第四百二十二話【迫り来る選択肢】
そして、私達はランデルへと帰還した。
行きにはふたつきりだった馬車も、帰りには数を増やして七台。
この差分がそのまま、ランデルを守護してくれる頼もしい戦力となるのだ。
此度の南部遠征は、大成功だったと手放しで喜んで差し支えないだろう。
もとより協力的な姿勢を見せてくれていたランディッチをはじめ、事情の読めなかったサンプテムの助力も得られ、ブラントとカンタビルにも繋がりを持つことが出来た。
何より大きいのは、海洋の魔獣との遭遇――その存在を認知したことと、それをユーゴが倒してくれたことか。
もはや彼の力は、以前と変わらないところまで回復していると言って差し支えない。
現時点での“私”の戦力は、精鋭が揃うユーザントリア友軍が五十余人……いや、復興支援や防衛にも配備するから、遠征に出られるのはおよそ二十人と言ったところか。
そして、凍結状態を解除した特別隊……こちらには戦闘員を求めていないが、しかし集えば住人は来てくれる筈だ。
併せて三十人前後の兵士による小隊ひとつ。
同時展開を企図しなければ、魔獣の掃討と解放作戦の決行には十分な人数だ。
それに、力を取り戻したユーゴが加わる。更には天の勇者までもが味方だ。
北への遠征に出れば、カストル・アポリアから補給支援も受けられる。
「――ひとつの条件は満たされた――と、そう思って良いのでしょうね」
これは、かつてジャンセンさん達と共に北へ進軍した際よりも、更に万全の備えである。
もちろん、ダーンフールの砦はもう使えない。それ以外にも、物資の不足は間違いなくあるだろう。
だが、戦う力については、過去のどのタイミングよりも高まっている。
あの敗戦の際よりも更に高い戦力を――という、最低限度の条件はまず満たせている。
「――リリィ、議会を招集してください。国軍への派遣要請を出します」
「目的は、ヨロク以南の都市部の防衛。ランデルの守護をオクソフォンとサンプテムの兵に任せられるのならば、戦線を――緊急時の補給場所を前へと押し出すべきです」
時は来る。
まだ――まだ、足りていない条件も少なくは無い。だが、それらを満たしてからでは遅い。
久しぶりに戻った執務室で、私はリリィに指示を出した。
議会を動かす。そして、彼らに譲り渡した国軍の指揮権を行使させる。
どうせ許可が下りるまでには時間が掛かるのだ、早い段階から申請せねば機を逸しかねない。
「……かしこまりました、陛下。国軍派遣の名目で招集いたします。明日……遅くとも三日以内には議会が開かれるでしょう」
「お願いします。それでは……すみません、また席を外します。決議の後に、また北へ……ヨロクへ出発しますので、その準備を進めなければ」
軍が動けるようになっても、他の条件が満たされていなければな。
となれば、今の私に出来ること――動きやすいところで解決出来る条件から、ひとつずつ潰して行こう。
私は諸々の仕事と手続きをリリィに任せ、友軍宿舎へ向かった。
後は頼むと告げた際には、リリィに苦い顔もされたが……彼女は聡い。
この時でなければ……と、理解してくれているのだ。苦い顔で、何も言わずに送り出してくれた。
胸中がどうであれ、背を押して貰ったのだ。と、私は普段よりも更に気力を高めて、ミラのもとを訪れた。
目的……いや、相談すべきは……
「――ミラ。ユーザントリアへの連絡の件ですが……」
ヨロク北方の林の調査について。ミラはこれを、単独でならば可能だとした。
その意味は、単独でなければ有事に逃げられない可能性がある――ミラをしてもその場で対処しかねる問題が発生し得るというものだ。
それ故に、現地での調査は難しい可能性が高い。と、そう前提に置いて、ミラは私に、ユーザントリアの研究施設への検体の輸送を求めていた。
「……その、以前貴女はおっしゃいました。もうひとり、ユーザントリアから魔術師を呼び付けられたならば、と。そうならば、調査も可能だろう、と。それは……」
その選択肢と、検体をユーザントリアへ送る選択肢と、どちらの方が早いだろうか。
こんなもの、尋ねるまでもないことではある。
当然前者――人を増やし、ミラの補佐を務めて貰うことだ。
単純明快な理屈ではあるが、連絡をして、受け取りの準備をして貰って、それから検体を送り、検査をして、結果を報告して貰う。のでは、船での移動に時間が掛かり過ぎる。
人を呼ぶのならば、連絡をして、その人物に渡航して貰うだけ。
一度の往復だけで、それからは収集と検査の時間だけだ。
それでも尋ねたのは――尋ねる必要があると判断したのは、その調査の時間にどれだけ差が生まれるかが分からなかったからだ。
