第四百二十九話【見えざる悪意】
そして馬車はカストル・アポリアへと到着した。
以前の通りに部隊は関に預け、私とユーゴだけが街中へと進んで行く。
「それじゃ、俺はばあさんのとこ先行ってるから。問題起こすなよ、エリーにも迷惑掛かるんだから」
「っ⁈ お、起こしませんよ、何も。貴方の中の私の評価はいったいどうなっているのですか」
まるで子供の扱いではないか。
そんな遺憾な言葉を送られて、私はユーゴと別れてヴェロウの屋敷へとひとりで向かう。
「……以前には野菜を売りに行くのにも後を付いて来てくれていたものですが……」
歩き出して、少し足を止めて、不意に後ろを振り返る。
そうすると、そこにはもう小さくなってしまったユーゴの背中があった。
もうあとを追い掛ける必要は無いと――この国は安全で、私が何かの被害に遭うとは考えていないと、そういうことだろうか。
それとも……言葉とは裏腹に、ひとりにしても大丈夫だと信頼して貰えているのだろうか。
どちらにせよ、これで何か問題を起こせば、また以前のような関係に戻ってしまうのだろう。
そう思えば、まだ乗って来ない気分も少しは前を向く。気乗りせずともやる気は出さねば、と。
「……っと。そうでした、以前はこうしていきなり押し掛けて……少しばかりの誤解を招いてしまったのですよね」
頑張ろう。と、気分と一緒に顔も前へ向けたところで、不意に以前の訪問を――ヴェロウとその伴侶であるポーラとの小さなすれ違いを思い出した。
あの時は、身分も明かさず、事前の連絡もせず、名前だけを残して帰ってしまったから。
そういう不手際があったから、ポーラに……その……私がヴェロウの不貞の相手であると勘違いされてしまったのだ。
もう二度とあんな迷惑は……本当にただただ迷惑で、情けない姿を見せるわけにはいかない。となると……
「……一度役場へ寄って、訪ねても平気か聞いてみる……いえ、それに意味があるとは……」
事前の連絡を入れる……時間は無い。であれば、今度はきちんと身分を明かし、事情を説明して……する必要は、以前のやり取りのおかげで省けるだろうか。
あれ? ならばこのまま押し掛けても……こほん。訪ねても問題は無い……のかな。
そんなことに悩んでいる時、ふとユーゴの顔と……そして、遺憾な言葉が思い浮かんだ。
悩んだならば、ひとまずやってみれば良い。
なるほど、この場面ほど悩む時間が馬鹿らしい瞬間も無いだろう。
以前にはそうして問題を起こしておいてなんだが……結果としては、きちんと解決されているのだし。
「そうとなれば、少しだけ急ぎましょうか。一泊するのであれば、今度こそアルバさんに恩を返す好機ですから」
ふん。と、ひとり鼻息を荒げ、私は少しだけ急ぎ足でヴェロウの屋敷へと向かった。
顔を思い浮かべてしまったから、なんとなくすぐ隣にユーゴがいる気持ちになってしまっているのかもしれないな。
心なしか、普段よりももっと速く走れた気がした。
そして私は息を切らしながらヴェロウの屋敷へと到着した。
衣服の乱れだけを正し、荷物を確認して、それからドアを叩いて挨拶をして……
「――フィリア様! よ、よくぞお越しいただきました!」
「ポーラ。お久しぶりです」
大慌てで飛び出してきたポーラに出迎えられた。
顔を真っ赤にして、しどろもどろになって、とても緊張しているのが見て取れる。そんな彼女に。
「ど、どうぞお上がりくださいませ! すぐに主人を……ヴェロウを呼んで参りますので!」
「……ふふ。そんなにかしこまらないでください」
「いえ……カストル・アポリアの長であるヴェロウの伴侶として、国と国とのかかわりに支障をきたすべきでないと考える貴女の気持ちもよく分かりますが」
それでも、貴女にどのような態度を取られたとしても、それで私の考えや気持ち、アンスーリァとカストル・アポリアとの関係が変わるわけではないのですから。と、そう伝えても、ポーラは目を回しながら首を横に振るばかりだ。
私は女王だ。それは自覚している。
そして、だからこそこういう反応をされることも少なくはない。アギトなどもそうだったし。
しかしながら……だ。一度は対等に話を出来た相手だと思うと、この距離感は少しばかり寂しくもなってしまうな。
「フィリア女王、よくぞいらっしゃいました」
「お久しぶりです、ヴェロウ。お邪魔させていただいています」
さて。そんなやり取りをしていると、ポーラが私の気付かぬうちに合図を送ってくれたのか、それとも騒ぎを聞き付けたのか、仔細は不明だが、家主であるヴェロウが顔を覗かせた。
「ポーラ、お茶を淹れてくれ。安心しなさい、フィリア女王は苛烈で改革的な王であられるが、しかし民の言動、行動に憤るような人物ではない。だから一度落ち着きなさい」
「し、しかし、私は以前にも大変無礼な対応をしてしまっていますから……」
いえ、ですからそれは、誰が悪いと言えば……この話は止そう。
どうにも、ポーラは私に対して、罪悪感にも似た申し訳無さを抱いたままのようだな。
