第四百二十五話【そしてまたかの国へ】
支度もそこそこに、私達は朝早くから宮を飛び出した。
目的地はカストル・アポリア……だが、まさかそこまで歩いて行くわけにもいかない。
まずは移動手段の確保から。と、私はなんともせっかちなユーゴを説得して、馬車を借りられる唯一の場所を……友軍宿舎を訪れることにした。
「おはようございます。ヘインス、折り入って頼みがあるのですが、聞いていただけますか?」
「おはようございます、国王陛下。陛下のご命令とあれば、我々は命を賭しても使命を果たす所存です」
いえ、そこまで大ごとでは……と、それはよくて。
朝早く……まだ日も白い内から訪れたと言うのに、宿舎にはもう活動を始めている騎士の姿があった。
各々が鍛錬に勤しんだり、備品の手入れをしていたり、あるいは掃除をしているものもある。
なんと感心な心掛けだろう。
そんな中に、部隊長であるヘインスの姿を見付け、私は早速声を掛けたのだ。が……
「……? それは何をしているのでしょうか。見たところ……」
馬車を貸して欲しい。そして、カストル・アポリアまで同行して欲しい。と、そんな本題を切り出そうとしていた私を、その光景が食い止めた。
彼の手元にあったのは、何かの図面だった。
私が来るまで壁にもたれかかって、それを見ながら苦心していたようだ。
そして……なんとなくだが、それに思い当たる節が私にもあって……
「前回の北方遠征の折、魔人による襲撃を受けた際に破損した馬車を覚えていらっしゃいますでしょうか。その修繕を行っていた……のですが……」
「……芳しくないのですか? たしかに、ミラもあれ以上は危険だから……と、交換を提案したほどですから……」
やはり、ゴートマンに襲撃された際に壊れた馬車が、ハルの街から帰って来ていたらしい。
しかしながら……それを元通りに直すことは難しいらしくて、ヘインスはそれに頭を抱えているようだ。
「ミラ=ハークスが処置した部分……車軸については、あの後交換して修理していただけたようです。ですが……問題は、それ以外の部分にあるようで……」
ヘインス曰く……いや、ヘインスが聞いた職人曰く、横転した際に相当な力が掛かってしまっていたらしく、車そのものが歪んでしまっているようだ……とのこと。
これを切って貼ってで直すことは難しく、しかしこのまま使用すれば何かの拍子に潰れてしまいかねないとも言う。
「ですので……一度解体して、使える材料だけでも回収して、寄せ集めでもなんとか作り直せないものかと苦心していたのですが……」
「……すみません、物資の補給、交換もままならない現状は私の責任です」
頭を抱えるヘインスに、私は心から謝辞を述べた。
もちろん、馬車の一台を作る、買う金も無い……という話ではない。
あの馬車は、彼らが持ち込んだユーザントリアのものだ。
それが壊れたとなれば、当然補填しなければならない。
そのことをうっかりしていたこと、確認が遅れたこと。
そして……こうして知った今も、まだすぐには代わりを準備してあげられないだろうことを謝る必要があった。
「軍事用の馬車となると、これは国軍の管轄……私ひとりでの決定が難しいことがらになってしまいますから。すぐに議会へ駆け合います、もう少しだけ待っていてください」
本来ならば特別隊にある物資だけでも足りる予定だったのに……と、もう何度目の後悔だろう。
友軍への物資の補給は欠かせないものである……としても、それとこれとは関係無い。
結局のところ、議会を通さねば軍事的な決定は下せないのだから。
「ありがとうございます、陛下。こちらでも可能な限り修繕を試みますが……」
「直したとしても、遠征に使用すればすぐにダメになってしまうでしょうから」
「そちらはランデル内……遠くともハルやマチュシーまでの、物資の移送だけに用途を限定しましょう」
さてと。そんな話をすると、ヘインスは爽やかな笑みを浮かべて頭を下げた。
ありがとうございます、助かります。と、そんなお礼を言われると、それはむしろこちらの台詞なのだが……なんて返したくもなる。
だが……だが、だ。のんびりしたやり取りが相当気に食わなかったのだろう。背後からぺちぺちと手を叩かれた。
そんな話をしに来たのではないだろう。と、ユーゴが怒ってしまっている。
「……っと、そうです。陛下、何か我々に命を下しにいらしたのではありませんでしたか?」
