第四百四十話【仮説】
アギトの話を聞いて、ミラの話も聞いて。それでもまだ、私の中には答えが出ていなかった。
魔人の集いの行動理念……組織として、目指さなければならないもの。得なくてはならない利。それがなんであるか、予想すら難しい状況だ。
「……ふう」
そしてまた、私は宮の自室で頭を抱え続けた。
ふたりに話を聞く前と同じ……いや。その時よりももっと、頭の中がぐちゃぐちゃになっているようだ。
ミラは言った。考え込み過ぎるな、と。割り切ることも覚えねば、本来の目的をも見失いかねないと。
しかし……私はそれを聞いてしまってから、なおのこと考えを纏められなくなってしまっていた。
何を考えても同じところをぐるぐる回るような、そんな感覚に陥っているようだ。
「……組織を維持するのに欠かせない要素……ですか。それは……」
これもまた、ミラの言葉だった。目的に、思想や意思に目を向け過ぎるな。
もう少し大まかに、魔人の集いという組織が存続する為に欠かせない、当たり前の要素を取り上げる程度に思考の幅を広げてみてはどうか。
そんな彼女の進言を何度も反芻するのだが……
「……特別隊を立ち上げるに際し、欠かせなかったものは……」
議会の同意。だがこれは、もとより大きな組織の中に新たな組織を作るという事由が問題視されたから発生した条件だ。
組織そのものの維持や発足には関係しない、私個人のしがらみだ。
では……人の数、だろうか。
そもそもとして、特別隊というものを作る為に行動していたわけではなかったが、しかし魔獣を退治し、解放作戦を続ける為の組織が――専門の部署が必要だとは、ジャンセンさんと出会わなかったとしても同じ結論に至っただろう。
だが……これもまた、目的ありきの――大きな障害ありきの条件だ。
魔獣を倒す、街を解放する、人々を護る。その為には、自由に出来る高い武力が欠かせなかった。
これが果たして、魔人の集いにも当てはまるものか。
「……許可、人……そして……金……ですか」
ならば……隊を維持するのに、活動を続けるのに、行動範囲を広げるのに、惜しみなく注ぎ込み続けた資金はどうだろうか。
当たり前の条件だ。何かをするに際して、お金が掛かるということは。絶対に避けられないし、避けては誰にも賛同されない。
私が消費をすれば、他のものは収入を得るのだ。そこを渋れば誰も見向きもしないだろう。
だが……だが、だ。その当たり前には、根本的なところで崩壊した前提が存在する。してしまう。
金とは、資金とは、経済とは、国ありきのものなのだ。
魔人の集いはアンスーリァに属していない。当然、その経済圏には加わっていない。
アンスーリァの硬貨を持ち込んだとして、それで取引を成立させられるわけではない。
ならば、魔人の集いの中には独立した経済が存在しなければならない。だが、それとアンスーリァとは一切関係無いのだ。
金とは保証で、何かによって定められた価値だ。その価値は、他のものと換えられることで初めて意味を持つ。
魔人の集いはアンスーリァから略奪を行っているわけではない。
行えたにもかかわらず、ヨロクや他の街を放置したり、カストル・アポリアや南部四都市のような、アンスーリァ経済圏外の街を取り込むこともしていない。
その上、領土を広げる為の侵略行為も一度として目にしていない。
かつては盗賊団と競り合っていたようだが、その目的についても判明していない――明確な攻撃目的を露わにしていない。
このことを鑑みれば、魔人の集いは金の為に――組織の経済力を大きくする為に、物資や領土を求めて攻撃をしているのではない。それはまず間違いないだろう。
「では……ではいったい、何を求めているというのですか……」
組織として求め続けなければならないもの。それは、組織に属する人間への……人間と種族を限らずとも、組織に属し、尽くす存在への見返りだ。
その最たるものが金であるというだけで、その形はなんだって構わない。だが……っ。
もっとも有力な候補が違うとなれば、次に思い浮かぶものなど存在しない。これは……これが、私達の当たり前だからだ。
国はお金の価値を担保し、それによって経済を破綻させぬように……個人同士の取引では発生しかねない不平等を排し、誰もが努力に見合う報酬を手に入れられるように法を整備する。
これが、私の知る限りの人間の組織の当たり前なのだ。
そこから外れられてしまうと、私達は途端に道しるべを失ってしまう。
金を――保証、信頼、平等を求めず、それらよりも優先されるべきものなど……
「……っ。落ち着きなさい、フィリア=ネイ。ミラはなんと言いましたか。考え込み過ぎない、入れ込み過ぎない。それはつまり、決め付け過ぎてはならないということではないのですか」
