第四百三十二話【時間、時間、時間】
カストル・アポリアから南東――ヨロクからは北東の町、ネーオンタイン。その町を解放し、港を復活させ、それ以降の解放作戦の足掛かりとする……という、建前としての作戦。
私はこれを、決行すべきと判断した。
ユーゴは言った。魔女との戦いまでに、少なくとも自分ひとりは回復するだろう、と。
部隊の休息や物資の補給は別の問題としても、自分と魔女との戦いに支障はきたさないだろう、と。
ならば、ここは一度だけ踏み込むべきだ。
現時点での状況を鑑みれば、この作戦中に魔女からの反撃があるとは思えない。その為の楔が打ち込まれ、強く作用している以上は。
ネーオンタインを解放し、それ以降の作戦に備え始めた――と、そう誤認させることで、ヨロク北方の林の調査と、そしてダーンフールへの部隊派遣の時間を稼ぐ。
これが成功すれば、私達は以前に比べてずっとずっと――格段に、比べられないくらいに準備を整えることが出来る。
もちろん、それで万全である、十分であるとは言えない。
だからこそ、ほんのわずかでも前を向ける要素を増やす必要があるのだ。
「――アギト、ミラ。少し良いですか」
と。それを決断し、ヴェロウに伝え、そしてカストル・アポリアからランデルへ戻ったのが昨日のことだ。
作戦が決まったならば、そのことを何よりもまず当事者に説明する必要がある。
そして、その説明の更に一歩手前で、こちらの都合を考慮した練り直しも欠かすわけにはいかない。
具体的には、作戦開始のタイミングと、そして作戦を成功させるタイミングだ。
「急ですみませんが、こちらに目を通してください」
「先日、カストル・アポリアを訪ねて、ヨロクより北方に防衛線を築く協定を結んで参りました。これは、その前提となる、ある町の解放作戦について纏めたものなのですが……」
そんなわけだから、私は友軍宿舎を訪れ、騎士を集めて説明をする……前に、まずはアギトとミラに――この作戦を決断する理由でもある、魔女に対するけん制役のアギトと、調査を受け持つミラに意見を求めた。
「……ふむ……ふむふむ…………ふむ…………あの、フィリアさん。これはいったい……なんでしょうか…………?」
「バカアギト、アンタは口挟まなくていいわヨ。どうせ理解出来ないし、出来ても大した意見なんて出せないんだかラ」
求めたのだが……どうやら、アギトにはまず理解して貰うところから難しいようだ。
いや、これはとっくに想定していたことではある。
ユーゴがそうであるように、アギトもまた――同じように安全な異世界から召喚された彼にも、戦いの為の駆け引きや計算などをする能力が備わっているわけが無いのだから。
「……んむ。なるほどネ。ヴェロウって言ったかしラ。フィリアが頼るだけあって、それなりにはキレた発想するワ」
「まともだったらこんなの思い浮かばないし、浮かんだとしても実行に移そうなんて考えないもノ」
そんなものを他人に任せるなんて、気でも狂ってなくちゃ不可能だワ。と、ミラは少しだけ野蛮な笑みを浮かべてそう言った。
「え、えっと……なあ、ミラ。これどういうことなんだ? お兄ちゃんにも分かるように説明して……?」
「……はあ。理屈自体は単純なものヨ。魔女と魔人に意思があるなら――こっちに対して警戒心や敵対心があるなら、当然行動に対しても応手を考えるでしょウ」
「だから、こっちの都合だけで軍備拡張を進めても、先んじて攻め込まれるか、あるいはそこを避けて蹂躙されるか、ふたつにひとつで勝ち目なんてどこにも残らないワ」
そう。ミラの言う通り、これはつまり騙し合いの為の作戦だ。
奇襲……とは少し違ってしまうか。奇をてらって守りを固める……と、そう言い表すのが正しいのかな。
「今の私達が考えるべきは、増援の到着を待ち、ヨロクの林の調査が終わるまでの時間を稼ぐ方法です」
「アギトの存在が魔女と魔人にとって脅威に映っているのならば、侵攻は魔獣によるものだけに限られる……とは思うのですが……」
「その度に私やユーゴが駆り出されてたら、調査も進まないし、いざって時に魔女を迎え撃つ準備を整えられないってわけヨ」
なるほど。と、アギトは納得して……そして、すぐに真っ青な顔になって慌てふためき始めた。
それは困る! と、今にも言い出しそうだが…………それを口にしたらきっと、ミラが噛み付くのだろうなぁ…………
「そ――それじゃ困るじゃないか! そりゃたしかに、お前が負けるとこは想像出来な……出来……出来なくもない程度に頻繁に負けるし! そうでなくても、今までは出来る限りの準備をした上で負――」
「――誰がいつ誰に負けたってのヨ――この大バカアギト――ッ! ふしゃーっ!」
「それと! その準備の為の作戦を練ってるとこだって言ってんでしょうガ――ッッ!」
