第四百五十二話【頼もしいひと、そうでないひと】
隊列の一番前、騎馬隊を率いるようにその背中は走っていた。
私の知っている彼は、部隊に危機が迫る前に魔獣をせん滅していた。それが出来て、そうしてもリスクを伴わなかったから。
けれど、その為の感知能力も失われ、単独行動に踏み出すわけにもいかなくなってしまった。
そんな彼が、部隊よりも先行するでなく、それと並走するでもなく、騎馬隊と同化して先頭を走っている。
「……ミラの武術を真似て、アギトの護身を真似て、そして……それらを併せて、マリアノさんの模倣をしている……のですか……?」
私のその姿に、かつて一番前を走ってくれていたあの方を思い出した。
馬に乗って、大きな剣を担いで、部隊全体に指示を出すマリアノさんの姿を。
もちろん、ユーゴとマリアノさんとではまったく違う。ユーゴは馬に乗る必要など無いし、武器も片手で扱える短剣に限られる。それに、まだ部隊を率いる能力や経験は培われていない。
それでも、その背中は間違いなく……
「……その強さを認め、素晴らしさを認めて、模倣することで自らの力とする。良かった……貴方の中には、やはり皆の強さが残っていたのですね」
道が真っ直ぐになると、一番前にいるユーゴの背中は見えなくなってしまった。馬車の側部についている窓からでは、正面の景色は見えないから。
今まではそれでも見えていた、好き勝手に走り回る彼の姿が、だ。今はもう、右にも左にも見当たらない。
「アギト。貴方にはどれだけお礼の言葉を口にしても足りませんね。貴方達と出会ってから、彼はどれだけ成長したことでしょう」
「え、いやー、その……へへへ。俺は大したことしてないですけど、そう言って貰えると光栄です」
いいや、大したことをしてくれている。それも、一度や二度だけではない。アギトには特に、ユーゴの精神的な助けとして大いに活躍して貰っている。
「しかし、油断はなりません。ユーゴが部隊での連携に馴染めたとしても、それで部隊全体の能力が大幅に底上げされることにはなりませんから」
「はい、分かってます。俺の今からの役割は、ここから窓の外を見て、魔獣が横から来ればそれを迎撃する。そして、何かあったって報告があれば、補助用の魔具を起動させること、ですよね」
アギトはそう言うと、シャツの下から魔具を……短銃を取り出した。
それはたしか、魔弾――雷の弾丸を射出する魔具……だったな。その威力は、魔獣の肉体を簡単に焼き貫いてしまうほどの代物だ。
「では、私は左を見張ります。貴方も、周りから見付からぬように気を付けて。出来る限り馬車の中央に座ってください」
私もあまり顔を出すと怒られてしまいそうだから……ふたり揃って馬車の真ん中から外を見張るのが正解かな? と、それを提案すると…………アギトは少しだけ困った顔になって、私から目を背けてしまった。
「……? あの、アギト? あまり窓に近いと外から見つかりかねません。私も貴方も、狙われれば簡単に殺されてしまうのです。もう少し窓から離れて、こちらへ来てください」
「へぇっ⁈ あ、あの……は、はい……えっと……」
ふむ、どうしたことか。アギトはどうにも言葉に詰まったまま、しかしこちらへは来ようとしない。
窓や壁に近ければそれだけ危ないのだから、私と背中を併せて…………
「…………すみません。狭い……でしょうか……っ」
「っ⁈ ち、ちち違いますって! いや、その……ええと……」
もしや……私のそばに来れば、その分……狭いと……っ。
身体の大きい私の隣には、出来るだけ近付きたくない……と、嫌がっているのだろうか……?
