第四百八十九話【帰路にて、遥かに眩く】
四度の遠征を成功させながら、しかし達成感らしいものもロクに得ないまま、私達は一度ダーンフールを後にした。
目的はランデルや他の都市の無事を確認すること。私達が北に釘付けにされている間に、魔人の集いによって他の場所を襲撃されている可能性を危惧したのだ。
「しかし……うーん。こういう時、電話でもあればなぁ」
「電気も無いのにそれは無理だろ。あ、いや……チビみたいに魔術が使えれば、一応電気もあるのか……?」
その帰りの馬車の中で、アギトが不意に知らない単語をぼやいた。それに反応したのがユーゴだったから、きっともうひとつの世界……ここよりも先に進んだ文明の開発した道具の話なのだろうとは理解出来たが……
「あの、アギト。そのでんわとはどのような道具なのでしょう。こちらでも再現出来るのならば、そして便利なものならば、是非とも取り入れたいと思うのですが……」
「え、ええっと……どんなって言われると説明が難しくて……」
あって当たり前のもの、深く考えたことも無いような普遍的なものだから、いざそれを端的に説明するのは難しい……と、アギトはそう言いたげに頭を抱えてしまった。
しかしながら、そんな彼をユーゴは呆れた顔で見ていた。どうやら、ふたりの間で解釈が違う……ようだが……
「やっぱりアホだな、お前は。概要だけとりあえず説明すれば良いだろ、こういう時は」
「概要……そうですね。大まかに、何をする道具かというところから順に説明していただければ……」
それだけで良い……とするのは少し乱暴だが、しかしまず全体図を大雑把にでも説明して貰えたなら、その後に余裕が生まれるだろう。
どちらにせよ驚かされるしがっかりもさせられるのだから、せめて順番に……納得は難しくとも、理解出来るだけの余裕を持って臨みたいところだ。
「概要……えっと、大雑把に言うなら、離れた場所でも通話が……話が出来るようになる道具です。それも、大声で大勢に聞かせるんじゃなくて、他の人に聞かれないように」
「…………そ、そんなものがあるのですか、貴方達の世界には……」
まったく想像もしていなかったし待ち受けてもいなかったが、思っていたよりもずっとずっと想像しやすい利便性のある道具の話を聞かされていたらしい……
聞けば、そのでんわと言う道具は、電気による信号の伝達によって、音声を伝えてくれるものらしい。その説明については、アギトからではなくユーゴから聞かされたのだが……
「……な、なんでそんな細かいことも知ってるの……? え? そういうのって授業でやった……?」
「やった……と思う。いや、テレビで見ただけかもしれないけど」
どういうわけか、アギトまでその話に驚いてしまって……そんな様子を、ユーゴにもミラにも呆れられてしまっていた。
「でんわ……アレよネ? アンタの持ってたすまほってやつ。ミナと話が出来る、文字がぐるぐるしてるちっちゃい箱のことよネ?」
「おう、そうそう。そう……だけど、あれは電話の更に進化したバージョンでな……ええっと……」
ふむ……? どうやら、ミラにも同じような話を聞かせたことがあるらしい。そして……どういわけか、アギトよりも彼女の方がその道具の輪郭を理解しているようにも見えた。彼から聞いた話だけで、いったいどうして彼以上に把握しているのだろう……
「……なんか、まるで見たことあるみたいな言い方だな。前の特撮の話もそうだったけど、聞いた話だけで知った顔するの、割とダサいぞ」
「むっ。見たことあるみたいじゃなくて、ちゃんと見たし使ったしそれなりに理解もしたわヨ。ばいかーさんやすいまーさんの活躍だって、きちんとこの目で見たもノ」
……? 見たことも使用したこともあって、それに実体験を伴った上で理解もしている……? そんな彼女の言葉には、私もユーゴも首を傾げて困ってしまうばかりで…………
「あっ。そこは説明してなかったのか。こいつ、一回だけあっちの世界に行ってるんですよ。いや……あっちから呼び出した……が正解なんですけどね」
「…………もうひとつの世界に……ミラも…………呼び…………えっ」
な、なんだって…………? い、今、いきなり、それもとてもフランクに、とんでもない言葉を叩き付けられた気がしたが……
「……? その話ってしなかったかしラ? アギトが変な風になっちゃった理由を説明するときに……」
「い、いえ、まったく聞かされて……」
少なくとも、そんな話を聞かされていれば、記憶から抜ける余地無く頭の中に刻み込まれていただろう。
しかし……そういうことならば、これまでのふたりのやりとり……アギトとミラのやり取りにいくつか納得出来る部分も生まれる。
たとえば……そう。一番初め、アギトが異様な特性に目覚めてしまった時の話を聞かされていた時。
彼女はそれを、直接目にしたわけではないとしながらも、しかし彼から聞かされただけの話のようには語っていなかった。少なくとも、その変容を視認し、実感し、解決しようと奮起した経緯を後ろに背負っていそうだった。
それに、いつか南を……南部四都市を訪問した際のことだ。先もミラが口にした、ばいかーとすいまーと呼ばれる伝承上の英雄について盛り上がっていた時も、アギトとミラとの認識の間に、妙な差があるように思えたのだ。