ぱちん。と、私は自らの頬を平手で打ち、もやもやぐるぐると混線した思考回路を一度断ち切った。
冷静になるべきだ。私の――固定観念を持った人間の踏み入り過ぎた思考は、凝り固まった前提条件の下でしか行われない。
きっとあるのだ。他に何があるのだと投げ出しそうになるずっとずっと手前に、私が間違えている部分だ。
魔人の集いには目的がある。それは間違いない。でなければ集まらない、立ち上がらない。
では、その目的はどのような前提に――願望、欲望、あるいは縋るような祈りの上に成り立っているだろうか。
もしもそれが弱者の……最終防衛線の外に弾き出され、恐怖と絶望に打ちひしがれ、ただ憎しみばかりに埋もれて暮らしていたもの達の怨嗟だとすれば、どうだ。
生存を、安寧を。かつては手にしていたもの――手にしていたと聞きかじったものを求めるだろうか。いや、違う。きっとそれは違う。
人は、その瞬間に手に出来る最大の幸福を求める筈だ。
地獄の底のような環境においては、無事にその日を終えられることだとか、泥であろうと喉を潤せる水場だとか。
平穏な――痛みを、苦しみを、恐怖を伴わない最期――だとか。
私の知る最低限を簡単に下回る劣悪な望みだとしても、それを“求める”筈だ。
そしてそれらは、想像し得るものでしか――――
「――――想像し得る中で最良の……」
その前提は……と、私はふと彼の顔を思い出した。
想像し得る中で最大の力を手にすることの出来る少年。私の隣にずっといてくれる、頼もしいユーゴの顔を。
「ならば……ならば、魔人の集いの想像し得る最大……とは……」
――魔女の力――
そうだ、魔人の集いにはそれがある。人間の領域を遥かに凌駕した力、存在。無貌の魔女という理不尽を身近に感じている筈で……
そんなものが近くにあったならば、人はどうなるだろう。そしてそれが味方してくれると知れば、いったいどう考えるだろう。
全能感に浸るだろうか。いや、違う。
恐怖し、畏れ、機嫌を損ねぬようにするだろうか。それもきっとあるが、主ではない。
では……
「……信仰が生まれる……? あのゴートマンのように、魔女を崇高なるものとして……」
祈りを捧げ、その在り方を崇拝する……?
それは……妄信的過ぎるだろうか。いや、そうではない。これこそ、私が唯一知る魔人の集いの形――集いにある前提条件の手掛かりだ。
ゴートマンは……精神を支配する魔術師の女は、魔女を心から崇敬し、その存在ありきで魔人の集いに属している……ような口ぶりだった。
大き過ぎる絶望の中で、強過ぎる存在を見出した結果、人はそれを信仰するようになった――信仰した人間の集まりこそが魔人の集いなのではないか。
もしもそうならば、魔人の集いの目的――せねばならないこと、欠かしては組織が成り立たない事由とは……
「――――っ!」
ひとつ、答えに近付いた気がした。けれどそれには、まだ確認せねばならないことがある。
私は大急ぎで身支度を整え直し、そのまま部屋を飛び出した。
ユーゴも連れて行くべきだろうか。いや、彼には彼のやるべきことがある。そしてこれは、私がやるべきこと――私が決定し、彼に力を振るって貰うべきことだ。
「――パール。いませんか、パール」
部屋を出て、真っ直ぐに執務室へと向かい、そして私はパールの姿を探した。
別にリリィでも構わない。ただ、彼女には休日が与えられていた筈だから。それだけの理由で何度もパールの名を呼び付けた。
「はい、ここに。いかがなさいましたか、陛下」
「すぐに面会の許可を――――先日護送した罪人、ゴートマンとの面会許可を取ってください。本日中です。本日の内に、必ずあの者から確認せねばならないことがあるのです」
パールは私の言葉に目を丸くして、珍しく返答に困り、そしてどうしたものかと悩みこんでしまった。
もちろん、彼にそれを拒む理由は無い。ただ単純に、それをしてどうするのかを一切予想出来ないでいるのだ。
だから、また無謀をしようとしているのかと、その判断すら出来ずに困ったのだ。
「……はっ。少々お待ちくださいませ」
「お願いします。どうか、急いでください」
けれど、それを判断出来ずとも、火急であると知れば行動してくれる。パールは私に一礼すると、早足で執務室を飛び出した。
ゴートマンと会う。話をする。そして……浮かび上がった疑問――仮説を確かめる。これが成立するのならば、おそらくは……
私はパールが戻るまでのわずかな間、せめて……と、溜まりに溜まった執務に手を付けた。
これらもまた、後には足を引っ張りかねない要素なのだし、潰せる時には潰しておかないと。




