第四百八十六話【戦えぬとして】
話が終わると、ユーゴはほっとひと息ついてまた空を見上げた。じっと……黙ったまま、のんびりした顔のまま。
彼が、そしてミラがこだわった言葉を借りるとすれば、普段の彼らしさからはかけ離れたものに思えた。けれど……それが、もっとも彼らしいものだとも思えた。思いたかった。
彼はそもそも穏やかな少年なのだ。闘争などを好まない、優しい性格なのだ。それこそ、抗うことよりも逃避することを……抗戦よりも、自死による解決を選んでしまうくらいに。
だから、彼のその表情は自然なもの……なのだと思う。普段のつんけんした態度こそ、むしろ彼らしくない……いいや。それもまた彼らしいのかもしれないが、一番表に出ているべきものとは違うのだと、今になってやっと分かった。
「……ユーゴ。私は貴方に、多くを押し付けてしまっていたのですね。貴方の言葉の本当の意味を理解出来ず、その行動の真意を探らず、貴方の勇敢さと優しさに甘え切ってしまっていたのですね」
彼は本来、戦いになど赴きたくなかったことだろう。その力を自覚した時――私にその力の振るい先を指示するように任せた瞬間には、どうすれば何も傷付けずに済むだろうかと考えた筈だ。
それを、私は勘違いしていた。怖いやつになりたくない。と、そんな彼の言葉を鵜呑みにして、その後ろにあるものをきちんと理解してあげられなかった。
彼はずっと訴えていたのだ。戦いたくなどないのだと。けれど……それでは、自らの価値を示すことが出来ないから。ならばせめて、その背を押して欲しいと。力を与えた私に、それを願っていたのだ。
「別に、押し付けられたとは思ってない。魔獣と戦ってるのはそこまで嫌じゃなかったし、大して嘘ついたことも無い。大体、黙ってたのは俺だからな。フィリアにならバレないと思ってそうしてたんだから」
私達は、ずっとずっと間違えていたのだな。そして……けれど、それでもこんなところまで来てしまった。いや、違う。来られた……のか。
「……そうですね。その通りです。貴方の言う通り、私は貴方が隠していたことを何もかも知らずに……知れずにいました。困ったことに、貴方は弱音らしい弱音を吐いてくれませんでしたから。お陰で、こんな段になるまで貴方の力に問題があることにも気付けませんでした」
「うっ……悪かったよ。もっと早くに相談しておくべきだった」
私の嫌味に、ユーゴは少しだけ眉をしかめて……けれど、素直に受け止めて、謝罪を口にした。
まったくその通りだ。もっと早くに……それこそ、ジャンセンさん達がまだいた頃に打ち明けてくれていたら、きっと特別隊は別の在り方を……そして、別の道を選んだだろう。
その先には……もしかしたら、今とはまったく違う未来があったかもしれない。
遠征になど出ることも無く、ジャンセンさんもマリアノさんも無事で、バスカーク伯爵も部隊へ加わる日が来たかもしれない。
そんなところへ、友軍の皆が……アギトが、ミラが、今と変わらないくらい頼もしいままにやって来てくれただろうか。
そんな明るい未来が……望ましい今が、あるいは手に入ったかもしれない。ただ、その代償に……
「……けれど、貴方は胸の内を隠し、私の為に奮起して、大勢を守る為に戦ってくださいました。その結果、こうして多くの街を解放し、多くの人々の生活を取り戻し、多くの繋がりを手にしたのです」
北はまだ、ヨロクが戦いのさなかにあっただろう。魔獣を追い払い続ける日々が続き、そこには多くの犠牲が生まれた筈だ。
南に至っては、ナリッドの解放すら満足に出来なかっただろう。マリアノさんがいたとは言え、あらゆる作戦はユーゴの力ありきで計画していたのだから。
ここに……ダーンフールに砦を構えられたのは、遠征に出たからだ。ヨロクより北に安全な場所が必要になったからだ。カストル・アポリアやフーリスを――まだ人が戦い続けている場所を見付けられたからなのだ。
「これまでずっと、ありがとうございました。貴方の無理のお陰で、私達の手には多くの成果が握られています。それこそ、両手で包んでも溢れてしまうくらいに」
ユーゴは人を守った。人を救った。その事実は揺るがない。たとえ、彼が戦わなかった未来に、今よりもずっとずっと良い結果が待っていたとしてもだ。
訪れなかった理想などが、今あるすべてに勝ることなどあり得ない。これは、絶対不変の真理だ。
「……なんか、その言い方だともう死ぬみたいだな、俺。別に、魔獣とは戦うし、あの魔女とも戦うんだけどな。まあ……ゴートマンと戦えないとなると、あんまり頼りにはなんないかもしれないけど」