「え、ええ。その……命令とまで言うほどのものではないのですが……」
馬車を貸して、カストル・アポリアまで付いて来て欲しい。と、それを頼む……のは、少しだけ気が引けてしまうな。
もちろん、やらねばならない以上は頼むしかない。心象など問題ではないのだ。
しかし……その遠征の所為で馬車は壊れてしまっていて、それを補填することも出来ていなくて。
なんと申し訳の立たないことか……
「……すみません。馬車が減ってしまった、それの修理に人も時間も取られてしまっている。と、そんな話をした直後なのですが、カストル・アポリアまで私達を連れて行っていただきたいのです」
「カストル・アポリア……ヨロクより北、ダーンフールへの遠征の帰りに立ち寄ったあの場所ですね。お任せください」
断られはしないだろう。と、それは分かっていた。
これが彼らの仕事だし、別に馬車も壊された一台だけというわけでもないのだから。ただ……
「……サンプテムだとそこそこ強気に交渉してたのに、なんでそんな顔してんだ」
「……イリーナとの一件があったからこそ……です。はあ……」
ミラにも言われたが、慣れないこと、普段やらないような振る舞いをすると、たしかに小さくない反動があるようだ。
ある意味では、普段の私なら気に留めないことだったかもしれない。
それはそれ、これはこれ。やらねばすべてが台無しになりかねないのだから。と、そう割り切れただろうから。
しかし、了承して貰えたならばもう悩むものも無い。
三日以内に開かれる予定の議会へと出席したら、その次の日にはランデルを出発しよう。
「……となれば、今日のところはもう用事もありませんね」
「ユーゴ、私は先に宮へ戻ります。アギトとミラに用があるのなら……もうしばらく起きて来ないでしょうから、鍛錬に混ぜて貰ってはいかがでしょうか」
「ん、なんだよ、今日出発するつもりだったのに。なんかあるのか?」
なんて急な考えで動いているのだろう、この子は……
今日はまだ分からないが、しかし議会を開く予定があるのだ。
ミラの知人である錬金術師を派遣して貰う、その申請を許可して貰う必要があって……ああ、なんて回りくどい……
「ちぇっ。さっさと行く気満々だったのに」
「な、なんだか張り切っていますね。いえ……どちらかと言うと……」
浮かれている……のだろうか?
ユーゴの態度、そぶりは、どことなく落ち着かない……そわそわと、わくわくして浮き足立っているようにも見えた。
もしかして、彼はまた昔のようになっているのだろうか。
あの敗戦よりも前のように――戦うことに楽しみを見出し、その力を振るうことを娯楽と思っていたあの頃のように。
筋道を考えれば、それも不思議ではないだろう。
あの頃の強さを取り戻したということは、あの頃の精神性を取り戻したということ。
ならば、趣向が戻るのは自然なことだ。
「……ユーゴ。あまり無茶をしてはいけませんよ」
「らしくないことをすると反動がある……というミラの言葉を貴方に当てはめるのならば、あの戦いの後の傷こそが……」
「うるさい、このアホ。らしくなくないし、もう負けない」
戦いを求める苛烈な姿勢こそ、彼らしくない――優しくて、人を思い遣れるユーゴらしくない振る舞いだった……と、そう思えば、あの時に負った心の傷の大きさは、ミラの言うところの大きな反動だった……のだろう。
それでも、気分が上がってやる気になっていることはたしかだから。
それ以上は何も言わず、私はユーゴを置いてひとり宮へと戻った。
こんなに早くに出たから……ふわぁ。まだ少し眠気さえ残っている始末だ。
「……あ。そう言えば、朝食がまだでした。ユーゴ……は、もうどこかへ行ってしまいましたか……」
おっと。と、思い出して、一緒に朝食を食べに戻りましょうと声を掛けようとすると、もうどこにもユーゴの姿は無かった。
彼を歓迎する声は聞こえたから、やはり鍛錬場にお邪魔しているのだろう。
「……空回りしなければ良いのですが……」
そんな心配が必要なユーゴでもない……か。
むしろ、私の方が怠惰を咎められないように奮起せねばな。
そして、議会は開かれた。
ユーザントリアへの追加の派遣要請、そして友軍の物資補給。
そのどちらもが可決されて、私もリリィも安堵にため息をつく。
しかし、安心して落ち着いている時間など無い。
私はそのまま引きずられるように宮を出て、ユーゴと共にマチュシー行きの馬車へと乗り込んだ。




