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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第三章【たとえすべてを失っても】
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第百九十一話【遺された言葉】



 パールから報せを受けて、私はリリィの後を追った。


 目的地は国軍の管理する収容所……ひとり目のゴートマンを捕えている独房だ。


 解放作戦の前、今から数十日前には訪れてその無事を……むしろ、健康そのものであることを確認している。そのゴートマンが、つい先日死亡したと言うではないか。


 リリィはそれを、きっと私に仔細を報告する為に確かめに行ったのだろう。ならば、今からでも私自身が合流しなければ。


「リリィ。リリィ、いませんか。リリィ=クー」


 そう思い立って、大急ぎで砦へと向かい、そして彼女の姿を探し回った。私が戻っていることに驚いた様子のものもあれば、珍しく声を上げて人を探す姿に目を丸くするものもある



 だが、それに気を向けてはいられない。私はリリィの名を呼びながら、まっすぐに独房のある部屋へと向かった。


 そして、牢へと向かう通路の前までやって来た時のことだ。


「――リリィ。すみません、今戻りました」


「っ! 陛下! お戻りになられたのですね。ご無事で何よりです」


 憲兵や看守に守られたドアの前で、開放を待つ役人の中に、リリィの小さな背中を発見した。


 その背中に声を掛けると、彼女は少しだけやつれた顔をこちらへと向けて笑ってくれる。パール同様、やはりずいぶんと無理をしてくれているのだな。


「パールから報せを受けてやって来ました。その……ゴートマンが死亡した……というのは……」


「……はい。ちょうど今朝、食事を交換しに入った看守が発見したそうです」


 今朝……ということは、昨日の夕方以降――食事の交換以後に死亡した……のか。偶然ではあるものの、またずいぶんと奇妙なタイミングで帰還してしまったものだ。


 しかし……この騒ぎの大きさは何ごとだろう。もちろん、人が死して問題にならないことは無い。それも囚人が死亡したとなれば、収容所の機能が十全でなかったことを証明するようなものではある……のだが……


「……あっ。どうやら、順番に立ち入りが許可され始めているようですね」


 それにしても、こうまで人が集まるだろうか。と、疑問を抱きながら待っていると、ざわざわとした空気が更にやかましくなったのが分かった。どうやら、役人達に立ち入りが許され始めたようだ。


 しかし……なんとも異様な光景だ。まるで見世物の順番待ちのようになっているが、その奥には人が死んだ痕跡だけがあるに過ぎない。ここにいる全員が下世話なもの好きでないとすれば、あの女の死にどれだけの意味があるのだろうか。


「ここは私が事情を伺いますから、陛下はお休みください。長く遠征に出られていたのですから、さぞお疲れでしょう」


「……いえ。むしろ、貴女こそ休んでください……と、言えたら良いのですが。すみません、戻ってパールの手伝いをしてあげてください。ここは……ゴートマンについては、私が確認せねばなりません」


 さて。こうして待っている間にも順番が回って来そうだ。もっとも、私が先に入れろと言えば入れては貰えそうだが…………そう言って入れて貰えば、そしてしばらく私以外の立ち入りを禁じて貰えば話が早かった気もするな……ではなくて。


 ひとまず、リリィにはこの場を後にして貰いたい。彼女を軽んじるつもりも、侮るつもりもまったく無いが、しかし疲れ切った精神で人の死を目の当たりにするのは……長く付き合いのある友人として、とても看過出来ることがらではない。


 それが罪人であれ、悪人であれ、人の死とは重たいものだ。信仰の話ではない。これは、心の話だ。


 リリィにはまだやって貰わなければならないことが多くある。だがその中に、不必要な悪感情を抱くという項目は存在しない。私が直接確認出来るのならば、彼女に嫌な思いをさせる必要など無いだろう。


「……かしこまりました。では、お先に失礼させていただきます。陛下。くれぐれも……」


 くれぐれも……なんだろうか。リリィはそこで言葉を止めてしまって、そしてしばらくの沈黙の後に、くれぐれも寄り道をせず、真っ直ぐにお帰りください。と、少しだけ苦笑いを浮かべてそう言った。ま、また痛いところを突いてくれる……


