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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第三章【たとえすべてを失っても】
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第四百七十三話【合図】



 それは、戦いとは呼び難い光景だった。男は挑発を繰り返すばかりで、攻撃することも、防御することもままならないでいた。


 そんな無力な男を、勇者は蹂躙し続けた。その小さな身体から放たれる研ぎ澄まされた一撃は、彼女よりもずっと身体の大きなその男をいともたやすく突き飛ばす。


 殴り飛ばし、蹴り飛ばし、叩き伏せて踏み付けて。力の差を見せ付けるのだ……と、息巻いているわけでもあるまい。ただ、何をせずとも差があり過ぎるからそうなるのだ。


 それでも男は言葉を繰り返す。魔術による競い合いを。魔術による比べ合いを。魔術による決着を。


 懇願にも思えた。ただそれは、男が一方的に叩きのめされているから、憐みから来る贔屓目が混じっているからに過ぎないのかもしれない。


 その現実は、自分の得意なことがらでの決着をと、ただわがままに喚いているだけ……なのかとも思えるから。


「――げほっ! げほっ! っ――失望しました! 貴女は気高い人物だと! 崇高な考えを持つ、稀代の天術師なのだと! そう理解したつもりでいました! それがどうですか! この有り様は!」


 男は――――ゴートマンは、どれだけ打ちのめされても言葉を慎まなかった。そう、慎まない……と、そう思えた。感じられた。


 場違いなのだ。あまりにも。男の発言は、意図は、企画は、この場においてあまりにも不適切なのだ。


 あの男は敵で、ミラはそんな敵意を排する勇者だ。これは……戦いなのだ。一方の正義を貫き通す為の、理不尽を理とする為の場なのだから。


 ゴートマンはひと息に文句を吐き切ると、次の瞬間には血を吐いてうずくまってしまった。


 内臓を破壊されている……のかとも思ったが、どうやらそういうわけではないようだ。出血量からして、ただ口の中をひどく切っているだけだろう。


 そう思える根拠は、何も医学的な見地だけではない。魔獣をも圧倒的に屠りさるミラの武術を受けて、それで内臓を破壊されて、ただの人間がまともに呼吸を行えるわけがないと思ったから。


「げ――ごぼ――っ。恐れているのですか……っ。貴女ほどの天術師が、天才が、私のような下卑たものに力を模倣されることを……っ。私が恐ろしいですか! それを――敗北を認めると! 貴女はそうおっしゃるので――――」


 もう聞き飽き始めた挑発のさなかに、ミラはゴートマンの顔面を――うずくまって低くなっていた男の頭部を蹴り飛ばした。それでも……男は動いていた。


 ミラには何かの意図がある。それは分かる。殺すつもりならとうに殺せているくらい、攻撃の機会はあったのだから。


「恐ろしい……ネ。そうね、出会いの形が違ったら私はお前を恐れ、嫌悪し、そして負けじと張り合ったでしょウ。けれど……今のお前は、興味を向ける価値も無い下等な生き物でしかないワ」


 ゴートマンを蹴り飛ばしたミラは、まるでお返しと言わんばかりに挑発をした。ミラの目的……真意はそこにある……のだろうか。


「それにしても……ううん、困ったものネ。私が口にするのもどうかと思うケド、魔術を使う人間ってのはどうにも捕えておきにくいワ。腕を折っても脚を折っても、顔を潰してもまだ抗えるんだもノ」


 やれやれ。と、ミラは肩を竦めてそんなことをぼやいた。


 手足を折られても言霊が。言霊を封じても陣や他の儀式用の道具が。道具をすべて取り上げたと思っても、体内に隠せば一度の脱出か、あるいは自決くらいは可能としてしまうだろう、と。


 恐ろしい話だが、説得力については誰に語られるよりもにじみ出ていた。もしもミラを捕らえるとなれば、いったい何をどれだけ制限させれば捕えておけるのか、と。私の常識でどれだけ考えたとて、きっと突破されてしまうのだろう。


 それと同じことがあのゴートマンにも言える……と、ミラはそれを懸念して…………では、今ああして仕留めず捕らえず痛め付けているのには、その問題を解決する手段がその先にあると考えているから……なのだろうか。


「いっそここで殺すしかないのかしらネ。まったくもって気分が悪いワ。こんなのでも人間の形をしている以上、躊躇もしてしまうもノ」


「……っ。殺す……貴女が、私を殺す……と、そうおっしゃるのですか……っ」


 ゴートマンの問いに、ミラは即答した。


 その言葉に濁りは無かった。一切の躊躇が無かった。迷いが、躊躇いが、嘘が、見栄が。あるいは殺されないかもしれないという期待を持てる要素が、何ひとつとして存在しなかった。


