第四百五十四話【安全確認】
ネーオンタインの町を、この場所を解放した事実を、陽動の為だけに使い捨てるのはもったいない。と、ミラはアギトに魔具を預けたと言う。
そして、アギトはその言葉に従って、町の真ん中でその魔具を起動させた。道を拓け、世界よと言霊を唱え、銀の懐中時計に込められた魔力を解放する。
「……何も……起こらない……? あの、アギト。その魔具にはどのような魔術が仕込まれていたのでしょうか」
だが……それからどれだけ待っても、魔具にも私達の周囲にも変化は起こらなかった。
魔具の発動に失敗した……わけではない筈だ。言霊を間違えたとか、ミラが魔具の作成に失敗していたとか、そうではないだろう。
しかし、なんの変化も訪れない。では……これは、目に見えない効果を発揮する魔具……ということ……なのだろうけれど……
「……? アギト? その……もしもし……?」
どうであれ、私がその現象に首を傾げるのは当たり前のことだ。
けれど……もうひとり――アギトに関しては、そうであってはならないだろう。
だって、彼はその魔具を預かって、自ら起動までしたのだ。なのだから……
「……これ、何が起こったんですかね……?」
「っ!? あ、貴方も分かっていないのですか⁈」
はて? と、首を傾げてしまっているその姿は、本来ならばあり得ないものだと思うのです……
「いえ、あの……違うんですよ。その……説明はして貰ったんですけど……貰った……ん……ですけど……っ」
「……理解し切れなかった……と?」
その……それは……ううん。
彼はこれまでにもミラの魔術を何度も目の当たりにして、そしてその力を込めた魔具も使用してきているのだから。私よりも理解力があって然るべき……とは思ってしまうのだが。
しかし、アギトはミラから受けた説明をまったく理解出来なかったらしい。
そして、目の前で何も起こらなかった……ように見えるから、失敗したのか、魔具そのものが作り損なったものなのかを判断出来なくて……
「なんか……その……地点防衛がどうとか……なんとか……」
「とりあえず、町の真ん中で起動さえすれば、ここら辺を守る力になる筈だから……って。それだけ理解してればいいって……言われて……ぐすん」
「……諦められてしまっているではありませんか……」
ううん……
アギトのことを頼もしいとは思っているのだが、どうにも……二度か三度に一度は、まったくアテにならないような印象を受けてしまうな……
もっとも、彼がこの魔具の効力、そして具体的な効果を知らずとも、ミラが作った魔具であるという事実だけで信頼には足る。
それがきちんと起動出来ているのかもよく分からないという点が問題なのではあるが。
「しかし、地点防衛という言葉を思えば、結界魔術なのかもしれませんね。ヨロクやダーンフール周辺に展開されているという魔獣除けの結界の、その模倣である……とか」
「結界……言われてみると、そういえばさっきの言霊はアーヴィンの……アイツの故郷の神殿を守ってた結界の…………結界を開ける言霊に近かったな」
「あれ? もしかして、ここにはもう結界が張ってあったってことか?」
それを開けて無力化させたってこと? と、アギトはひとりで首を傾げてしまったが……残念ながら、それに答えを出せる人材はここにはいない。
アギトの疑問の通りに、ここに何か悪い作用をもたらす結界があったとして、それを解除したにせよ、あるいは私の推測通りに結界を展開したにせよ、ミラはここを守るのに十分な効果があると見込んでこの魔具をアギトに持たせた。そこは変わらない。
「その効果のほどについては、戻って本人に話を聞くか、あるいは次にここを訪れれば判明するでしょう。私達だけで悩んでも仕方がありません」
「うっ……そうですね。魔術については本当に全然分かんない……つもりも無いのに……っ。アイツ、知らないとこでどんどん新しい魔術作るから……」
ミラの強さ、勤勉さを良く知るアギトからでも、進化を続ける彼女の最新の全貌については把握し切れない、追い切れない、か。
ある意味では、こうして私達が振り回されている事実こそが、あの子の強さを担保しているのかもしれない。
ユーゴの進化を私がまったく予想出来ず、いつも呆気に取られてしまうのと同じように。
「……ふう。ふたりに驚かされてばかりではいけませんね。私達も精進せねば」
アギトは私の問いに、苦々しい顔で頷いた。
