第四百九十話【急報】
ダーンフールを出発し、カストル・アポリアでヴェロウを訪ねてから、ヨロク、ハル、マチュシーを経由して、私達はランデルへと帰還した。
胸の内には、ひとまず全員が無事であることへの安堵と、しかし魔人の集いの狙い……考え、企みがまったく見えてこないことへの不安の、正反対のふたつの感情があった。
この帰還は、どちらかと言えば後者……悪い気持ちを根拠にしたものだっただろう。もしも狙いが私達ではなく、ランデルや他の都市――このアンスーリァという国そのものであったならば。そんな懸念を払拭する為の、一時的な確認作業と言い替えられる。
そして、その目的は比較的早くに達成された。具体的には、ランデルの街が見えた頃――そのどこにも壊滅的な被害が見られないのを目視出来た頃のことだ。
「……ふう。そうあることではないとは思っていましたが……しかし、こうして目の当たりにすれば、どうしても安心してしまいますね」
馬車が揺れて、荒れてもいない道を進み、そして見覚えのある街並みが覗き窓から望めるようになる。それだけのことが、とてもとても大きな安らぎをもたらした。
「フィリアは王様で、宮を守るもので、そうしたらそんなに長くこの街を離れることは無かったでしょうかラ。そういうのも理由になるんでしょうネ」
「そう……ですね。何度も遠征には出ていますが、しかしこれほど長く……そして、ランデルそのものへの急襲があり得る状態で宮を離れたことはほとんどありませんでしたから」
まったく無いわけではない。それに、事実として一度はランデルを襲われたこともある。しかしながら、その時には魔女やゴートマンといった理不尽な脅威があるだなどとは思ってもみなかったから。
「宮へ戻り、パールから話を聞きましょう。魔獣による侵攻が無かったとしても、要人や主要施設への魔人による攻撃が無かったとは限りませんから」
「そうネ。一応、私達の方でも情報は集めておくワ。こっちに残ってくれたみんなもいることだシ」
それは助かる。友軍の……防御を任せた彼らの情報は、間違いなく有益なものとなるだろう。少なくとも、魔獣の動向についてはもっとも詳しい筈だ。
「だったらヨロクで国軍にも話聞いておくべきだったな。まあそれは帰りで良いか」
「帰り……一応、私達は今帰って来たところなので、どちらかと言えば行きだと思うのですが……そうですね。ヨロク周辺での異変が確認されなかったか……例の林についても、街の領地内からではありますが、見張らせてはありましたから」
なんだか……ユーゴは帰属意識が薄いのか、しばらく居ただけなのに、あそこが自分の拠点であるような発言をするのだな。私としては、彼はランデルの……宮の人間であるように認識していたから、少し寂しいと言うか……
しかし、そんな私の勝手な押し付けは別としよう。気にすべきはやはり彼の発言……ヨロクにまで押し上げた防衛戦線に加わってくれている国軍の情報だ。
もちろん、それを完全に忘却していたわけではない。彼も言葉にした通り、それはまたダーンフールに戻る……行く時にでも訪ねれば良いと、優先すべきはランデルの無事の確認であると判断したのだ。
「……ま、それもこれも本当にランデルが無事だったらの話だけどな」
「お、恐ろしいことを言わないでください……」
嫌がらせではなくて、気を抜くのは早いと釘を刺されたのだろうが……しかし、彼もそこまで事態を重く見ているわけではないのだろう。戒めの意味も含めつつの、軽口の一種として発したに過ぎないとは、その子供のような顔に書いてあった。
「少なくとも、血のニオイや魔獣のニオイは一切無いわネ。それに、火薬や薬品の不自然なニオイも無イ。魔術痕も見当たらないから、連中が何かしたって可能性も低いでしょウ」
と、そんなやり取りをしていると、ミラが窓から外をじっと眺めてからそう言ってくれた。彼女の言葉ほど安心させてくれるものもない。こと事実確認、遠方の状況確認においては、誰が見るよりも早く、正確に情報を届けてくれるから。
「……本当にどうなってんだよ。俺だって気配をなんとなく感じてただけだったのに……」
「ものが違うのヨ、ものが。持って生まれたものに差が無かったとしても、潜り抜けた修羅場の数も質も段違いなんだかラ」
そんな彼女に不満げな顔を向けたのは、先ほどまでいたずらっ気のある表情をしていたユーゴだった。かつては魔獣の……悪意の感知を可能としていた彼からしても、ミラの探知範囲とその精度には理解が及ばないようだ。
そんなやり取りをしばらく続けているうちに、馬車はランデルの中心街へと入り、そこも抜けて、ついには宮にまで私達を運んでくれた。ずいぶんと懐かしい、私がいるべき場所にまで。
