第四百三十三話【頼るアテ】
八日。それが、ミラの出した答えだった。
ユーザントリアからもうひとりの錬金術師が到着し、そしてヨロクでの調査を開始してから八日。それだけの日数で、調査は切り上げられるだろう、と。
しかしながらそれは、八日で調査が完了し、成功するという意味ではない。
それ以上の滞在は不可能。そして、解明が完了するとすれば、それまでには終わるだろう――解明不可能であるという結論もまた、八日以内に出るだろうというものだった。
今の段階では、調査の成否は問題ではない。
後には大きな問題にもなるが、しかしネーオンタインの解放作戦を考えるにあたっては、成功してくれと願う以外に出来ることは無いのだから。
「――八日。それと、もう四十日ほど……ですか」
さて。何はともあれ、これで前提となる時間は算出された。
ユーザントリアからの援軍が到着するとすれば、四十から五十日の間だろう――という計算をして文を送ったのが、カストル・アポリアを訪問する前のこと。
船の到着は、今からならばあと四十日足らずと言ったところか。
それに加え、錬金術師殿のランデル到着までに数日、そこから更にヨロクへの移動に三日。
ミラが事前に整えてくれたとしても、調査の準備にも一日以上要するだろう。
すべてを合わせれば、およそ五十日。これだけの日数を耐えねばならないわけだが……
「……魔人の集いが本格的な攻勢に出るまでの猶予は……まったく見当も付きませんね」
「もしやとは思いますが、このような事態に備えて、これまで手を隠し続けてきたのでしょうか……」
解放作戦に着手するまでの猶予――魔獣による本格的な侵攻が始まるまでの日数だが、これについては皆目見当も付かない。
これまで私達は、魔人の集いによる攻撃をほとんど受けて来なかった。
北方の解放の折に迎え撃たれたり、ゴートマンの護送中に襲われたり、接触がある際には基本的にはこちらの行動にあちらが応じた格好ばかりだった。
ひとり目のゴートマン……魔術師の女に襲われた時も、ヨロク北方の林の調査のさなかに攻撃されたことが発端だ。
やはり、どこを切り取ってもあちらの行動を先読みするきっかけにならない。これではとても……
「あるいは、こちらが行動を起こさねば向こうも手を出してこない……などと考えるのは……」
それもあり得ない。そんな悠長な気構えでいられる状況ではない。
どちらにせよ、ダーンフールへの軍事派遣は行うのだ。であれば、陽動作戦を決行せねば、そちらを狙われるだけのこと。
ひとりで宮の自室で悩んでいても、答えなどは浮かび上がってこない。
これでは気が滅入るばかりだ。と、私は一度部屋を出て、執務室へと足を運んだ。
「お疲れ様です、パール、リリィ。すみません、仕事を押し付けてばかりで」
気分転換をしたかった。それと同時に、ふたりにも助言を貰いたかった。初めはそんな思惑でやって来た……のだが……
執務室のドアを開けるや否や、そんな気持ちは吹き飛んだ。
ふたりともとても忙しそうで、また新しい問題を聞かされるほどの余裕は持ち合わせていなさそうだったから。
「……リリィ。先日議会に可決された友軍への物資補給についてですが、資料は私の机の上に埋まっていたでしょうか。もう一度確認したいのですが」
「はい、私達では触れられない問題ですので。ですが……」
ですが……の後ろに続く言葉は、言われなくともなんとなく理解出来た。
どこかにはあるだろうが、しかしどこにあるかまでは把握していない。出来るわけがない。そう言いたいのだろう。
そう思えたのは、私の机の上に、これでもかと高く積まれた紙の山がそびえているからだ。
「構いませんよ、自分で探します。仕事のほとんどを押し付けておいて、更にまた手を煩わせることはしません」
「申し訳ございません、陛下。しかし、今はそのお心遣いに感謝するばかりでございます」
ふう。と、ため息をついて、パールまでそんなことを言い始めてしまった。
ふたりとも、相当余裕を失っているようだ。もっとも、そこまで追い込んだのは私なのだが……
「……これもまた気分転換です。はあ」
さてさて。気分転換とは言うものの、しかし友軍の物資至急の件は確認したい事柄で間違いない。
今この時に大きな問題が発生しているわけではないが、しかしいつ頃になるかによっては調査や解放作戦に支障をきたしかねない。
きちんと確認して、遅れがあれば急がせられるようにしておかないと。
「ええと……この資料はまだ新しい、目を通していないもので……ここからは見覚えが……では、これよりは上に……」
目を通していない仕事が机の上に積もっていることは大問題なのだが、今はしばらく無視しよう。これどころではないのだから。