私達はそれを、アギトの説明に対して、ミラが誇大な解釈をしてしまっていた……のだと思っていたが……
「えっと……ユーゴはちょっとショック受けるかもしれないけどさ。あっちの世界にも魔獣が出て……あ、いや……それも本を正すと俺の所為だったんだけど……それはよくて」
「その話はちょっと聞いたな。それで……そっか。アギトだけで解決出来るわけないもんな。その為にチビを呼んだのか」
呼んで呼べるものではないと思うのだけれど……しかし、そこはミラと共に歩んできたアギトのことだから。
彼自身は魔術をまったく使えないとしても、しかしその理論は理解している筈で。ならば、それを起動させる手段を模索して、成功させたとしてもそう不思議は……
「私を召喚したのはマーリン様ヨ。自身の召喚にも成功した上で、魔術の根付いていない世界でも召喚術式を成立させタ。本当に素晴らしい方だワ」
……そうか、彼ではなかった……か。いや、それは良い。むしろ当然……安心と言ったところだ。ではなくて。
「しかし……なるほど。たしか、ミラの記憶を取り戻す為に世界を渡り歩いていたのですよね。では、その一環で……」
「ううん、私の記憶を取り戻す戦いはその時点では終わっていたワ。その時の目的は、アギトの影響でおかしくなっちゃった世界をなんとかすることだったノ」
そ、そう……か……。その……今までに聞いた話で納得しようとすると、ことごとく的外れな答えになってしまうのは、彼女の説明が不足していたからだろうか。それとも、私の理解力が乏しかったからだろうか……
「……ま、その話は良いノ。問題は……電話に限らず、あっちにあったもののほとんど……ううん、違ウ。ひとつとして余すことなく、すべてのものを指して。こっちで再現出来るものは、現時点では何ひとつ存在しないだろう……ってのが、私とマーリン様との間にある共通見解ヨ」
「……でんわというものに限らず、その世界にあるもののすべては、この世界に存在する文明からは遠くかけ離れたものでしかない……と?」
私の問いに、アギトとユーゴは首を傾げたが、しかしミラだけは力強く頷いた。ふたりと彼女との差は……どちらの世界に生まれ、どちらの世界をより理解しているか……だけだろうか。
「道具のひとつひとつを切り取って見れば、もちろんまったく再現出来ないなんてことは無いのヨ。でも……それらを実用化するには、そして普及するには…………道具としての意味を持たせる為には、今のこの世界は足りていないものが多過ぎるノ」
「……足りていない……ですか。それは……たとえば、資源などの原材料の話でしょうか。あるいは、施設を稼働させる為の燃料……はたまた、施設そのものを作るだけの技術力など……」
私の問いに、ミラは首を横に振った。そして、そんな彼女に追い付いたように、アギトも納得した顔で頭を抱えてしまっていた。
「……進化は需要の下に……ってやつか。ちょっと……いや、結構。旅の間のマーリンさんの話と、向こうでの真鈴の話と、思い出して比べてみると……ちょっと堪えるとこあるよな」
「進化……発展や開発は、需要ありきで生まれるものだ……と。なるほど、その言葉には一理ありますね」
まったくもってその通り、当たり前の道理だ。だが……その言葉を理由に、アギトはこの世界ともうひとつの世界との差を埋めがたいものだと考えているらしい。
「凄く残酷な話になるんだけどネ。あっちにあるものは、安全だからこそ生まれる余地があったのヨ。長い時間を平和に安全に暮らして、その上で新しいものを想像し続けたからこそ発明されタ。もちろん、その下地には危険を乗り越える為の発明も多くあったんでしょうケド……」
「……危難を越える為のものはすでに埋もれ、平和を充足させるものばかりが溢れ返っていた。だから、今のこの世界では真似ようにも誰からも価値を見出して貰えそうにない……のですね」
私の言葉に、ミラは寂しそうな顔で頷いた。ああ、なるほど。それはたしかに、あまりにも残酷な話だ。
でんわというもの。それに、見ている光景を動く絵として保存するもの。お湯を掛けるだけで完成するご馳走。それらはたしかに、今のこの世界でも求められるものだろう。
だが、それらが生まれるに至るまでには、もっともっと原始的な……そうでありながら、この世界からはまだまだ先に存在する技術が無数に存在するのだ。
その数があまりに多過ぎるから、この世界では……きっと、私達が生きている間には、決して手の届かないものだろうと、彼女はそれを嘆いているのだ。
「……その輝きを知りながら、手を伸ばせども手に入れることは決して叶わない。星のようなきらめきを、貴女はあまりに近くで体験してしまったのですね」
それゆえに、彼女の中には大きな諦念が存在するのだ。その眩さに目を瞑って生きるしか出来ないのだという、突き付けられた現実が。
ユーゴやアギトの話から、異なる世界の技術に対する興味や憧れは持て余すほどに抱いていた。けれど、この時にやっと理解した。それを本気で再現しようとしなかったのは、本能的に恐れていたからだろう……と。
それでも、遥か未来の奇跡のような話を聞くのは楽しい。寂しくとも、苦しくとも、眩過ぎて目を開けていられなくても、その輝きはとても暖かいものだから。
私はそれからもふたりから……いや。三人からその世界の話を聞きながら、真っ直ぐにランデルへと戻るのだった