「それじゃ、またネ。数日の内にこっちも準備終わらせるから、そうしたら報告に来るワ」
「はい、お願いします。のんびりする時間はありませんが、可能な限り休息を取ってください。貴女もアギトも、他の皆も、です」
宮へ到着したならば、宿舎へと戻る友軍の皆とはここで一度お別れになる。にこにこ笑うミラと抱き締め合って、それから私とユーゴだけが馬車を降りた。降りて、ふたりだけでこの大きな建物へと向かう……と……
「……なんだか、一気に寂しくなってしまいましたね」
ずっとあった賑やかさ、それに温かさが急に失われてしまったように感じて……
そんなことを私がぼやくと、きっとユーゴはまた怪訝な顔で私を阿呆と言うのだろうな……と、少し諦めにも似た予想を立てて、その言葉をじっと待っていた。待って……いたけれど。待てども待てどもそんな罵倒はやって来なくて……
「……ま、今回は全員無事なんだから。良いだろ、寂しいくらいなら」
「……ユーゴ」
不思議に思って、彼の方へと目をやった。そこには、同じようにどこか寂しそうな顔をしたユーゴの姿があった。
ああ、そうか。寂しいのは……アギトやミラと一緒にいるのが好きなのは、何も私だけではなかったのだな。
それに……この寂しさの奥底にあるものも、私と彼とは同じくしているから……
「では、急いで確認を終わらせましょう。ミラは数日の内に報告に来てくれると言ってくれましたが、先に終わればむしろこちらから訪ねても構わないのですから」
「……いや、確認だけして終わりじゃないだろ、フィリアは。パールとリリィにいっぱい仕事残して行ったんだし、フィリアにしか出来ない仕事も山ほど溜まってるだろうし……」
うっ……ど、どうしてそうつらい現実ばかりを思い出させるのですか……。しかし……そうだな。一時的にとは言え王としての職務を放棄していたのだから、その埋め合わせをせねば為政者として失格だろう。
少なくとも、そういう立場の人間として、対等に扱ってくれているヴェロウやランディッチ、それにイリーナにも申し訳が立たない。
そうと決まれば、私達は急いで宮へ……執務室へと向かった。廊下ですれ違う役人や使用人にもきちんと謝ってお礼を言いたかったが、しかし全員にそれをしている時間も無いから、仕方なく、真っ直ぐに。
「パール、リリィ。戻りました。長い不在の間、任せきりにしてしまって申し訳ありません」
真っ直ぐにその部屋へと戻れば、そこには…………やはり、どうしようもないくらい積み上がった紙の山と、そして……どことなくやつれたパールの姿があった。
「お戻りになられましたか、陛下。ご無事で何よりでございます」
「ありがとうございます。パールも……少し健康からは離れてしまっていそうですが、しかし元気そうで何よりです」
私の言葉に、パールは少しだけはにかんだ。自分でも自覚があったのか、それともまったく意識する余裕も無かったのか、その笑顔の理由がどちらなのかは分からないが、しかし笑ってはくれた。
そんな彼と挨拶を済ませると、まず先に疑問がやって来る。はて、リリィの姿が見当たらないが……と。
「あの、パール。リリィには休暇を出しているのでしょうか。その……もちろん、彼女にはずいぶんと無理をして貰っていますから。休むななどと言うつもりは無くてですね……」
偶然そういう日に戻っただけ……だろうか。と、それを尋ねると、パールはしばらく苦い顔で黙り込んでしまった。まさか、彼女の身に何かあったのだろうか。ま、まさか……過酷過ぎる労働環境に、体調を崩してしまったとか……
「……陛下。リリィは今、ある人物を訪ねています。軍の施設にいる……収監されている人物のもとを」
「収監……もしや、ゴートマンでしょうか。それは、ええと……」
もしや、以前の戦闘……それに、ヨロク周辺でしばらく続いていた被害について、その仔細を詳しく知る為に、あのゴートマンを尋問しようとしている……のだろうか。
私がそれを尋ねる前に、ふとアギトとミラの顔が浮かんだ。そして……いつか、アギトがあの女に向けた言葉を思い出す。
彼はゴートマンに向かってこう言った。自分達は魔女を倒す。そうなったならば……魔女から譲り受けたであろう力はどこにも残らない……と。そして……
「……死という終わりを認めない……っ! パール、あの者に……ゴートマンに何か異変があったのですか……っ⁈」
私の問いに、パールはまたしばらく沈黙し……そして、一枚の書類を手渡した。
そこに記されていたのは――その一枚の紙切れが意味していたものは、ひとりの人間が死したという事実だった。