あ、ああ……簡単に予想出来た未来なのに、私では食い止められなかった……ではなくて。
「こほん。ヨロク北方の林の調査……推定ですが、あのゴートマンの拠点を調べることになるでしょうから。ここの成否は、魔女との戦いだけに限らず、この後に続くすべての解放作戦に大きく影響を及ぼすでしょう。ですので……」
ミラと、彼女の呼んだもうひとりの錬金術師による調査は、何がなんでも成功させなければならない。
その為には、ミラに十分な時間を――調査と、そして調査の準備の時間を与えてあげなければならないのだ。
「調査をするのがヨロク近郊である以上、ヨロクの街そのものを攻められるわけにはいきません。しかしながら、現時点でのアンスーリァは、ヨロクを最終防衛線として、それ以南を防御することに特化しています」
「だから、調査を安全に、確実に進める為に、防衛線そのものをより北へと押し上げようってわけヨ」
「けど、ただ真っ直ぐに軍を北へ進めたんじゃ、こっちの狙いは簡単にバレて、むしろ返り討ちに遭うでしょウ」
だからこそ陽動なのだ。
今回は時間を稼ぐだけで良い。ダーンフールに堅固な守りを敷こうというのではなく、調査の時間だけを確保出来れば問題無いのだから。
「……なるほど。じゃあ……それをすれば、お前がちゃんと調査を進められて、魔女との戦いにしっかり備えられて……チャント……シテ……カテルヨウニナル……?」
「……バカアギト。そこまで単純な話じゃないわヨ。フィリアがこうして私達に……私に、私だけに相談してるのは、まだこれが成功し得る状態に無いからなんだもノ」
いえ、あの、一応アギトにも意見を貰おうとは思っていたのです。
その……そういった知識や経験が無いことは分かっていたが、しかし無関係のところから妙案が飛び出す可能性というものも無いわけでは……
「作戦を始めるタイミングが遅ければ、調査も何も無い段階で魔獣の侵攻が始まるでしょウ。そうなってからネーオンタインって町に部隊を送れば、当然戦力不足でヨロクも他の街も……もしかしたらこのランデルも含めて、全部潰されてしまうかもしれないワ」
「しかしながら、早過ぎたとしても問題は生じます。これはあくまでも陽動作戦、実際に守備を固めきることは出来ませんから」
囮であると勘付かれれば、その時点でダーンフールやカストル・アポリア、それにヨロクを侵攻され、これもまたやはり調査の手を止め、ミラに戦線へ出て貰わねばならなくなる。
そして、そうなってしまえば、もう調査をする時間などは与えられないだろう。それではあの時の二の舞になってしまう。
「それだけではありません。始まりを正確に出来たとしても、解放の成功が早過ぎれば、こちらの動向を長く観察されてしまう――囮であることを早期に見抜かれる可能性が高まってしまいます」
しかしながら、わざと遅れさせるのにも限度がある。あまりに手が遅いとなれば疑われるし、陽動作戦というものは、疑われた時点ですべての効力を失ってしまうものだから。
「考えるべきは、作戦開始から成功までの期間。そこから逆算して、作戦を始めるタイミング。それと、魔獣による侵攻が始まりかねないタイムリミット」
「ひとつでも間違ったら、まず間違いなくアンタが死ぬんだかラ。余計なこと言って話の腰を折るんじゃないわヨ」
「ひえっ……だ、黙ってます……」
いえ、ですから、黙らずとも……いや、今はあまりアギトをアテにすべきではない、か。
奇策に必要なものは、十分な裏付けと正しい知識だ。突飛な発想はこの段階では求められていない。
「……でも……ごめんネ、フィリア。私じゃとても力になれないワ。私達は今まで、攻め込む為の準備をしたことはあっても、守る為の準備をしたことは無かったのヨ」
「……なるほど。たしかに、貴女の武勇を思い返せば、勇者として魔獣を倒し続け、魔王の居城へと乗り込み、そして異なる世界へと飛び込んで戦いを繰り広げたわけですから……」
防衛の策――それも、直接的なものではなく、防衛の為の陽動の策となると、いかな天の勇者とて経験などある筈も無い……か。
それでも、ミラは真剣な顔で悩んでくれていた。それはきっと、自分が調査にどの程度の時間を要するか……つまり、この作戦の最終的な終了までの時間を計算してくれている……のだろう。
私はそれをまた式に加え入れ、次にはヘインス達を、そして国軍の指揮官達を訪ね、あるいは近く訪問があるかもしれないイリーナにも助言を求めてでも、この作戦を完成させねばならない。
長く、途方も無い、それに正解の見えない戦いだが、それでも折れることは許されない。
ヴェロウにも、それに他の多くの民にも誓ったことなのだから。
平穏を取り戻す戦いに勝利する。その為の一歩を、ここで。




