第四百三十七話【固執】
ナリッド訪問を終え、私達はランデルまで帰って来た。
手にしたものは、小さいながらも、たしかに奮い立たせてくれる後押しだった。
「アギト、ミラ。すみません、少しよろしいでしょうか」
さて。帰った翌日、私はすぐに友軍宿舎を訪れ、アギトとミラに話を聞くことにした。
尋ねたいのは、魔人の集いの目的――組織の、個人の、あらゆる立場からの目的を知り、かの組織の求めるもの……求めなければならないものを暴き出すことだ。
「おはようございます、フィリアさん。ヘインスさんから聞いてます。ナリッドを訪問して、何かしらの手掛かりを手に入れたようだ……って」
「手掛かり……とまで呼べるものではありませんが、しかし、これまでのまったく手の施しようもない状況からは脱せられるかもしれません」
本当ですか!? と、アギトは私の言葉に興奮気味な様子で、大急ぎで机と椅子と、それから筆記具や紙、それから彼らの持つ様々な資料……が入っているのであろう鞄を用意した。
「ありがとうございます。それで……ええと……」
用意してくれた。アギトが、用意してくれた。
普段ならばこういったことを率先してやってくれる存在が見当たらないから……と、そうまで言うつもりも無いが、しかしアギトがやってくれた。
案内された部屋には、ミラの姿が見当たらなかった。今この部屋には、私とユーゴと、それからアギトの三人だけ。
もしかしたらシーツに包まって眠っているのかも……とも思ったが、しかしアギトが起こしに行くそぶりも見せないし、どこかに隠れているとしても飛び出してくるだろうから……
「……すみません。ミラは出掛けてるんです。その……まだ数日は戻らないかもしれなくて……」
「ひとりだけで……ですか。それは……」
珍しいな。と、そう思ってから、危ないではないか。と、そう思ってしまった。
いけない……どうにもこのふたりが絡むと、のんびりした思考回路が優先して働いてしまう……
「調査の準備……の為の買い物と、それから魔具を作るって言ってました」
「前に行った時、良さそうなものが見付かったから……って。ハルの街にまで買い出し……ついでに、多分魔獣とか結界の調査もしてくるつもりなのかと」
「ふむふむ、なるほど。ミラの意見を聞けないのは困ったものですが、しかし事情があるのならば仕方ありません」
「彼女の活躍こそが、これからの作戦の肝ですからね。準備に必要なものがあるのならば、それを邪魔するわけにもいきません」
しかしながら、欲しいものがあるのならば言ってくれたら良いのに。
直接宮を訪れるのがはばかられるとしても、ヘインスや他の騎士、あるいは宮の見張りをしている憲兵などに言伝をすれば済むだろう。
あの子の人懐こさを思えば、知らない人間に頼みごとをするのが難しい……なんてこともあるまい。
そもそも、もうすっかり顔が知れ渡っているのだし。
「……もしかしたら、ついでと思われている調査が主目的なのかもしれませんね」
ヨロクの林の調査を進めるにあたって、近郊に展開されているらしい結界についての情報が欠如することは、とても大きな障害になり得る。
それを今のうちに払拭しようと思った……ということならば、魔術に精通している人物など他にいないから、ひとりで出発したのにも納得出来るが。
「こほん。では、先にアギトに尋ねてみましょう」
「……俺に、ですか? その……」
俺に……ですか……? と、アギトは同じ言葉を繰り返し、ひどく怪訝な顔で私に尋ねた。
な、何故そうも疑心を……
「アギトに、ですよ。その……貴方はミラの能力の高さや経験の豊富さ、それに思慮深さに対して、コンプレックスを抱き過ぎではないでしょうか……」
「うっ……その、そうですね……はい。一応は半身としてずっといるわけですから……」
まあ……その……たしかに、ふたりに何かを尋ねた場合、大体はミラが答えを出してくれるから。
しかしながら、それはあくまでも専門的な知識が必要な場合だ。
単純に知っているものの数が彼女の方が多いというだけで、アギトの能力が……考える力が劣っているわけではない。
それにこの場合は、彼の方がものを知らないと、そう単純には考えられない可能性も高い。
「では……アギト。貴方はこれまで――この世界にやって来てから、何を目的に戦ってきたのでしょうか」
「ミラに召喚され、まだその事情を知らなかった頃から。貴方が欲しがったものを教えていただきたいのです」
「……欲しがったもの……ですか? それは……えっと、前にも話してた……」
そうだな。それと近い話……いや、基本的には同じ話だろう。
魔人の集いの行動原理はなんだろうか。と、かつて私達は、魔女から力を借り受けられる――という、かの組織のみに存在する事由を軸に、四人で頭を抱えて悩んでみた。
