第四百七十九話【その人を訪ねて】
ユーゴは戦うのに向いていない。だから、特にゴートマンとの戦いにおいて……人との戦いにおいては、前線には出させない。
それは、ミラからの提案でも相談でもなかった。彼女の中に確立された、揺るぎない意思だったのだ。
説明は果たした。と、そう言わんばかりに、ミラは部屋を去ってしまった。予定が変わったから準備も変えなければならないと、それだけ言い残して。
もちろん、ミラが出て行けばアギトも付いて行くわけだから。部屋の中には私とユーゴだけが……私と、ずっと黙ったままのユーゴだけが残された。
「……戦うのに向いていない……ですか」
私はミラを……最後にその小さな背中を見送ったドアを眺めながら、ぽつりとそう呟いた。それは、実感を得る為の言葉……だったのかもしれない。
今までにだって、同じことを考えなかったわけではない。気付かないでいられたわけではないのだ。
ユーゴは優しい子だ。そして……人の不幸に苛立ちを覚える子だ。そのことは、ジャンセンさん達と共に特別隊を立ち上げるより前から分かっていた。
それに……彼は以前、ひとり目のゴートマンを相手にも攻撃を徹底出来ないそぶりを見せている。
あの女魔術師がどれだけ危険な術を持っていようと、彼の力ならばひと息に間合いを詰めて一撃で仕留めることは容易だっただろう。だが……
何度かの遭遇、そして戦闘を経験しているが、結果として彼はゴートマンを制圧出来ていない。あるいはそれがすべてだったのだろう。
ユーゴは人を倒せない。人間を傷付けられない。その不安……いいや、当たり前の感性は、とっくに気付いていたものだったのに。
「……ユーゴ。その……」
では……どうすると言うのか。私に何が出来ると言うのか。答えは……分からなかった。だから、掛ける言葉が見付からなかった。
私は彼に、戦うことばかりを要求して来た。そして、彼はそれに応え続けてくれた。
それを今更、向いていないからやめろと、今までの頑張りはすべて意味の無いものだったと切り捨てるのか。私にそれが出来るか。
彼は必至に力を取り戻して、もう一度私達の前に立ってくれている。もう二度と誰も失いたくないと、何もかもを守りたいのだと奮起してくれている。そんな彼に、私はなんと声を掛けるのだ。
「……ちっ。あのチビ、言いたい放題だったな」
「っ。その……ミラは……」
ミラは……なんだ。貴方を気遣って……心の優しい貴方に無理をさせないようにと慮ってくれたのだと思います。と、そんな言葉でも掛けるのか。そんなにも残酷な、間の悪い言葉を叩き付けるのか。
また、私は声を掛けそびれた。選べなかった……考えても考えても正解が分からなくて、黙り込んで逃げるしか出来なかった。私はなんて狡い、卑怯な大人なのだろうか。
「でも……まあ、言われてもしょうがなかったと思う。だって……うん。俺、アイツとゴートマンが戦ってるとこで、ずっと見てるしか出来なかったから」
「……ユーゴ」
傍観しか選択肢が無かった。ユーゴはそう言って、小さくため息をついた。そうして背中が少し萎むと、そのまま床に座り込んでしまって……
「……アイツは悪いやつ……なんだとは思ってる。だけど……どういう風に憎めばいいのか分かんないんだ。魔獣は……見た目から化け物だし、人を襲ってるとこも見てるから、倒さなくちゃって気持ちになるんだけどさ」
「……あの男については、この目で悪事を見ているわけではない……と。そうですね、私達は状況的にあの男を敵視しているだけで、現実として何かをされたことは……」
いや……正確には、ひとり目のゴートマンを護送する際に襲われている。それに、魔女との戦いの最後、とどめを刺そうとした瞬間に反撃も受けている。間違いなく、あの男は私達と敵対している。だが……だ。
それらは本当に、あの男を悪たらしめる行為なのだろうか。もしも彼がそれを疑問に思い、私に尋ねたならば…………きっと、私はまた黙り込むしか出来なくなってしまうだろう。
あの男は未だ正義には背いていないのだ。あの男の、魔人の、魔人の集いの正義ではない。私達の知る、私達の重んじる正義に、だ。
あの男は友人を助けようとしただけではないのか。無貌の魔女を、もうひとりのゴートマンを。私達の攻撃を不当な暴力と捉え、それから遠ざけようとしただけではないのか。
ミラに対する仕打ちは、ひとりの術師として――熱心な研究家として、ある種当然のものではなかったのか。競い合う相手に強く当たるのは、対抗意識を向けるのは、当たり前の本能なのではないのか。
私達はまだ、あの男を悪たらしめる要素を目の当たりにしていないのではないか。ユーゴが躊躇しているという事実が、そんな考えを胸の内に流し込んでくる。
