第四百六十八話【勝利を思い描いて】
現状の戦力を把握し、意図しない協力者の存在も示唆され、そして進攻、及び撤退の明確な基準も設けられた。
「――それじゃ、三日後に出発としましょウ。長く時間を掛け過ぎても良くないけど、準備が疎かなままでも意味が無イ。ここがギリギリのラインだと思うワ」
「三日……はい、私も妥当かと思います。それだけあれば、カストル・アポリアからの支援も間に合う筈です」
となれば、段階は次へと進む。先ほどまでユーゴと言い争いをしていたとは思えないくらいあっさりと、そして平然と、ミラは作戦決行の日取りを提案した。
三日後。それは、あらゆる事情を鑑みた上で算出された数字に思えた。悩むことなく口にされたとは思えないくらいに。
私達には準備の時間が必要だ。ユーゴ、アギト、ミラ。そしてベルベット。彼らの力が本物で、頼もしい限りであることは理解しているが、それと部隊全体の戦力は必ずしも比例するとは限らない。
大勢での作戦になる以上、個人の能力の突出度よりも、全体の統率が取れているかどうかが重要になるだろう。それにはまず、全員が作戦とその意図を十全に把握している必要があるから。
それと加えて……私達には時間が無い。こちらは何を考えるよりも早くに気が向く問題だが、あまり長々と待っていては、陽動作戦によって得た優位性が失われてしまいかねないのだ。
魔人の集いが実際にどうなっているのかは分からない。ただ……ヨロク北方にあの組織が関係していないと分かった以上、あちらから見えているこちらの行動は、ネーオンタインを解放し、海路を長く繋げようとした……というところで止まっている筈だ。
これは好機なのだ。この瞬間だけは、こちらが主導権を持っている。待ち受けられることも、追い討ちを掛けられることも無く、こちらから攻め入ることが可能な、数少ない隙。ここを逸するわけにはいかない。
「……ただ、どうしても大きな不安がひとつ残っています。いえ……私が気を揉んだとて解消出来るものではないのですが……」
「……? 不安……そりゃ、不確定要素は多いもノ。心配ごとは無くならないでしょうケド……」
私がこぼした弱音に、ミラは首を傾げて近付いて来た。そしていつものように膝の上に登ると、ぐりぐりと頭を喉元へ擦り付け始める。心配してくれているのかな。
しかし、そんな愛らしい姿を見ても胸はざわついたまま。私の中にある不安が……喪失感が、それなりに長い時間を経た今もまだ埋められていないのだ。
「……私達には優れた指揮官がいません。かつてはジャンセン=グリーンパークという、それは優秀な方がいてくださったのですが……」
どうしても、あの方の不在だけは……その穴だけは埋められていない。
アギトが、ミラが来てくれた。それによって、マリアノさんの穴はおおよそ埋められたと言っても構わないだろう。ユーゴが部隊との連携をこなすようになったこともあり、ほぼ間違いなく。
そして、先に顔を見せた……見えてはいなかったが、魔術翁と呼ばれる支援者の存在は、バスカーク伯爵の役割を代行し得るものだろう。そういう紹介を……情報収集を任せるのだと聞かされている以上は、きっと。
それに、ベルベットの存在は、以前にあった特別隊の、主に工事の……盗賊としてではなく、地域の復興をこなした経験から来る土木工事への慣れを再現してくれる筈だ。あるいは、こちらについては以前を遥かに凌駕する者にもなるだろう。
けれど、それでもジャンセンさんの代わりになる人材だけは見付かっていない。もちろん、まだ魔術翁という人物の能力も把握し切っていない、その成果を目にしていないから、伯爵の穴も埋まっているとは言い難いのだが……目処すら立っていない……というのが……
「……そればかりは私達じゃどうしようもないわネ。部隊を指揮する……だけなら、友軍の中にも経験を積んでる騎士は少なくないワ。でも……」
その誰もが、このアンスーリァにおいては余所者だかラ。と、ミラは少しだけ寂しそうな顔でそう言った。
そう……なのだ。余所者という言葉は少し冷たいものに思えたが、しかしそれで大きく間違っているとも言い難い。
ヘインスにも、他の騎士にも、このアンスーリァでの権限はほとんど与えられていない。私の傘下に加わり、活動を許可されているものの、国軍の指揮官と比べて圧倒的に小さな役割しか許されていないのだ。
「私達で……アンスーリァで受け持たねばならない役割ですから。こればかりは、貴女に頼ることも、任せることも出来ません。それは重々承知の上です。ですが……」
そのアンスーリァで、ジャンセンさんほどの能力を持つものがどれだけいるか。
パッと顔が浮かぶのは、ヴェロウ、ランディッチ、それにイリーナか。あるいはパールも、視野の広さや知見の深さは頼りになるだろうか。
しかし、その誰もが指揮官として迎えられるものではない。前者三人にはそれぞれが守るべき場所があるし、パールにも宮を守る責務がある。それに、誰も軍事的な経験を積んでいないのだから。
「つらいかもしれないし、不安かもしれないけど、手に無いものを欲しがっても仕方が無いワ。今はあるものだけでなんとかする方法を模索しないとネ」
