第四百三十九話【諫言にも似た言葉】
「――この時点で、私には複数の義務が発生しました」
友軍宿舎の一室で、ミラは……いいや。彼女の中にあるもうひとつの人格、レヴは、無感情なままに話を続けた。
「まずひとつ。私には、レア様を……延いては、ハークス家の発展を補佐する義務がありました」
「しかしながら、レア様の自我の崩壊、並びに家長の消失を以って、遂行は不可能と断ぜられました」
そこで私は、命令の変更を余儀なくされました。と、レヴは淡々と言葉を続ける。
普段はあんなに愛らしい、子供らしいミラのその姿のままに、まるで事務処理でもするようにその過去を口にする姿には、一向に慣れそうにない。
「家の存続には、レア様に代わって秘伝を継ぐ存在が欠かせません。しかしながら、その権利は私にはありませんでした」
「考えられる緊急措置としては、家督を継ぐに足る子を新たに造ること……ですが、すでに私の父母――先代の当主様は逝去なさっており、不可能だと判断されました」
「……っ。ご両親は、貴女の幼い頃に亡くなられていたのですか……」
はい。と、レヴはどうしても無感情に、無表情に答えてくれる。
両親との死別すら、彼女にとっては感情を揺らす出来事ではない……のか……
「……ごめん、レヴ。ちょっと」
フィリアさん。と、レヴの話を遮ったのは、彼女を良く知るアギトだった。
「その……レヴは悲しんでないわけじゃないので、そんなに深刻に受け取らなくても大丈夫です。ただちょっと、感情を表に出すのが苦手なんです。隠すのも苦手ですけどね」
「……すみません。どうしても……普段の姿とのギャップに、頭が追い付かなくて……」
容姿は変化しない筈ですが。と、レヴは私の言葉に首を傾げた。ああ、いえ。そういう話ではなくてですね。
「アンスーリァ国王陛下。私に対して――ミラではなく、レヴとしての私に対して不信感をお持ちでしたら、交代いたしましょうか」
「不信感だなんて、とんでもない。ただその……少し、想像もしなかった話を聞かされているものですから」
その話を淡々と聞かされるものだから、気が滅入ってしまいそうになるのだ……とは言えないな。
アギトがたった今教えてくれたのだから。彼女も……レヴもしっかりと悲しむのだ、と。
「何度もすみません。もう大丈夫です。また、話を聞かせていただけますか」
「承知致しました。では……」
ハークス家の秘伝の継承は、その時点では不可能であると判断され、私には代わりの命令が下されました。と、レヴはまた話を続けてくれた。
「私に課せられた使命は、ハークス家の治める街の保護……つまり、レア様によってなされていた統治を引き継ぐことでした」
「しかしながら、この時点から私という人格では不都合な事象が増え始めます」
自分では不都合な事象……か。どうしてこの子はこうもつらい言葉ばかりを……と、唇を噛んで耐えていると、レヴはまた首を傾げて私を見つめた。
いけない。もうこちらの心境を悟られ始めているようだ。
「……直接目の当たりにしていただき、そして言葉を交わしていただいたことで、すでにご理解いただけたことかと存じます。私には、人として最低限の交流能力が備わっていませんでした」
「っ。そんなことは――そんな……ことは……ありません……っ」
レヴの寂しい言葉に、私はつい口を開いてしまった。しかし、彼女はそんな私に向かって首を横に振った。
その能力は求められていなかったが為に、備えられていなかったのだ、と。また、淡々と告げる為に。
「そのままでは――私では、命令を遂行することが出来ないと判断し、その時点で私は新たな人格を形成することにしたのです。幼い日のレア様を模した、ミラ=ハークスという人格を」
レヴはそこまで説明したところで、主人。と、アギトを呼び付けた。
それを受けて、アギトは少しだけ困った顔で彼女のそばへと歩み寄り……
「……起きろ、バカミラ」
「――んむ。まあ……なんとなく予想してた通りのリアクションが見られたわネ」
その小さな身体を抱き締め、頭を撫でて、そして彼女の名前を呼んだ。
すると、先ほどまでずっと無感情だった彼女の顔に、子供らしい……けれど、どこか勇ましい笑顔が取り戻される。
「そうして私が生まれて、それからは……しばらくは街を良くすることだけを考えてタ」
「そして、お姉ちゃんが仕込んだ遅延術式によってアギトが世界にやって来てからは、お姉ちゃんにお願いされたことを……召喚された誰かを幸せにすることを第一に考えて、その為だけに生きて来たワ」
「こらこら、そんな大雑把に纏めるな。魔人の集いの行動を予測する為に、お前が調査をしやすくする為にって始めてくれたことなんだから」
私の話はそう必要にならないわヨ。と、ミラはむすっと頬を膨らませてアギトのすねを蹴飛ばした。
それは……暴力的な行為は、ミラだけの性質……なのですか……?