「貴方が頼りにならなければ、この世にあるあらゆるものが頼りに出来ませんよ。それこそ、山の岸壁にすらもたれられません」
ユーゴは私の言葉に……ある意味では脅迫のような文言に、困り果てた顔で肩を竦めてしまった。もっと他のものにも頼れ……と、今までの依存じみた関係に苦言を呈したいのだろう。
それでも、私は彼を頼るだろう。アギトにもミラにも、友軍の皆にも、特別隊の皆にも、宮にいる役人にも国軍にも、他の街を治める為政者達にも、大勢に頼るだろうが、それでも真っ先にユーゴを頼りにしてしまうだろう。それは、何かが起こるまでもなく想像出来る。
「……さて。貴方の口から明確に聞かされたことですから、もう一度作戦を立て直さなければなりませんね。ミラを中心として、あの男を打ち払う策を」
そうと決まれば、もう一度ミラのもとを訪れるべきだろう。少なくとも、アギトには事情を説明してあげなければならない。彼はユーゴがもう一度戦えるようになると信じてくれていたのだから。
そう思い、私はユーゴの手を引いてまた砦へと戻る……つもりだったのだが。どうしたことか、ユーゴは私に手を握られたまま、その場で立ち尽くしてしまって……
「ユーゴ? どうしたのですか?」
「いや……えっと。作戦……なんだけどさ。俺達が……少なくとも、フィリアが考える必要は無いと思う。と言うより、俺達が邪魔しない方が良い……のかもしれない」
邪魔をしない方が良い……? ええと、それは……天の勇者として、ユーザントリアで数多くの武勇を残したアギトとミラに一任しよう……ということだろうか。
それは……珍しく控えめな……と言うよりも、ずいぶん後ろ向きな発言に思えた。ユーゴらしくない……私の知る、以前の彼らしくない言葉だ、と。
けれど、もしかしたらこれが本来の彼らしさなのかもしれない。そう思えば否定はしづらかった……が……
「い、いけませんよ。これはアンスーリァの問題で、私達の問題です。解決を彼らに任せるしかないとしても、すべてを押し付けるのはいくらなんでも……」
ああ、いや、そうじゃなくて。と、ユーゴは私の言葉を遮って……そして、何も説明しないままに歩き出した。砦へ向かって、私の目的の通りに。
「チビ、もうそういうの考えてたっぽいんだよな。でも、あの時は出来なかった。それは……俺がいたからだ。俺がいなかったら、問題がどこにも無かったら、あの時にでもアイツはゴートマンを……殺してたと思う」
ユーゴは少しだけ怖い顔で……強張った、緊張した面持ちでそう言った。その言葉には、確信じみたものがあるように思えた。
しかしながら、それでは先日のミラの発言に……そして、発案に矛盾が生じてしまうだろう。そもそも、だ……
「……それならば、あの時にミラはアギトを焚き付けるようなことを口にしなかったのではないでしょうか。少なくとも、前線にアギトを送り出す……などと、無貌の魔女を打倒する為の切り札を失いかねない提案をした以上は、やはり本当に彼女ひとりでは不足で……」
「いや、それは無い。アイツ、まだなんか隠してる。ゴートマンの方もなんかあったかもしれないけど、チビは……そういう次元じゃない気がした」
ゴートマンにも隠された何かはありそうだったが、ミラのそれはあの男の秘策を大きく上回るものに思えた……と?
だがそれは、彼がなんとなくで感じ取ったものに過ぎないのだろう。それも、以前ならばいざ知らず、魔獣の気配すらも察知出来なくなってしまった今の彼が、だ。
それがアテになる……アテにして良いものとは到底思えない。のだが……どういうわけか、ユーゴはすごくすごく真剣に、その予感が絶対のものであるかのような面持ちで……
「聞けば教えてくれるとは思わないけど、聞かなかったら絶対黙ってるからな。一応とっちめてみるか。チビもフィリアと一緒で嘘ヘタだし、うっかりアギトからなんかこぼれるかもしれないしな」
「そ、そんな悪だくみを味方に向けないでください。しかし……」
……もしも、彼のその予感が真実だったならば。ミラはゴートマンを打ち破り、そしてユーゴとアギトと共に魔女をも屠ってしまう……のだろうか。
あるいは、魔女との戦いの為に温存しようと……手の内を晒さぬよう、たった一度あるかどうかという好機の為に秘匿し続けようと考えているのか。
もしも後者ならば、結局のところはゴートマンとの戦いではアテに出来ない……すべきではないのだが……
しかし、ユーゴはそんなことを考えもせず、あるかも分からない作戦についてミラに尋ねようと意気込んでいた。その表情はもういつも通り、不敵でありながら子供らしい、いたずら心に溢れたものだった。