 ミラの表情はここからでは分からない。それを見るゴートマンの顔もまた、私には見えない。けれど……


 すごく冷たい顔をしている気がした。冷淡で、残酷で、容赦の無い顔を。


 私の知る人懐こいミラ=ハークスからはかけ離れた顔をして、きっと怯えた顔をしているゴートマンを見下しているのだと、そんな気がした。


「大人しくさせられないなら殺すワ。でなければ人々を護れないなら殺すワ。封じておく手段が無いなら殺すワ。殺すしかなければ殺すわヨ、当然。魔獣だって魔王だって、分かり合えなかったから殺したんだもノ」


 殺す。ミラの発するその言葉からは、殺意のようなものは感じられなかった。特別な意味を――殺気を必要とする動機を、彼女の中に感じられなかった。


 ミラはきっと本当に殺してしまう。殺せてしまう。あんなに愛らしい少女でも、彼女は世界を救った英雄だ。その意味を――“護る”という言葉の真の意味を、はっきりと理解している。


 それを感じたのは私だけではなかったのだろう。ミラの言葉、様子に、はっきりと動揺を見せたものがすぐそばにいた。それは、アギトだった。


 ミラを一番知っている少年。ミラを一番長く見ている仲間。ミラと一番苦楽を共にした半身。そんなアギトが、まるで知らないものを見ているように動揺し、震えていた。


「…………っ! 殺す……殺す…………殺す殺す殺す……ですか。貴女もまた、そんな野蛮で下らない言葉を口になさる……っ。貴女ほどの高潔な天術師ともあろう方が――」


「逆ヨ。野蛮さも高潔さも、殺意を否定するものじゃないワ。殺さないと嘯けるのは、品の無い詐欺師か、気の狂った妄信者だけ。真に理性があるのなら、害を排する手段を択んだりしないワ」


 ミラはそう言うと、ゴートマンに一歩近付いた。その歩みに、男はひどくたじろいでいた。


 一歩。たった一歩。少女の小さな身体でのその歩みは、ほんのわずかな距離しか縮めない。


 けれど、男はそれを見て必死に逃げた。息もまだ整わない中で、歩みもおぼつかないままで、転げるように必死に距離を取った。


 恐れていた。ゴートマンはミラを、心の底から恐れているように見えた。恐怖して――――


「――っ! もしやミラは、魔女にやったことをあの男にも……」


 恐怖――という言葉に、私はひとつの可能性を思い浮かべた。それは、あの男と――ゴートマンと同じく、人間の常識から逸脱した脅威に対する対処だった。


 アギトとミラは、魔女を完全に倒す為にと、恐怖という楔を打ち込んだ……と、そう説明してくれた。


 魔女の力は強大過ぎて、ただ真正面からぶつかったのでは分が悪過ぎるからと。だから、不必要な警戒を買うことで、本来ならば必要とされる警戒を薄め、隙を作るのだ、と。


 もしやミラは、それをあの男でも適用しようとしているのではないか。そんな考えが頭に浮かべば、ふたつの感情が一気に湧き上がってくる。


 ミラは誰も殺さない。あどけないあの少女は、ゴートマンを――人間を手に掛けることを嫌がり、拒み、それ以外の手段で解決しようと必死に策を張り巡らせているのだ。と、そんな希望……喜びが。そして――――


「――揺蕩う雷霆(ドラーフ・ヴォルテガ)――」


――――そうしなければならない理由――まだ隠された力の大きさが、このまま戦い続けて倒すに至らないほどに巨大なものであるという可能性――絶望感が、まるで沸騰した水底の泡のように上がって来た――――


「――――ミラ――――っ」


 強化の魔術を唱えたミラの姿は、すぐに私達の視界から消えた。ただそれでも、彼女がどこへ向かったのかは分かった。他よりも眩く軌跡の残った道を辿れば、自ずと彼女の背中に行き着くから。


 真っ直ぐに――ただ真っ直ぐにゴートマンへ向かって。ミラは自身の最速の攻撃を、ゴートマンを殺す為に放った。悪を……人間を害する存在を取り除く為に、勇者の一撃を――――


「――――撤退だ――――っ! ベルベット君! お願い――っ!」


 雷が見えた。それがゴートマンに迫る光景が。そして……天に向かって昇る、あり得ない事象が。


 それを私が目にしたのと同じくらいに、アギトの声が聞こえた。そしてすぐ、私達の見ていた景色は真っ暗で奇妙な泥の中へと沈んで行った。


 撤退の合図が出されたらしい。その一撃で決着がつくと、私がそう思ったその瞬間こそが、他でもないミラからアギトへ向けての合図だったようだ。


 それを私が理解したのは、先ほどまで震えていたと思ったアギトが、勇敢な目で魔具を準備し始めたのを見てからだった。

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