで獲物を前にした蛇のように舌を見せた。


 それっきりで、握手もせず、別れの挨拶もせず、私達は黙ってそれぞれが戻るべき場所へと向かって歩き出した。本当に相容れない、そりの合わない相手だが、どういうわけか今までにあったどれよりも強い縁を繋いだ気分だった。

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