「……これですね。ええと……」
山を崩さぬように慎重に引っ張り出して、そして可決された条文を二度なぞって読み直す。
うん、問題無い。これならば、どれだけ早くに解放作戦を実行しても間に合うだろう。
「……であれば、やはり時間の問題だけをなんとかしなければならないのですね。はあ……」
新しい問題を見付けて、それに打ち込むことで気を紛らわせる……なんてやり方が論理的とは思っていなかったが、それすら出来ないとなると本当に追い詰められた気分になってしまうな。
だが、本当に困ってしまっているのは事実だ。なにぶん、このアンスーリァには戦争を経験した人間などほとんどいないのだ。
島国であるアンスーリァは、外国と競り合う機会も少なかった。少なくとも、現在のアンスーリァ王国となってからは、大きな戦争などには一度として関わっていない。
それが、地続きの隣人と争う方法を模索する……などと、いったい誰に相談すれば良いのやら……
「…………? はて、しかし……何か……?」
……? はて? と、私の中に小さなモヤモヤが発生した気がした。これは……何が突っ掛かっているのだろう。
思い当たる節がある……のだろうか。それとも、直接的なものでなくとも、意見を出して貰えそうな人物がいる可能性を、遠くない場所で目にしている……とか。
「……ランディッチ殿は、古い時代を少なからず知っている……しかしながら、先王の時代から戦争などは起こっていなくて……?」
イリーナならば……? いや、違う。彼女とて、人間を相手にした戦いになど精通していまい。
だが、彼女ならば知っているのではないか……? 相手は魔獣だったが、戦うということを生業としていた、マリアノさんの振る舞いや考え方を――――
「――マリアノさん――――特別隊……いえ、盗賊団ならば……っ!」
ぽん。と、密閉された栓が抜けたように、もやもやした思考の瓶に新鮮な空気が取り込まれた気がした。
そうだ。人を相手に戦っていた――出し抜き続けてきた実績ならば、かの盗賊団が数多く挙げているではないか。
彼らはジャンセンさんの指揮の下に、国営施設から盗みを繰り返していた。
そしてそれには、与えられた指示によるものだけでなく、その場その時の臨機応変な対処が欠かせなかった筈だ。
それだけの能力が無ければ、あれほど長く、甚大な被害をもたらすことは無かっただろうから。
「……ふたりとも、私はまたランデルを離れます。申し訳ありません、もうしばらくはここをお願いします」
「……もとより覚悟は出来ております。ですがどうか……どうか、無理はなさらぬように」
「貴女が斃れ、王政が崩壊した暁には、私達のこの尽力も無為に帰しますから」
それは肝に銘じよう。
頼もしくも笑顔で見送ってくれるふたりに執務室を任せ、私は大急ぎで宮を飛び出した。
目的地は……やはり、友軍宿舎だ。
「――ヘインス。すみません、ヘインスはどこでしょうか」
宮を飛び出し、走って宿舎までやって来て、息を整えることもせずに私はヘインスを呼び付けた。
そんなことだから、当然騎士達は何ごとかと身構えてしまっている。
ヘインスに何か落ち度があったのでは……と、不安がっているかもしれない。
だが、それを弁明する余裕は、体力的な都合で残っていないので……
「はっ、ヘインス=コール、参上いたしました」
「はあ、はあ……こほん。すみません、また馬車を出していただきたいのです。目的地はナリッド――ですから、カンスタンまで」
私の要請に、ヘインスは背筋を正して頷いた。それを見てか、周りの騎士達もひとまずは安堵してくれたようだ。問題があったわけではなさそうだ、と。
しかしながら、そこは流石に熟練の騎士団だ。私がこうも慌ててやって来た以上、小さくない問題が発生している……急がねばならない事情があるとは察してくれたのだろう。
私もヘインスも何も指示を出していない内から、あるものは馬の準備に向かい、またあるものは荷物の積み込みをしようと呼び掛け始めた。
「……出発は明日の明朝です。それと、今度もアギトとミラにはランデルで待機していただきます。その分、武装準備を欠かさないように」
「はっ! 承知致しました!」
本当に頼もしい限りだ。
ヘインスもまた、私の指示を受けるとすぐに彼らと合流して、明日の為の準備を始めてくれた。
ナリッドへ行けば、あるいはそこから更にカンビレッジまで足を伸ばせば、ジャンセンさんから直接指導された、特別隊の中でも優秀な人材が――実行部隊ではなく、潜入部隊としてあった盗賊団が揃っている。
彼らの力を借りられれば、この友軍に加え、特別隊の力も実質的に帰ってくることとなる。
そうなれば、私達はこれまででもっとも力を蓄えたことになるだろう。