「……そうですね。ミラの言う通りです」
んふふ。と、ミラはにこにこ笑って、そして頬を寄せてすりすりとすり付いて来た。ふふ、相変わらず……落ち着くし、癒される。
「それに、そういうものは経験の先に自覚を持つものヨ。私が勇者の自覚を戦いの後に手にしたように、難しい戦いを繰り返すうちに誰かがその才を目覚めさせるかもしれないワ」
「なるほど。ふふ、ミラが言うと説得力がありますね」
その……勇者としての自覚云々以前に、この説得力ある癒しの力をして。意図してかそうでないかは分からないが、この子は本当に人の気持ちを安らかにする才を持ち、存分に振るってくれるから。
「では、三日の間に出来ることはすべてやってしまいましょう。ミラ、必要なものがあれば言ってください。と言っても、出発前にも確認して貰っていますから、補充したいものがあれば……が正しいのでしょうが」
「んー……そうネ。アギトに渡した魔具はまだ使えるし、ベルベットがいるなら薬の類を私が準備するまでもなイ。となるト……」
ミラにはヨロクの調査の為にと準備の時間を与えているから、その間にもこの作戦用の準備さえ終わらせてしまっているかもしれない。そうは思ったものの、しかし不足があってからでは遅いから。
念の為に。と、その思いで私はミラに尋ねたのだが……やはり、私が今更思い付くこと程度は、彼女がとっくに解消した後だったようだ。
ミラはしばらく悩んだ後に……本当に悩んで、見落としが無いかをしっかり確認した上で、今から欲しいものは何も無いと答えてくれた。
「この三日の間に何か見付かれば、すぐに連絡するワ。フィリアも、私で出来ることならなんでも手伝うから、足りないものがあれば相談してネ。こう見えても手先は器用なんだかラ、ここの設備を使えば鍛冶くらいはやるわヨ」
「か、鍛冶……くらい……ですか。その……鉄を溶かす窯がありませんが……あ、いえ……」
炎は彼女自身が常備しているようなものだった……な。どうやら彼女はものづくりについても精通しているらしいが……炉や窯の代わりを個人でこなしてしまう部分の方が勝ってしまって、器用さや技術の幅などがかすんでしまう……
「……こほん。では、何かの時には頼らせていただきます。ただ……あまり無理はしないでください。貴女は今この部隊においてもっとも大きな戦力と言って差し支えありません。それが準備段階で魔術を使い過ぎて、体力も魔力も不十分である……なんてことになれば……」
「そこは心配無いわヨ。ちゃんと食べてちゃんと寝てれば、普段使い程度の魔術で消耗なんてしないワ。勇者様の力もあるし、ハークスの力もあるもノ」
普段使いの魔術なんて聞き慣れない単語が、どうしてかこの子の前だと当たり前のものに思えてしまう。
アギトからは、ユーザントリアにもミラほどの魔術師はそういないと聞かされているし、ここへ来てくれたベルベットや魔術翁というのが、かの大国においてもほんの一部、とてつもなく希少な上澄みの存在であるとは理解もしている。しているが……
「本当に……この国にももう少し魔術や他の学問に対する関心、理解があれば……」
これだけの逸材が生まれる背景には、長く積み上げられた研鑽があるのが筋だから。そう思うと……やはり、最終防衛線や、魔術などの学問の一部を排したことは、アンスーリァ王政の過ちだったと思ってしまう。仕方なしにやったのだとは分かっていても……だ。
「……んふふ。なら、その内に魔術の教室を開きましょうカ。フィリアも基礎は理解してるのよネ? だったら、ランデルの生活に余裕がある人だけでもいいから、簡単な術だけでも覚えて貰うのヨ」
畑の土を肥沃にする薬を作るとか、実用的なものならみんな欲しがるデショ? と、ミラは目をキラキラさせて提案してくれた。
この国にももう一度魔術の根を……か。それはなんと魅力的な提案だろう。それも、ミラ=ハークスという最上の講師を迎えた上で開かれると言うのだから……
「……ふふ。そうですね。この遠征が終わって、またランデルへと戻ったら、宮にいる貴族の子息を招いてみましょうか」
「しばらくはただのおままごとでしょうけど、いつか……私達がユーザントリアへ帰って、このアンスーリァがちゃんとひとつにまとまって、ユーゴも大人になって、そしてフィリアが今よりずっとずっと立派になった頃、きっと国を照らす力になる筈ヨ」
この戦いが終わって、解放もすべて成し遂げて、ユーゴが大人になって…………私はその頃、もう王位を退いているのだろうな。王政を排したとしても、そう出来なかったとしても。
それは……そんな未来は、思い描くだけでも胸が弾んで顔がほころんでしまいそうになるな。
そんな素晴らしい国がいつか出来上がったなら、きっとこの国にもミラ=ハークスの英雄譚が残るのだろう。異国より来て、魔獣を退け、そして民に新たな光をもたらした……なんて。
気持ちの良い未来を思い描いたなら、それに向けて走る気力も湧いてくるというもの。私はそれからすぐに部屋を出て、そして部隊のもとへと急いだ。補給が必要なら申し出てくれ、今足りていないものがあればすぐに申請してくれ、と。いつかの未来を迎える前に、この瞬間を勝利する為に。