「……仕事が残っているのは私も同じ……ですからね」


 くれぐれも……か。リリィはきっと、私が彼女に向けたのと同じ感情を、考えを言葉にしようとして……そして、それを飲み込んだのだろう。


 飲み込まざるを得なかった……かな。彼女からはきっと、私がこの問題に……ゴートマンに、魔人の集いに対して、真っ直ぐに向き合わねばならないと腹を括っているのが分かっただろうから。


 そして、順番は回って来た。ドアを潜って、廊下を進んで、そして……いつかも訪れたあの女の独房の前へと足を踏み入れる。そこで私が見たものは……


「…………これが、人が集まった理由……ですか」


 床に残されたおびただしい血痕と、そして壁一面に記された血文字――――ゴートマンの壮絶な最期を思わせる、気味の悪い空間だった。


「……万歳……万歳……。ゴートマン。貴女は最後まで……」


 一歩進めば、その腐臭に鼻をやられそうになった。もう一歩進めば、乾いて黒くなった血溜まりに嫌悪感が募った。そして、更にもう一歩進んで……壁に刻まれた血文字の、それぞれが示す言葉の意味を理解して……


 万歳。万歳。万歳。と、壁にはそれだけが繰り返されていた。ただ讃える言葉を綴って、それが誰に宛てられたものかは……きっと、他の誰にも理解出来ないのだろう。あるいは、理解したつもりになっているだけで、私の思い描くものとはまた別の何かを崇拝している可能性だってある。


「……すみません。遺体は……ゴートマンの身体は、どのような状態にあったでしょうか。外傷や、あるいは内臓の損傷がどの程度あったのかなど、詳しい資料が欲しいのですが……」


 床に溜まった血の量は、とてもではないがわずかな傷から漏れ出たものではないように思えた。


 大きな傷を作り、次第に動かなくなる体を引きずって、ゴートマンはこの狭い牢屋の壁一面……いや。格子の張られた表以外、壁三面に賛美の言葉を刻み続けたのだろう。


 その傷は……自傷によって作られたもの……ではない筈だ。そういうことは出来ないようにと、彼女の手には枷が嵌められ、指先も革で保護されていた筈。であれば……


「お待たせいたしました。こちらが遺体の状態、及び推定死亡時刻です。詳しい検死結果につきましては、ご要望がありましたら、後日お届けに上がらせていただきます」


「はい、お願いします」


 あの女は、どうして死に至ったのだろうか。それを考えた時に、またしても……パールに話を聞かされた時にも浮かんだ、アギトの言葉がフラッシュバックした。


 死という終わりを認めない。彼のその言葉には、ゴートマンが死す未来を知っていたという背景を透かして見ることが出来るだろう。


「……外傷は……擦過傷が無数にあるだけで、大量出血するほどの傷はどこにも見られなかった……ですか」


 彼の言葉を、そして彼らから聞いたユーザントリアの魔人の話を思い出しながら、私は看守から渡された資料に目を通した。


 無数の擦過傷については、この牢屋の中を這いずり回った時、そして壁に身体をもたれさせた時に出来たものだろう。あるいは、死す直前に倒れて転げた際にも付いているだろうか。


 しかし……これだけの出血があって、それらしい外傷は見当たらなかった……と言うのは……


「……はあ。あまり、暗い話を理由には会いたくないのですが……」


 まったくもって納得出来ない。理解し難い。そうなったならば、私に許される選択肢は多くない。


 アギトとミラのもとを訪ねよう。ふたりに事情を説明して、ユーザントリアでの例と照らし合わせて貰う。


 そして……アギトがゴートマンに向けた言葉の意味を説明して貰う。そうすれば、何かが分かるかもしれない。


 そう決めて、私はすぐに砦を後にした。まさか、こんなにも早く、それも嫌な感情を理由に再合流することになるとはな。それでも、せねばならないことは無視出来ない。


 ユーゴは……今はまだそっとしておこう。彼が人の心に寄り添い過ぎるのだとはつい先日に理解したばかりなのだから。彼にも不要な悪感情は抱かせるべきではないから。

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