第四百五十話【穴だらけの中を】
そして出発の朝を迎えた。いいや……厳密には、出発の朝を控えた……
「……ですから……」
「おーい、起きろ……起きてるのか。最近は早起きになったな」
……明朝とも呼べない、朝日も出ない時間に、ユーゴの足音で目を覚ました。
声を掛けられるまでもなく起きてしまうのは、自分でもどうかと思う。勤勉になった……と、前向きに捉えても良いものかどうか……
「……しかし、今朝に関しては僅かほども気を緩められませんからね。早い時間から、何度でも策を見直す時間が欲しいところです」
そう。今は私の生活を掌握されつつあることの是非は問題ではない。
今気にすべきは、これから行われるネーオンタインの解放作戦――魔女との戦いに欠かせない、ふたつの準備を暗中にて進める為の、陽動作戦の成否だ。
「予定通りにことが進んでいるのなら、そろそろミラのもとにもうひとりの協力者が到着する頃でしょうか。あるいは、もうランデルを出発しているかもしれません」
となれば、ここで私達が足止めを食ったり、余計な時間を使ったりすれば、ミラの調査に間に合わなくなる可能性もある。それは避けねばならない。
「ユーゴ、今朝は貴方の荷物もしっかり確認しておきましょう。武装の準備は欠かせませんが、不必要に荷物が増えれば負担にもなります。それは避けねばなりません」
「別に、大した問題じゃないけどな。まあ、邪魔なものは持ってたくないけど」
大した問題でなくとも、一瞬の気掛かりが命取りになりかねないのだから。些細な障害だろうと取り除かねばなるまい。
「まずは食料に水、それから医療品ですが……これらは最低限にして、都度こちらから補給する形にしましょうか。問題は重量のある装備ですが……」
以前にも、ユーゴの装備について……防具や武器について、何を持って何を預けるかと話し合ったことがあったな。
その時には、防具は最低限、武器については予備を私が複数持ち歩くという形を彼は望んだが……
「今までと一緒で良いだろ。そこまで負担になったこと無いし、邪魔なら捨てれば良いし」
「……そうですね。それで慣れている以上、変える必要はどこにもありませんから」
今もそれは変わらない……大きな変更は必要無い、か。
しかし、その時とは状況が違う――彼の能力には変わった部分がある。ならば、戦い方は変化していて然るべきだろう。
「ここまでに魔獣と戦う機会がほとんど無かった所為で、防具や武器の新調が必要なのかどうか分からないのが困ったところですね」
「海洋で魔獣を倒した時に、動きにくかったところや、邪魔になったものなどはありませんでしたか?」
逆に、こういったものが欲しいと思った……とか。そんな私の要領を得ない問いに、ユーゴは困り果てた顔で首を傾げた。実感も無しには提案も出来ない……か。
「ん-……別に、これと言ってなぁ。あれば便利かなぁとか、そういうのも特に無いし。強いて言えば、チビみたいに飛び道具があればとは思うけど……」
飛び道具……か。しかし、ユーゴに拳銃を持たせたとて、それで何か意味があるとは思えない。あの道具の場合、出力は変わらないわけだし。
「ううん……ミラに頼んで貴方にも魔具を作って貰えば良かった……でしょうか」
「魔具って、アギトが使ってたような奴だろ? それは……うーん、いらない。流石にオーバーだし」
たしかに、不要に出力が高過ぎると思わないでもない……が、そこはものによるだろうから。
微弱な強化魔術や、あるいは低出力の攻撃魔術を組み込んだ魔具をと頼めば、その通りにしてくれただろう。
しかしながら、それもふと思い出される事実に、それほど効果的なものではないかもしれないと考えさせられる。
「……魔具を借りたとて、それを使いこなせるかは別ですから。やはり、使い慣れたものが一番でしょうか」
「……なんか、その言い方ムカつくな」
いえ、その、バカにしたつもりはなくてですね……
思い出したのは、ユーゴにミラの強化魔術を掛けてみてはどうか……という、実験にも似た訓練をした時の光景だ。
結果から言えば、ユーゴは強化魔術を掛けた状態では、ロクに動くことも出来なかった。戦うことはおろか、簡単な運動すらも、だ。
私の解釈では、あれはユーゴの特性と――自分の想像の通りに動くことが可能になるという能力と、動作そのものを高速化させる魔術との相性が悪かったことに起因する……のだと思われる。
ユーゴは自分が知る限り、想像する限りでは無限に強くなる。