「たしかに、貴方の隣にはいつもミラがいます。その……彼女と比べれば、ずっと……ずっとずっと……大きく、邪魔かもしれませんが……っ」
「じゃ、邪魔だなんて! そんなことありませんよ! ただ……その……そうですね。ミラとはいろいろ違い過ぎるので……」
しかしながら、今は狭いだの嫌だのと文句を言っている場合ではない。リスクは可能な限り下げる。そこに個人の感情などが関与する余地は無い。
どうにも煮え切らないアギトを何度も手招いて、私は彼に背中を預けるように左側の窓へと顔を向けた。
すると、背後から小さなため息が聞こえて、ゆっくりとこちらへ迫って来る足音も聞こえた。
「狭かろうと、今は我慢してください。出来る限り邪魔になるようなことはしませんから」
「は、はははははい……ご、ごごごごちそうさまですっ!」
ご馳走様……とは、なんの話だろうか……? なんと言うか……精神的に奇妙な状態にありそうだな。
しかしながら、すぐ後ろにアギトの呼吸があって、馬車が揺れる度に背中が少し触れるようになった。
私の身体が私の想像よりもずっと大きなものでなければ、外からは簡単には見えない場所に彼もいてくれるだろう。
「お、おおお落ち着け……すー……はー……すー……すぅぅー…………ごぇっほ!? ごほっ⁈」
「っ⁈ だ、大丈夫ですか!? 息は吸ったら吐くものですよ⁈」
もしや、極度に緊張しているのだろうか……? 深呼吸を始めたと思えば、どうしてか吸うばかりで咽てしまったその息遣いに、私はそんな懸念を抱いた。
たしかに、彼は戦いに向いていない。それは主に性格的な問題で、ミラも言う通り脅威を前に平静でいられるタイプの人間ではないだろう。
しかしながら、魔獣との戦いはそれなりに経験している。それに、魔具を用いて戦う姿は何度も見せてくれている。
だからといって緊張などしないとは言わないが、ここまで硬くなるほどではない筈で……
「……もしや、ミラの心配をしているのですか? それとも、ミラがいないことを心配しているのですか……?」
……いや。普段の彼とは、一点において大きく違う。彼は今、いつも一緒にいるミラと離れて戦わねばならないのだ。
そう……か。そのプレッシャーは計り知れないだろう。
彼はいつも、世界を救うだけの力と共に立っているのだ。それが今に限り、たったひとりきりだ。
それに……アギトには大きな問題が潜んでいる。
彼がどの程度自覚しているのかは分からないが、彼は異様な能力を、意図せず発露してしまう可能性を秘めているのだ。
ミラ不在となれば、そうなってしまった後のことを不安に思って当然……か。
「……安心してください……とは、私から言っても頼りになどならないかもしれません。ですが、貴方は貴方の良く知るこの友軍の力を……ユーザントリアより共にやって来た、強大な騎士団の力を信じてください」
その不安を拭うものは、残念ながら私の手元には存在しない。友軍を、仲間を信じろと言ったとて、それがミラの代わりになるほどでないことくらいは私にも分かる。
それでも、そんな声を掛けるしか……
「……だ、だだだ大丈夫です……っ! ちょ、ちょっとだけ……ほほほほんの少しだけ緊張してるだけですから!」
「は、はい。ですので、その緊張を少しでも解す為にも、今日共に戦っている仲間の強さを……」
大丈夫です! と、私が何を言ってもそれしか答えないアギトの身体は、普段とも、出発前とも比べ物にならないくらい強張っていた。あるいは、魔女と向き合っていた時よりも……
あの時は、彼自身にその力の認知があった。だから、どうあってもあの存在を前にも勝利を手に入れられるだろう……と、その自信から緊張も和らいでいたかもしれない。
しかしながら、それでも魔女という存在の威圧感を前には、身体は強張るし心も凍り付きかける。それが自然で、当たり前の反応だ。
にもかかわらず、その時よりも緊張して見える……ということは、ミラと別れてひとりでここにいることが、私などが想像するよりもずっとずっと大きな不安を呼んでしまっている……のか。
「……っ。アギト、こちらを向いて手を出してください」
「ひょぇっ⁈ え……? え、ええと、手……ですか……?」
そう、手だ。私が不安になった時、心にもやが掛かった時、悩みが尽きない時、ミラは私の手を握ってくれていた。それはきっと、アギトにも同じことをしている筈だ。
「……安心しろと、私の言葉でどれだけ緊張が解れるとも思いません。それでも、私は貴方に対して全力を尽くして補佐する覚悟があると、それだけは伝えたいのです」
先ほどまで背中合わせだったアギトと向き合って、私はその手を握った。
ミラよりも大きく、ユーゴよりも大きく、しかし私や他の大人よりは小さい、その手を。
きっと緊張に強張っているだろう。きっと冷え切っているだろう。きっと、握りこぶしを解けぬほど硬くなっているだろう。と、そう思って取った手が、私の手よりも赤らんで、温かくて……? 温かい……な。
「……? あの、アギト? 貴方はずいぶん血行が良いのですね。それとも、緊張の形が私とは違うのでしょうか……?」
おや。緊張しているのならば、この温かさは変だな。と、顔を上げると、そこには私から顔を背けて丸くなってしまったアギトの姿があった。ええと、それは……?
「だ、だだだ大丈夫……ですので。ちょっと……その……お……女の人と近付くのに慣れてないだけで…………」
「……え、ええと……」
うん……? ええと、彼は何を言っているのだろうか。
よもやとは思うが、魔獣への恐怖やミラと別れたことによる心細さではなく、単に私とふたりでいることを恥ずかしがっている……のだろうか。そ、そんな……
「…………本当に、貴方という人物を測りかねますね……これだけ危険が揃った状況で、そんなことを気に掛ける余裕があるとは……」
そんなのんきな話があってたまるものか……
しかしながら、アギトはどうやら本気で恥ずかしがっているだけらしくて、私から少し離れるとすぐに平静を……取り戻せたとは言い難くとも、私に手を握られている時よりもずっと落ち着きを取り戻していた。
私のような大女でも、彼くらいの歳頃ならば異性として意識してしまう……のだな。と、そんな感慨も抱きつつ、それをこんな場で……と、呆れてしまいそうにもなりながら、私は少し離れた場所で外を見張るアギトの背中にため息をこぼしてしまった。
本当に大丈夫なのだろうか、この作戦は……