言い掛かりのような不貞を疑った……と、たしかにそれ自体は困った話ではあったが、しかし誤解も晴れて、問題は何も残らなかったのだから……
「はあ。騒がしくてすみません。アレは昔からそそっかしいところがあって、失敗の度にパニックに陥ってしまう悪い癖があったのです」
「ただ……いつもはひとりでに冷静になれるところを、今度ばかりは問題が問題でしたから……」
「そう大きな問題として捉えられると、こちらにも非がある以上、申し訳なくなってしまいますね。その節はすみません」
いえ。と、ヴェロウは苦笑いで頭を下げた。
まったくもって気の抜ける話ではあるが、ポーラにとっては大問題のようだから。
早いうちに解決……彼女の中で区切りが付いてくれると良いのだが。
「さて。それで、本日はどのようなご用件でいらしたのでしょう。ただの観光、ただの休暇にここを訪れられた……のでしたら、それほど光栄なこともありません。ありませんが……」
「……ふふ。それではまた不貞であると疑われてしまいかねませんね」
私の言葉に、ヴェロウは声を上げて笑って……そして、小さくないため息をついた。
落ち込むくらいならば、自分でその話題に触れなければ良いのに……
「……本日はですね、まず……ひとつ、報告を――緊急の報せを持って参りました。それから……それに伴って、どうしても頼みごとをせねばならない、と」
「……緊急の報……ですか。詳しくお聞かせください」
さてと。のんきな世間話……狭い狭い、この家の中だけの世間話はもうおしまいだ。
私はヴェロウに、持って来た資料……行きの馬車で完成させた、このカストル・アポリア周辺と、例の海洋魔獣と、そしてヨロク周辺にかつて確認された魔獣についての資料を提出する。
「貴方もご存じの通り、カストル・アポリアの周辺には少なくない魔獣が巣を作っています」
「ですが……そこからそう離れていないダーンフール、及びフーリスについて。こちらでは、魔獣の姿を確認出来ていません」
「……はい、確認しています。それについては、魔獣を避ける何かがある……と、貴女からいただいた報告に一文記載されていましたね」
それについては変わりないだろうか。少なくとも、私達がここへ来るまでにはなんの問題も無いようには思えたが。と、最初にそれを確認すると、ヴェロウは少し考え込んでから、変わりは無いと答えてくれた。
「では次に……ですが。私達は先日、アンスーリァ南部……カンビレッジより南方の都市部の解放を目論んで、海路によってカンスタンからナリッドへと移動しました」
「その際ですが、海洋上にて巨大な魔獣の姿を確認、接敵、そして討伐しています」
「――っ! 海洋に……魔獣……ですか。それは……」
水中には魔獣は棲まない。これまで常識とされてきたこの文言は、もはや風化し始めているのかもしれない。
そんな言葉には、ヴェロウも険しい顔を浮かべる。
「水中に魔獣が発生する条件が整っているわけではない……とは、友軍に属する魔術師から報告を受けています」
「それはおそらく、一個体だけが変質したか、あるいは変質した幼体が陸上から水中へと紛れ込んだか。どちらかであろう、と」
「……なるほど。水中には魔力による変質を受けた生物が多くあるわけではない……積み重なるほどのエサがあるわけではない、と」
だから、同じような個体がこれからも大量に現れるとは考え難い……が、それはそれ。現れてしまった以上は考慮せねばならない。そして……
もうひとつ、大きな……大きな大きな、過ぎるほどに大きな問題がある。それは……
「……彼女曰く、あの海洋の魔獣は、意図して造られたものではないか……と。そんな可能性を危惧していました」
「そしてそれは……以前に報告させていただいた、このカストル・アポリアより北方にて確認されている、魔女と呼ばれる存在が関与している可能性の高い問題です」
魔獣とは、魔王の魔力に影響されて変わってしまった獣の姿だろう。と、これもまた、常識としてあった理屈だ。だが……
魔女はそれらを、番号で呼んでいた――管理していた。
そして……ミラは言った。魔人には、魔獣を造り出す存在が在ったのだ、と。
魔人の集いとは、魔女から力を貸し与えられた集団である……と、現在はそう仮定されている。
であれば……その魔獣を作り出す能力もまた……
「そして……ヨロク周辺にかつて存在した魔獣ですが、今はその姿を確認出来ていません」
「もしもそれと酷似した個体を発見したならば、その近辺には……」
「……っ! 魔獣が意図して支配されているのだとすれば……押し退けられた魔獣のすべてを集め、何かを企画している可能性がある……っ」
ヴェロウは報告書がしわくちゃになるくらい握り締め、肩を震わせた。
この可能性は、とても絵空事では済まされない。
魔女を見て、魔人を見て、魔獣を退け続けた私達の報告である以上、現実になり得る問題だ。
ヴェロウならば、そんなことは理解出来ただろうから。