きっと、あとどれだけ頑張れば置いて行かれないようになるだろうか。と、悩んでしまっているのだろう。
それについては……私もまったく同意見だから、同じくうなだれるしかないのだけれど……
「では、また皆のところに戻りましょう。ユーゴが先頭に立って調査を進めてくれている筈ですから、その報告も受け取らないといけませんし」
「はい。わがままを聞いて貰ってありがとうございます」
この町の安全、延いては私達の安全と、そして作戦の効果を高める為の魔具だったのだから、わがままではあるまい。
やはりと言うか、なんとも感覚のズレた少年だと再認識させられるな。
そして、私達がまた部隊の集合している場所に戻ると、すぐにユーゴが馬車に乗り込んできた。
異常無し、魔獣の巣はどこにも作られていなかった。と、そんな報告を持って。
「しかし……想定外っちゃ想定外だよな。もっと魔獣だらけだと思ってたのに。これだけぼろぼろなんだから、魔獣に襲われたのは間違いないわけだろ」
「そう……ですね。その観点からならば、これはまったく想定していなかった状況と言えるでしょう」
なんだよ、その言い方。と、ユーゴは私の言葉に眉をしかめた。
含みを持たせるつもりも無かったが、しかし言葉の通りだ。この場所は……ネーオンタインは……
「ここは海が近く、作物も育ちにくい。当然、それらを餌とする生き物も少ない……もちろん、それに代わる生き物は生息しているわけですが、私達が普段目にする環境とは違って当たり前ですから」
エサが不足しているとか、あるいは寝床を作るのに難儀するとか。飲み水の確保が難しいとか、理由はいくらでも考えられる。
とにかくここは、魔獣が棲み付くには向かない土地だったのだ。
同じような環境だったであろうかつてのサンプテムは、マリアノさんが魔獣を掃討するまでは住処にされていた……とも聞かされている。
だが、ここはそうならなかった……と、それだけの話だろう。
もちろん、何かの意図があって……と、深読みすることも出来なくはない。
だが、ここへ私達が来たことや、マリアノさんやイリーナがサンプテムを拠点にしたことは、今の今になるまではなんの因果も無い事象なのだから。
「特別な事情があるのではなく、単にここが生物の住処として向かない土地だったというだけでしょう」
「人が住んでいた間は、育てられた作物に家畜、そして人間そのものを食料とする為に襲った……のでしょうが……」
「そういうものも全部無くなったから、魔獣はどっか行った……ってわけか」
自然に考えればそうなるだろう。
もっとも、この町はヴェロウの故郷であると聞いている。
彼の若さを思えば、人が離れてそう長い時間が経ったわけではないとも思うから、それにしては早過ぎる気もするが……
「ヴェロウはこの場所を、カストル・アポリアの前身であると口にしました。それはつまり、ここに住んでいた人々を連れて移住し、新たに国として興したものがあの場所である、と。そういう意味だとすれば……」
もとより魔獣による被害で疲弊し切っていたこの町を捨て、今のカストル・アポリアがある場所まで全員が移動した。
となれば、当然ここには何も無くて当然だ。捨て残された食料程度では、魔獣の群れが一度通るだけで食い尽くされてしまうだろうし。
「少なくとも、ここが静かであること……魔獣がいないことには、それほど大きな意味も無いと考えて良い筈です」
「……ちょっとのんきな気もするけど、そうだな……あんまり疑ってばっかでも疲れるしな」
疑うことも大切だが、しかし緩められる場所では気を楽にせねば。張り詰め続ければどこかで壊れてしまいかねない。
「では……ユーゴ、皆に伝達してください。明日の朝、この場所を出発します。再建用の物資……に見せかけられるものだけを残し、部隊全員でヨロクまで引き返すのです」
「食料や衣類……魔獣が近寄りかねないものは決して残さないように注意して、と。そう伝えてください」
「ん、分かった。フィリアはここから出るなよ。アギトもだぞ」
ユーゴは私達にそう言って釘を刺すと、また皆のところへ戻って行った。
なんとなくだが、出発前よりは普段に近い、リラックスした表情に見えた。やはり、魔獣がいなかったことには安堵しているのだろう。
そして私達は、それぞれの馬車でひと晩を明かすこととなった。
夜が明ければまたすぐに出発だ。硬い板の床だとしても、それなりには休んでおかないと。




