第四百八十話【運命】
ミラは言った。ユーゴを戦わせない……ゴートマンや他の魔人との戦いには参加させないと。
その理由についても詳しく説明してくれた。彼には酷だと――気の優しい、平和な世界で生まれ育った彼には厳し過ぎるものだと。
その説明に私は納得した。私の理性は。けれど……その納得と、自分の中にある感情的な部分とは相容れなかった。
翌日の朝、私はひとりでアギトとミラの部屋を訪れた。そして、まだ眠っているミラの代わりに、アギトに相談を持ち掛けて……
「……その……あ、あくまで俺の考え……理想と言うか……理想像と言うか……今まで目にしてきたものを並べて行って、見比べて……で、俺が主観的に思ってるだけのことなんで、アテにして良いかは分かんないですけど……」
そんな私の訪問に、彼は真剣に向き合って、少し考えた後に答えてくれた。ミラの言い分は間違っていない。けれど……それだけではものごとが解決するとは思えない、と。
そして、その言葉の後ろに続く彼の考えを、今ゆっくりと纏め上げている……あるいは、纏まったものを言葉として上手く繋ぎ合わせているのだろう。
首を傾げて俯いて、ああでもないこうでもないと繰り返しながら……やっと、落ち着いて私の方を向き直した。
「……俺は、ユーゴは戦うべきだと思ってます。いや……違う。ユーゴが……ユーゴだから、戦うべきなんだ……って」
「……思いやりがあって、この世界にあるものよりずっと大きな平和を知っていて、人の痛みに憤る彼だからこそ……ですか」
私の相づちまがいな問いに、アギトははっきりと頷いた。その通りだと。彼だからこそ――ユーゴという人間こそが戦うべきだと。
「前にもちょっと言ったことあるんですけど、ユーゴは主人公みたいなんです。少なくとも、俺から見て。出自や能力、境遇、今ある状況。いろんなものが、あらゆる要素が、主人公らしい立ち位置にいる……と思うんです」
主人公。と、アギトはその言葉を何度も繰り返し、どこか後ろめたい気持ちがあるような暗い顔をした。それが意味するものは……待っているまでもなく、彼の口からすぐに説明された。
「……そうなんです。ユーゴは主人公で、ミラと同じタイプなんです。フリードさんや昔の勇者ともきっと同じで、何かを成し遂げる運命の下に生きてる人間なんだ……って、俺にはそう思えるんですよ」
「……運命……ですか? その、それは……」
こんな過酷な世界へ召喚されて、危険な生物と戦わされて、あまつさえ人を傷付けなければならないかもしれない状況を、定められたものだなんて酷なことを言うのだろうか。私はその言葉の表側に、そんな感想を抱いた。
けれど、それがまったく意味の無い――見る価値の無い、真実から程遠いどうでも良い部分なのだとも気付けた。運命などという言葉を使ったのが、このアギトという少年だったから。
「誰かがやらなくちゃならない大きな問題があった時、主人公はそれを解決します。いえ、むしろ逆。それを解決するからこそ主人公なんです。そして、ユーゴはもう主人公の素質を持ってる。持ってて……」
……ユーゴ以外の誰も、同じところには立てそうにない。アギトはそんな言葉を、苦々しく吐き捨てた。その表情は、苦悶に満ちたものだった。
「ミラは間違いなく主人公です。国を救った、世界をいくつも救った大英雄です。でも……この国においては違います。それについてはコイツも自覚してますから。だからこそ、ユーゴに奮起して貰おうって頑張って……」
「はい、その件についてはどれだけ感謝してもしきれません。貴方達ふたりのお陰で、ユーゴはまた立ち直れたのですから」
そう……そうだ。力を失っていた……心を砕かれていたユーゴを立ち直らせたのは、ミラが起こしてくれた彼の中の願望――守りたいものを守るという理想だった。
そうなのだ。もとはと言えば、ミラはむしろユーゴを戦わせることに賛成していた……ユーゴがまた誰かを守る為の戦いに身を投じられるようにしてあげようと奮起していた。それが……
