第四百十五話【その人の過去】
ヴィンセントは語った。
自らが至った結論……ある意味では人生観とでも呼ぶべきだろう、理念というものを。
それは、人は誰しもが敵になり得るものだ、と。その立場を変え得るものだと、それを危惧したものだった。
自らの振る舞いで、あるいは他の要因で。
ともかく、他者との関係はあっさりと変わってしまいかねないものだと。
そして彼は、それを悪いものとして捉えているのだと。
「……とても……とてもとても遠回りな、面倒な方法を選んだものですね。その事実に私から気付かねばならない事情でもあったのでしょうか」
「もしもそうであるならば……申し訳ありません。ずいぶんと手間を掛けさせてしまいました」
そんな話を聞いたからには……すべてを並べられたからには、いい加減に答えも見えて来るというものだ。
イリーナの目的。それは、私にある事実を悟らせること。
喜ぶべきかも警戒すべきかも分からないような縁について、自分の脚で辿り着くようにと誘導することだった。
「うふふ……いいえ、途中はなんだって構わないわぁ。ただ……そうねぇ。彼女が力を貸したにしては、拍子抜けではあったかしらぁ」
「……そう……ですね。あの方にはよく怒られたものですから。無能を咎められたことも、研鑽を促されたことも、一度や二度では収まりません」
そう。と、イリーナは目を細め、なんだか懐かしむようにその名を数度口にした。
マリアノ――と。
「……貴女があの方と……あの方々と出会ったのはいつ頃なのでしょうか」
「いえ……ジャンセンさんは北の生まれで、幼少にはマリアノさんと出会っていた……盗賊団として南へと活動圏を広げていた……という話でしたから……」
当然、その後になる……のかな。
しかしながら、ジャンセンさんからそんな話を聞いた覚えは無い。
わざわざ話す必要も無いだろう……などと、あの人物は考えない。
だって、ここは最終防衛線の外――そして、盗賊団の防御の外だった。
であれば、その事実を軽視するなどあり得ない。
ならば、私に隠したかった……のだろうか。
南部四都市については、解放作戦を進めた後に説明すべきだ……と、時期を測っていた……とか。
「……うふふ。本当に、どうしてそう愛でたくなるような顔をするのかしらねぇ」
「自らの持っている情報について、推測に足るだけの根拠であると断ずるのは、愚か者のすることよぉ」
「……では、貴女は盗賊団の発足よりも前に……ジャンセンさんとマリアノさんが出会う以前にこの国へやって来て、街を興した……と言うのですか?」
半分は合っているけれど、もう半分はせっかち過ぎたわねぇ。と、イリーナは手で口を抑えて笑った。
半分は……つまり、時系列的に後の事象については、まだ迎えていなかった……のか。とすると……
「私がこの国へ流れ着いたのは……いつとしておくと貴女に都合が悪いかしらねぇ。少なくとも、まだマリアノはひとりで行動していた頃よぉ」
「詳しい時期については明かせないのですね。それでも、盗賊団の発足以前の出来事である……と」
明かすのに抵抗は無いのだけれどぉ。と、彼女はまたくすくすと笑いながらそう言った。
ただのいたずら……嫌がらせで時期を明確にしていないだけ……なのか。
なんとも困ったものではあるが、それはつまり、重要な要素ではない……ということだろう。無視しても構わない、と。
「……私がここへ辿り着いた時、街は形だけを残して消滅していたわぁ」
「人はどこにもおらず、魔獣の数は膨大で、だというのに私が――まだ子供だった私が、ここまで生存し続けられるほどの事情があった」
それがマリアノさんだった、か。
なるほど、彼女の強さがあれば、大抵の魔獣は脅威にすらなり得ない。
この地にやって来たイリーナは、マリアノさんによって守られていた……のか……
「…………貴女の歳もここへ来た時期も分かりませんが、しかし……ジャンセンさんとは幼い頃には出会っていた筈ですから…………」
マリアノさんの年齢がまったく分からない……
私より年上のジャンセンさんを指導した立場……ということだけは分かっていたが、外見だけを捉えると、私よりも幼い少女に見えていたから……
「何も分からない、何も出来ない私を、マリアノは躊躇せずに拾ったわぁ。と言っても、歳の近い友人のような関係だったのだけれどぉ」
「……マリアノさんはその頃から、弱者に手を差し伸べていらしたのですね」
そうねぇ。と、イリーナは目を瞑った。幼い頃の思い出に浸っているようだった。
「……ただ、何も出来ないし、この国の事情も知らなかった私だけれど、ひとつだけ彼女より優っていることがあったわぁ」
「それが……家の力――未来を見通す力、トリッドグラヴの魔術の根幹である占術だったの」
「……魔術の……? しかし……貴女は魔術が使えないのでは……」
そういう話だった筈だ。と、私は視線をミラへと向けた。
魔術が使えないから、国から出てまで逃げて来たのだ……と。
イリーナの口から語られて、ミラもたしかに頷いたその事実を、もう一度確認する為に。
「魔術じゃないわぁ。私にあったのは、あくまでも占術の知識と能力よぉ」
「星の見方、潮の読み方、延いては経済の流れ方まで」
「魔術こそ使えなかったものの、幼い頃には知識を叩きこまれたものよぉ。ハークスの貴女には、理解しやすいことかもしれないわねぇ」
「……そうネ。私も後継者として生まれたわけじゃなかったケド、それでもそれ以外のことはすべて叩きこまれたもノ」
「魔術についても、それ以外の知識、技術についてもネ」
ほらねぇ。と、イリーナはどことなく嬉しそうにミラを見て微笑んだ。
もしかしたら、同じ国の同じ立場の魔術師家系の彼女に、親近感を抱いているのだろうか。
「そして……私は私達の未来を見たのよぉ」
「もちろん、その頃にはまだただの夢想――現実としては遠い、けれど限りなく確実性の高い予測としてねぇ。そうして見えてきたものは…………」
んー。と、ため息とも嘆きとも取れないような声を出して、イリーナは首を傾げてしまった。
先ほどまではにこにこしていたのに……と、その目の見つめる先を辿ると……まだどこか緊張した様子のヴィンセントの姿があった。
彼と関わる話……なのだろうか?