「……フィリア。さっきまでの私を見て……レヴを見て、どう思っタ? 何言われても怒ったりしないから、本音を聞かせテ」
「……っ。レヴを見て……私は…………」
寂しいと、悲しいと。こんなことがあって良いのかと、そう思ってしまった。
けれど……それを口にするのは、すごく……
「聞かせテ。その感情は間違いじゃないワ。間違ってるとしたら、そうなっちゃった宿命の方だもノ」
「だから、私はフィリアに怒ったり、悲しんだりしないかラ」
「…………私は、どうしてそんなにも過酷な運命が貴女を襲ったのか……と、そう思い……憐れだと思ってしまいました」
そうなるわよネ。と、ミラはため息をついて、そして私の手を握った。
私は……ミラの顔を見ることが出来なくて、温かくて小さな手をじっと見つめることしか出来なかった。
「……だけどネ、現実としてそういうこともあるのヨ」
「悲しいことが、つらいことが、残酷なことがどこかには必ずある――なんて話じゃないワ。そういったことを、当たり前のこととして受け入れてる誰かが、この世界にはまだまだたくさんいるって話ヨ」
「……っ! ミラ……それはいったい……」
ミラの言葉に、私は慌てて顔を上げた。すると、ミラは目を細めて、嬉しそうに私を抱き締めてくれた。
「――レヴはその境遇をつらいものだとは思っていなかっタ。私も……寂しいとは思ったケド、当たり前のこととして受け入れタ。その上で、何をしたいかを考えたのヨ」
そして、ミラは言った。境遇が、運命が、その人の行動原理のその下――すべての根底を築き上げるものを、大きく変えてしまうこともあるのだ、と。
「私は知ってるワ。魔術の里に、実験動物として生まれてしまった家族の諦念を。人とは違う在り方を以って生まれてしまった魔術師の孤独を。何も持っていないと、無力を嘆いて自己を呪った勇者の末路を」
人の行動原理を想像するのならば、それらに対しての意識をしっかりと持っていなければならない。ミラはそう言って、そしてもう一度私の手を握り締めた。
「魔人の集いは、私達じゃ想像も出来ない前提条件で行動している可能性があるワ」
「イリーナ=トリッドグラヴがそうだったように、自らの境遇を解消する為に動いている可能性もある。フィリアのように、境遇に相応しい存在になる為に奮闘している可能性もある」
「……私達の常識とは違うものを根底に据えて、その正義の為に行動している……」
……あるいは、正義というものを私達とは違えている……か。
イリーナの側近、そして彼女が王の器と呼んだ少年。ヴィンセントもまた同じことを言っていたな。
「……だから、考え込み過ぎないことも大切ヨ。組織としての目的……という部分に注視し過ぎなイ。組織という括りを維持するのに欠かせない要素を考慮するだけに留めるくらいがちょうど良いのかもしれないワ」
考え込み過ぎない。入れ込み過ぎない。寄り添おうとし過ぎない。と、ミラはそう言って、私の手を握ったまま、身体を密着させ、喉元に頭を擦り付け始めた。
「捕まえたゴートマンがフィリアを憎んでいたのは、そういう環境に、運命に生まれたかラ。フィリアが憎まれなくちゃいけなかったのは、そういう立場に、宿命に生まれたかラ」
「そういう割り切り方も覚えないと、バカアギトと同じになっちゃうわヨ」
「……アギトと……? それは……」
もしや、彼が見せたあの特異な現象のことを指しているのだろうか……? と、そうも思ったのだが、しかしどうやらそういう話ではないらしい。
首を傾げているアギトに向かって、ミラはバカにするように鼻で笑った。
「無駄に周りの目ばっかり気にして、本当にやらなくちゃいけないことを見失うってことヨ。バカアギトはそればっかりだったもノ」
「うぐっ……」
うぐ……ミラの言葉に、アギトも、そして私も、揃って何も言い返せなくなってしまった。み、耳の痛いことを……
しかし……ミラの言葉では、事態は前には進まなかった。
考え方の指標ではなく、考えてはならないことの指標として、たしかにありがたいものではあったが……