今はむしろ、戦わせるべきではないと言っている。これは……あの時には、反対に私が考えていたことだ。
優しい心をしているのだから、平和を知っているのだから。傷付いた心を守りながら、穏やかに暮らす選択があっても良いだろう、と。
「……あの時背を押してくれたミラが、今は意見を真逆に変えてしまった。それは……やはり、ゴートマンとの戦いのさなかに見たユーゴの姿が、最初に感じていた印象からかけ離れていたから……なのでしょうか」
「それは……どうでしょう。多分、もとから心が優しいことくらいは分かってたと思います。コイツ、人を見定める能力は高いですから」
では……あの時には、優しい心を持っていたとしても、戦いを忌避していたとしても、もう一度力を手にすることがユーゴの為になると思っていた……と。
しかしながら、今はそうではない、と。自信を取り戻し、力も取り戻した今になって、ユーゴは在り方が変わってしまっている……のだろうか。
「ごほん。ミラの意見はまあ起きてから再確認ってことで……ですね。また俺の話に戻るんですけど……」
「っとと、すみません。話を逸らしてしまいました」
いえいえ、俺の方も……と、どうにも話の腰を折りがちだと評される私もアギトも、共に苦い顔をして、そしてすぐにまた真剣な顔を突き合わせた。
「ユーゴは主人公です。ちゃんと歴史にその活躍を刻んで、名前を残して、みんなに祝福される。そんな未来が絶対に来る。そういう存在なんだって、運命が決まってる気がするんです。俺とは違う、本物の……」
「……貴方とは違う……ですか。その……それは……」
アギトは尻すぼみに声を小さくして、そして語り切らずに黙ってしまった。彼とは違う……か。
アギト……という存在について、私は完全に理解出来ているわけではない。ただそれでも、その特異性……そして、その存在が果たした過去について、ミラから聞いている範囲は知っているつもりだ。
彼は英雄――になる筈だった。世界を救った天の勇者の、その片割れ――として、皆から祝福され、その名を轟かせる筈だった。
けれど、彼の活躍は英雄譚のどこにも刻まれておらず、誰の記憶の中にも残っておらず、誰ひとりとして彼の名を知る者はいなかった。
ミラ=ハークスと共に魔王を倒したアギトという人間は、そんな虚ろな在り方をしているのだと、そう聞いた。
「俺は本気で勇者になりたかった。でも……内心では分かってたんです。俺はそんな器じゃない。ミラと比べて遜色無いなんて、寝言だとしても到底口に出来なかった。俺は英雄になんてなれない、世界なんて救えない。そう分かってても、憧れて、頑張って……」
彼は最後の戦いで命を落とした。ミラを守る為に……彼の言葉を借りるのならば、主人公を正しく勝利させる為に。それを、彼は運命だと呼んでいる……のだろう。
「ミラは俺を、奇跡を起こす存在だ……って。あの力だけを指して、滅亡の奇跡を発生させる力だって言いますけど、それは半分間違いなんです。俺から言わせれば、ミラだって奇跡を……俺なんかとは比べ物にならないくらい多くの、そして大きな奇跡を起こしてるんです」
「……そうですね。魔王を倒し、世界を渡って救い、今もこうして……」
またしても武勇を重ねようとしている。私はそれを理解したつもりになって、同意の意思表示として答えた。けれど、アギトは首を横に振った。
違う……と、そう言いたいのは分かった。だが、何が違うのかを私はすぐに理解出来なかった。だって、奇跡と言うのなら、そういった大きな出来事を……
「――ミラは生まれからもう奇跡なんです。勇者の力を持って生まれて、失くす筈だった命を繋いでくれたお姉さんがいて。家族も友達も何も持ってないところから立ち上がって、何も出来ない俺を拾って……」
やらなくても良いのに悪に立ち向かって、たったひとりの最大の師に導かれて、そして世界を救った。