そして……私の中にあるものでは、それに抗うこともままならなかった。
「……それをあんなチビに言われたのはムカつくけど、今回は全部俺が悪かったし。今は言うこと聞いとくしかないよな。はあ」
はあ。と、なんともわざとらしいため息を繰り返すと、ユーゴはゆっくり立ち上がって…………私に一瞥もくれず、そのまま黙って部屋を出て行った。アギトとミラの後を追ったのではない。ただ、ひとりきりになる為だけに。
「ユーゴ……私は貴方に、いったいなんと声を掛けたら良かったのでしょうか。貴方の為に、私が出来ることは何かあったでしょうか」
答えてなどはくれない。当然、もうそこにユーゴはいないのだから。そして……もしも答えられる場所にいるのならば、こんな問いを口に出来るわけもないのだから。
広い部屋にひとりだけ取り残されると、途端に強い不安が見舞った。孤独感……ではない。不安……そう、不安。猜疑心や懸念……あるいは、見通しの立たない深い霧を前にしたざわめきに似た感覚だった。
私の中に、遠征に成功したこと、ゴートマンとの戦闘を経てなお、誰ひとり犠牲を出さずに帰還出来たことへの達成感や高揚は、一切残っていなかった。
翌朝、ユーゴは私を起こしに来なかった。そのことを取り立てて異常だと騒ぐつもりは無かったが、しかし……やはり。と、そうも思ってしまった。
「……っ。しっかりするのです、フィリア=ネイ。貴女は部隊の指揮権を握っている……全員の命を背負っているのですよ」
そのことが無性に腹立たしくて、情けなくて、私は自分で自分の腿を思い切り叩いて、ひとりぼっちな部屋に立ち上がった。
起きたならば、立ち上がったならば、何かしなくては気が収まらない。またベッドに腰かけてしまえば嫌な考えごとを繰り返しそうだったから、私はすぐに部屋を出た。
目的地を定めたわけではなかった。ただ……それでも、無意識は勝手にそこへと導いてくれた。
私の意識がなんとなくからはっきりしたものへ変わった時、目の前には空が見えた。私は砦の見張り台に……かつてジャンセンさんと星を見た、アギトと話をした場所へやって来ていた。
「……考えごとをしろ……と、そう言うのですか? そうすべきでないと私の頭はそう考えているのに」
頭とは裏腹に、心は一度足を止めてきちんと向き合うべきだと思っている……のだろうか。そんな答えの無い問いを自らに投げかけると……バカらしさと空しさばかりが去来した。
なんと下らない逃避だろう。向き合ったとて、私に何が出来るでもない。無視したとて、それを解消せぬままに何を成せるでもない。私がすべきことはただひとつだった。それに気付けたのだから、間抜けと誹られかねない自問自答も無駄ではなかったのかな。
それからすぐ、私は階段を駆け下りてまた砦の中へと戻った。今度はきちんと目的地を定めて、求めるものを明確にして。真っ直ぐ、迷うことなくその場所を訪れた。
砦の一室、そのドアの前。今朝まで自分がいた部屋ではないドアのノブを捻って、そして……
「――おはようございます。少し、話を聞かせていただけませんか」
「お――えっ、あっ、と――お、おはようございます、フィリアさん。えっと……それは……コレに……ですよね?」
……ノックをして返事を待ってからにすべきだったと、ミラを抱えたまま大慌てで出迎えてくれたアギトの姿に反省した。どうして……どうして私はこうも格好が付かないのだろうな……
「……こほん。はい、ミラに相談したいことがある……のも事実なのですが。しかし、彼女がしばらく目を覚まさないのは分かっていますから」
「……すみません。女王様の予定を、このバカの安眠の為にずらして貰うなんて……」
まったく無礼極まりない訪問をした私を責めることもせず、アギトはばたばたと椅子を準備してくれて、私の頼みを聞いてくれた。俺で良ければ、と。
「ありがとうございます。では……その、なんとなく察しているかとは思いますが……」
「……昨日の……ユーゴを戦わせないっていうミラの考え……についてですよね」
そして、私が何を問うまでもなく、アギトは首を傾げてミラの頭を撫でた。もっとも、この状況で他のことを尋ねられるとも考え難いのだろうが。
「……俺は…………ミラの言うことにも一理あるかな……とは思いました。ただ……それをやってる余裕があるかどうかは……」
「ユーゴの力無くしてゴートマンを打倒出来るとは言い難い……ですか」
アギトは私の言葉にこくんと頷いて、そして真剣な眼差しを私へと向けた。それが意味するところを――アギトという存在を無意識に頼った理由を、私はそのすぐ後に思い知ることとなった。