大き過ぎる力を手にしてまで何をしたいのか。あるいは、何をしたくてその力を求めるのか。
考えてみたが……しかし、その時にも答えは出なかった。
だからだろう、アギトは少しだけ悩んでしまって……目の前の女王は以前とは違う答えを求めているに違いない。その真意はなんだろうか。と、深読みしているみたいだ。
「あまり深く考え込まず、思い出せる大きな理由からで構いません。あの時に出した結論と同じでも、違っても、そこは問題ではないのです」
「大切なのは、心から求められるような願望には、どんなものがあるのか……というのを知ることですから」
「心から求めたもの……それでしたら、やっぱり俺は……」
ミラを守りたい。守れるようになりたい。頼られたい。そんな思いを抱くばかりだった。と、アギトはそう言った。
私はその答えに、心底感心してしまいそうだった。
この問いは、以前とは前提を変えているのだ。
あの時の答えは、ミラから魔具を借り受け、戦う力を手に入れた時に、それを以ってどうしたいか……という問いだった。
けれど今は、その力を手に入れるよりも前……この世界についてもまだ分かっていない頃で、戦う力などを手にする以前を含めた問いだった。
それでも彼は同じ答えを口にした。
それだけ大きな――アギトという少年にとって、重大な事項として在るのだ、ミラ=ハークスという存在は。
「……ふふ。本当に仲が良いのですね、ふたりは」
「それはもちろん、世界いくつも股にかけた上で、一番仲良しな兄妹ですから」
最近は反抗期ですけど……と、アギトはちょっとだけ寂しそうな顔になって、なんだか恨みのこもった眼差しを私へと向ける。
わ、私がミラを盗ったわけではないのですが……
「他にはありませんか? ミラのこと以外にも、きっとあった筈です。たとえば……そもそもとして、彼女を守れるだけの力を手にしたいと願った……とか」
「えっと……そうですね、それはもうずっとそうでした。それ以外だと…………」
旅の途中は、ずっと帰りたいって思ってました……と、伝説に名を残していない方の天の勇者は、誰もが失望してしまいそうな言葉を口にして肩を落とした。
まあ……その……楽しいばかりの旅路でもなかっただろうから、仕方ないとは思うのですが……
「……アイツが危ない方危ない方へと進むから、いつだって生きた心地がしなかったんです」
「終わってみた今なら、あれだけ長いこと歩き回って良かったなって思いますけど。その時はもう……早く街に戻って、市長と秘書として安全に暮らしたいってばかりで……」
「……それは、貴方が危険を避けたかったから……だけでしょうか。それとも……やはり……」
ミラに戦って欲しくなかったから、危険な目に遭って欲しくなかったから、だろうか。
私がそう問うと、アギトは苦笑いで頷いた。やはり、か。
「案外、貴方は特殊な事例かもしれませんね。たったひとりにここまで執着し続けて、その為だけの願望を抱き続けた……なんて。普通ではなかなかあり得ませんよ」
「そ、そうですか……? そんなことも無いと思いますけど……」
いや。普通は自分がどうでありたいと、自己を中心とした願望を抱くものだろう。
もちろんその中には、大切な人とずっと共にありたいという願いも含まれるだろうが。
「私ならば、自分が重圧から逃れたいが為に、先王に蘇って欲しい……と、そう願った日があったかもしれません」
「もっとも……それはもう忘れてしまっているので、定かではありませんが」
父との思い出や父への想いは、すべて召喚屍術式に焼べてしまったから。
しかしながら、それでも幼い頃の記憶の多くが残っているということは、私は偉大なる先王に対して以外の感情も多く抱いていたという理由に他ならないだろう。
それを思えば、アギトが見せるミラへの執着は、兄妹という関係を加味したとても、異常なほどに大きなものに思える。
それだけ大変な道のりを共にし、絆を深めた……というのも、今となって見れば分かることだが……しかし、旅を始める前を含めたとしても、そればかり……というのは……
「……俺は……その、もうひとつの世界での生活が上手く行ってなかったので」
「だから、自分が変わりたいって願望もあったんですが……それはアギトじゃなくて、そのもうひとりとしての願望だったかな……と」
「そう考えると、アギトとしての願いは、大体ミラの健康と安全ばっかりになるんですよ」
「……なるほど。生活がふたつあるからこそ……精神がふたつあり、それが並行しているからこその形態である可能性……ですか」
ううん……それは、とてもではないがなんの参考にもならないな……
しかし、これもまたひとつの解か。ひとは大切な人間の為に、これほどまでに執着出来る。
これを集いの行動に当てはめるとしたら…………あの魔女の為に、私達に激しい攻撃を加え始める……ということになるだろうか。う、ううん……