「……私がこの街を直し、人を集め、そして……正しく再建された国と繋がりを取り戻し、統治者としてあるだろう……と」
「まだ子供だったから、自分を慰める為の思い込みも混じっていたでしょうがぁ……しかし、ここまで来てみれば疑う余地も無いわよねぇ」
ほとんど間違いの無い未来を予測し、それに向けて邁進し続けて来た。と、イリーナは言った。
けれど……まだ、苦い顔を浮かべたままだった。
「だけど……ひとつだけ、間違ったことがあったのよねぇ」
「私が見た未来では、国を治めていたのは……マリアノだったのよぉ」
「……マリアノさんが……アンスーリァを……?」
きゅう――と、胸が痛くなった。
その未来は……その可能性は、もしや私が摘み取ってしまったものなのではないか……と。
そう思ってしまったら、イリーナの視線の意味が途端に違って感じられた。
彼女が私を見ながら嗤っていたのは、心の底から鬱陶しいと思っていたから……なのではないだろうか。
自らが予想した未来の――正しく再建されたとまで言い表した未来のアンスーリァとは程遠い、私の治めるアンスーリァを、彼女はただひたすらに呆れ果てて見ているのではないだろうか。
私の代わりに、マリアノさんが治めていたならばきっと――と。そう思って……
「……そうねぇ。そういう節も無いわけじゃあないわぁ」
「けれど……貴女が思っているのとは違うところで、私の占いはズレているのよぉ」
「……? 私が思うところとは違う……私ではなく、他の要因によってアンスーリァはまだ立ち止まったままだ……と……?」
ふぅ。と、イリーナは小さくため息をついて、そして……
「……ジャンセン=グリーンパーク。私が王の器として見出したマリアノが、より相応しいものだと呼んだ男」
「彼女に比べてあまりに矮小で、愚かで、無力な存在。あの男の所為で、私達の未来は大きく変わってしまったわぁ」
私に向けたのよりももっと激しい憎悪を込めて、イリーナはその名を吐き捨てた。
「……この場所に人を集め、ひとまず集落と呼べるものになった頃。彼女は遠出をすることが増えたわぁ」
「物資を集める為、交流出来る場所を増やす為。そして……ここへ優秀な人材を集める為」
「……なるほど。そうして彼女が北に――アルドイブラの街にまで訪問した際に……」
ジャンセンさんと出会い、そこで盗賊団が出来上がった……か。
あるいは、盗賊団そのものが出来るのはもう少し後だったのかもしれない。
どちらにせよ、まだ幼いジャンセンさんとの出会いを果たして……そして、イリーナの見た未来とは違う道を進み始めてしまった……か。
「……マリアノは言ったわぁ。私がいれば――未来までの道のりさえあれば、このサンプテムは必ず復興するだろう、と」
「そしてこの街を中心に、最終防衛線より南部のすべては統一されるだろうとねぇ。けれど……」
北はそうはならないだろう。と、かつてのマリアノさんの言葉を、イリーナは悔しそうにこぼした。
「ここには私がいる。けれど、北にはまだ統治に至るだけの存在がいない。だから、また新たな器を育てなければならない」
「マリアノはそう主張して、そして……あの男と共に生きることを選んだわぁ」
「王として、私の隣を歩くことを放棄して……ねぇ」
そう……だったのか。
私の関与した話ではない筈なのに、とても他人事には思えなかった。
ジャンセンさんとマリアノさんとの縁……だけではないのだろう。
“まだ王としてあるべきだった存在”を失ったものとして、彼女の心境に感じるものがあるのだ。
「……けれど、今はヴィンセントがいる。マリアノをも上回る器が――国を、世界をも統べる王になれる素養がここにはあるのよぉ」
――だから、私はアンスーリァ王政を認めない。
イリーナはそう言うと、また目を細めて私をじっと見た。
さあ。反論してみろ――と。挑発されているようだった。
マリアノさんを――私も知る偉大な人物をも上回るものがあるのだと、そう言って。