「……どうでしょうネ。ユーザントリアへと送れば、マーリン様直属の施設で徹底的に調べて貰えるかラ」
「時間も短いでしょうし、精度も私ひとりよりずっとずっと……比べるまでもないくらい、精密に調べてくれるでしょうネ。でも……」
「問題は、それがどの程度まで必要なのか……ですが……」
そこまで徹底的に調べずとも問題無いのならば。
ミラともうひとりの協力だけでも十分であるならば、その魔術師を呼んで貰う方が良いのではないか。と、そうも思える。
それに、調査がその一度きりでは済まなかったなら。
他の場所、あるいは他の危険要素を調べるとなった際に、またしてもユーザントリアまで荷物を送っていたのでは、あまりにも時間が掛かり過ぎる。
その点を加味すると、その魔術師をひとり呼んで貰う方が都合は良さそうだ……とも考えられる……のだが……
「最悪なのは、私でもそいつでも分かんなかった場合……よネ」
「結局マーリン様のお力を借りなければならないとなったら、それまでの時間も労力も、それに人ひとりを新たに派遣させるお金も無駄になるもノ」
「そう……なのですよね」
そう。先ほどまで並べた利点は、あくまでもふたりでの検査で十分であるならば……という仮定の下に成り立っている。
根本的な問題として、林の奥にある結界を張ったのは、ミラをしても格上かもしれないとされた魔術師――おそらくはあのゴートマンなのだ。
あの男が潜んでいる場所の調査を、たったふたりで本当に完了出来るのか……と。それを考え始めると……
「もっとも簡単で単純で、そして確実な方法……それは、人も呼んで検体も送る……ことだケド……」
「…………申し訳ありません。もう少し……ほんのわずかでも、私財に余裕があれば……っ」
調査そのものはアンスーリァ内部の問題に過ぎない。
だが、外国の人を借りる、施設を借りるとなれば、それは国際的な問題だ。
当然、対価を準備せねばならない。
アギトとミラが私の為に尽くしてくれているのは、あくまでも個人的な理由。
そうしたいからと、なんだか気の狂ったような発言をしながら戦い始めたことがきっかけだ。
だが、そもそも派遣の時点で、国から国への謝礼は約束されている。
そして、またしても派遣をお願いする、施設の利用を要請する……となると……
「……ごめんネ、フィリア。もっともっと前に……それこそ、魔女とぶつかるよりも前に私達が到着してたら、こんなに悩む必要も無かったのニ……」
「いえ、そんなことを貴女が謝る必要などありません。それに……もしも特別隊が健在だった頃だとしても、お金の問題は……」
今ほどではないかもしれないが、しかし大掛かりな協力を頼める余裕などは無かっただろうから……
さて。無いものを欲しいと嘆いても手に入るわけではない。
私達に課せられたのは、この局面で正確な選択を下すことだ。
ひとつ。人を呼び、ミラの補佐をして貰う。
上手く行けば後にも保険が残せるし、単純に研究者をひとり確保出来るという意味でも効果は高い。
ひとつ。施設を借り、検査を代行して貰う。
林の調査をほぼ確実に完了出来るが、時間もお金も掛かり過ぎる。
だが……もっとも裏目の少ない選択と言えよう。
そして……ひとつ。お金ではないもので対価を準備する。国土か、政治か、あるいは……
「こんなことならおじいさんに声を掛けておくべきだったワ。面白がって密航してくれたでしょうニ……っ」
「それか、バカアギトにちょっとでも知識を仕込んでおけば……」
「み、密航……? なんだか不穏な言葉が聞こえましたが……」
ミラは答えを出しあぐねていた。
いや……出すわけにはいかないから、それぞれの選択肢にわずかでも見落としがないかと考え込んでいるようだ。
そうだ。この決定は、ミラにもアギトにもユーゴにも下せない。
選択権は私ひとりが手にしている。女王である私だけが。
間違えれば、すべてが台無しになるかもしれない。
調査は失敗に終わった。となれば、そのまま立ち尽くし、魔女による侵攻が来るその時を待つしかない。
時間が足りなかった。となれば、抗うさなかに何もかもを踏み潰されてしまうかもしれない。
そして、国を残せなかった……となれば、たとえ魔女を退け、すべての街を守ったとしても、その先に私の望んだ未来が――すべての民が平穏を手に入れるという夢が残らないかもしれない。
間違えられない。この選択だけは、何をどうしても間違えられないのだ。
だが――同時に、悩む時間も残されていない。
私はミラと共に頭を抱えた。
その日一日で結論を出す。そう決めて、ふたりで意見を出し合って、そして……