世界を救った後にも、記憶のほとんどを失って。また何も持ってないところへ突き返されて。でも……もうひとりの大切な自分のお陰で全部取り戻して。
いくつもの異世界を渡り歩いて、多くの縁を繋いで。その先でも世界を――終焉を迎える世界を救って。そして……
「……変な因果をいっぱい背負った俺と一緒にいて、そんな俺のぐちゃぐちゃな部分を唯一ちゃんと出来る存在としてここにいる。俺が亡ぼす為の奇跡だって言うなら、ミラは救う為の奇跡なんです。生まれた瞬間から、何もかもを護り抜く運命にあった……って、俺はそう思ってます」
「……だからこそ、主人公であると……事実、英雄として名を残し、天の勇者という輝かしい称号も手にしている、と。そんな運命を身近に見ているからこそ……」
ユーゴもまた、そんなひとりに違いないと思える……と。私の言葉に、アギトは迷いなく頷いた。
なんとも……困ったものだな。彼の異常さ……当たり前からかけ離れた部分については、私もよく知ったつもりになっている。まったく理解出来ないという結果を以って……でしかないが。
そんなことだから、彼のその説に、理論に、どうにも納得してしまいそうな自分がいる。運命なんて……生まれた瞬間から決まっている未来があるだなんて……
「……本来ならば継ぐ筈の無い王の位に私が座っているのも、その運命というものの仕業……いえ。それに書き記されていたものだった……のでしょうか」
「えっと……その……俺の考え方では、ですけど。フィリアさんはきっと、最初から王様になる予定だったんです。いきなり、準備も無く、不安なまま。それでもこうして必死になって、みんなの為に頑張れる王様に」
アギトはそう言うと、呆れ返った顔で頭を掻いた。そう思える理由……原因が一応はあるのだ、と。また更にそう付け加えて。
「ほら、その……ですね。俺は本物の神様に会ってるので。その神様は、めちゃめちゃ人が好きで、過保護……いや、ちょっとやり過ぎなくらいダダ甘で。過去も未来も全部お見通しで……」
それなのに、自分の所為でダメになっちゃったって、無かったことにしなくちゃいけないとまで思い詰めちゃうような。そんな神様に会ってるので。と、アギトはそう言った。
だからこそ、運命というものを……人の未来を書き記し、その上でより良い結果を待ち望むものが、“在る”という前提でものごとを考えてしまうのだ……と。
「……はあ。貴方にそういった大き過ぎるスケールで話をされてしまうと、私の目線からでは信じざるを得ないではありませんか」
「えっ⁈ えっと……ご、ごめんなさい……」
いえ、怒っているわけではありませんよ。ただ……ふふ。困ったことに、私は怠け癖があるものだから。決まった未来があるのならば、頑張らずとも同じ結果に辿り着くのではないか……などとも思ってしまいそうだから……
「……今のユーゴの前にあるのは、行き止まりじゃないと思うんです。ここは大きなチャンスなんです。シナリオ通りにゴートマンを倒せるようになるか、あるいはそれを越えて……倒さなくても、傷付けなくても捕まえちゃうくらい強くなるか。無双系主人公が敵に情けを掛けるようになったら、それは覚醒フラグですから」
「覚醒……なんだかよく分かりませんが、その未来はとても……とてもとても、胸が弾むようですね」
あのゴートマンをも無傷で捕らえてしまう……か。もしもそうなったなら……この先に現れるすべての脅威、悪意に対して、ジャンセンさん達の時と同じように手を取り合える未来が待っていたとしたら。なんて喜ばしいことだろうな。
アギトの温かな話を聞かされて、私もなんだかすっかりその気になってしまった。となれば、あとは彼の背中の上で眠っているミラを説得するだけだ。そして、ユーゴにもまたやる気になって貰わないと。
私達はそれからしばらく、むにゃむにゃしか返してくれないミラに話し掛け続けた。その……無理に起こすのはかわいそうだと、意見が合致してしまって……