だがその為には、自分の身体を自分の意のままに動かせねば意味が無い――自分の意図したよりもずっと高い出力で動くようになってしまうと、想像の力を反映できなくなってしまうのだ。
「きっと攻撃魔術でも同じことが起こるのでしょう。使いこなすのに特別な能力が必要無いとは言え、それを標的に命中させるにはそれなりに練度が必要になるでしょうから」
素人が拳銃を持ったとて、それを離れた的に命中させるのは容易ではない。それと同じことが起こるだけだろうな。
「別に、チビの魔術より俺が強くなれば良いだけだろ、それは。使いこなすも何も、使うまでもないだけだ」
「飛び道具があれば……と、そう言い出したのは貴方でしょう。しかし……そうですね。魔具も銃も、威力が一定である以上は、貴方に持たせるには相応しくないのかもしれません」
そもそも、それらは力の無い人間が魔獣や獣を仕留める為に作られるものだ。剣のひと振りで巨大な魔獣を両断出来てしまう彼にはまったく無用なものだろう。
「でしたら、何か投擲武器を持つのはどうでしょうか。もちろん、その分荷物は多くなりますし、取り扱いも気を付けねばなりませんが……」
「投擲……手裏剣みたいなもんか。うーん、それなら……」
しゅりけん……というのが何かは分からないが、それこそ石つぶてだとしても、彼が放れば短銃の比にならない威力になることは証明されている。
普段から使っているものよりももうひと回り小さい、投擲に向いた短剣を備えることも視野に入れるべきか。
「ま、いいや。必要になったら石でも拾って投げれば良いし」
「悩んだ末に出した答えがそれですか……」
まあ、荷物が増えないのならばそれに越したことは無いのだが。
しかし、彼の装備、準備について、万全を期すべきことには変わりない。
いらないという結論を出すことも、まったく意味の無いものではなかった……と、一応は前向きに捉えておこう。
「防具も今のに変えてからは困ったこと無いしな、邪魔にもならないし。まあ無くても良さそうだけど」
「攻撃を受ける機会はほとんどありませんからね。しかし、足下や手を守る防具に限っては身に着けていてください。貴方の能力は、肉体の能力を補助するものではない……と、一応はそういう結論が出ていますから」
それでいてあの速さで走るのだ。ただ枝葉が擦れただけでも、深い切り傷を作ってしまいかねない。となると……厚手の手袋を着けさせるのが良いだろうか。
「俺の方は良いから、フィリアの荷物をちゃんと確認しろよ。作戦だって、穴が無いか見直さないといけないんだし」
いえ、私の荷物など、貴方の剣以外には大して持っていないのですけれど。
しかし、策についてはそうだな。すでに全体に通達されたものだから、今更変更する方が混乱を招きかねない……とは言え、致命的な欠陥があるのならばそれは取り除かねば。
「ええと、地図は……ありました。目的地がここ、ネーオンタインの町です。このヨロクから出発したとして、ここまでの進路は……」
しかし、地図の上に魔獣の住処などが書いてあるわけではない。ヘインスらと何度も確認した道順をもう一度確認する以外に、この紙切れをなぞりながら出来ることは無いのだ。
「川は。前みたいに邪魔される可能性は無いのか」
「河川については、ネーオンタイン周辺に至れば存在しますが……しかし、既に一度使った手をもう一度……というのは……」
それに、あの時と今とでは状況が違う。ネーオンタインまでの進軍を見抜かれていたとしても、そこまでに障害があれば引き返すだけだ。それと……
「こちらの行動を読まれ、待ち受けられるとすれば、それはもうネーオンタインにて直接迎え討たれるでしょう。目的地がはっきりしているのです、誘導は必要ありません」
「そう……か。うーん……じゃあ、待ち伏せされてたらどうするか、とか……」
それは無いという前提で作戦を立てていて、それがあった場合には……ユーゴひとりの力で対抗するしかない、と。
諦めているわけではないが、その状況になった際に切り返す手段を求めて、ミラに調査をお願いしているのだから。今の段階では……
「貴方と、それから魔具を持ったアギトがいますから。被害は出るでしょうが、撤退するだけならば不可能だとは思いません」
もしも現れたのがゴートマンならば、ユーゴの力があれば逃げられる……と思う。
魔女ならば……きっと追い掛けて来ることすらない……筈だ。追ってまで何かをするつもりならば、友軍到着以前にランデルを攻め滅ぼせたのだから。
それからも私はユーゴと共に作戦の粗を探し続けた……いや、粗だらけの作戦の中の、致命的な欠陥を探し続けた。文字通り、日が昇るその時まで。




