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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第三章【たとえすべてを失っても】
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第四百六話【最大の器】



 この街は――このサンプテムは、私達が今日訪れるよりもずっとずっと前にその形を失っていた。

 イリーナはそう言った。そして、それは本当のことなのだとなんとなく理解出来た。


 根拠は無い。だが……否定する材料はもっと無い。

 私達はそれをずっと危惧していたからこそ、急ごうとしていたのだから。


「この街にあるすべてのものは、公共によって管理されているわぁ。家も、家具すらも」

「だからこそ、誰がどこに住んでも不自由はしない。させない。そう出来るだけの準備をしたからこそ、私はここへ人を集めているのだから」


 今朝の違和感――奇妙な光景の正体。

 それは、いたって単純な理屈で――けれど、あまりにも現実離れした理論で成り立っていた。


 この街には、個人の所有するものが無い。

 あったとしても、それは手に持てる小さなものに限られるのだろう。


 何故か。それは……一度は完全に断たれた人の営みを、もう一度蘇らせる為だ。

 もう一度人を集める為に……


「ここへ来る人は、誰も戦う力を残していないのよねぇ。残念だけど、自分でなんとか出来る人間は、どこからも逃げ出す必要が無いもの。でも……」


 逃げ出した人間に……逃げるしかなかった人々に、体力も底を尽いた難民に、一から家を建て、経済を成立させ、それから元のような生活を取り戻せ……などと、言ったところで叶いっこない。

 それが出来るのならば、はなから逃げる必要など無いのだから。


 彼女の言葉に、その意味に、私は思い当たるものがあった。

 目を瞑らずとも浮かび上がったのは、解放したばかりのナリッドの街だった。


 カンビレッジから東部、魔獣のいない林を越えた先の街。

 最終防衛線の外にあり、あらゆる街との交流を奪われてしまっていた場所だ。


 私達が初めてあの街を訪れた時、その状況は悲惨極まりないものだった。


 体力が、余力が無いが故に争わないだけで、もはや統制や政治など存在せず、ただその瞬間を死なない為に、人々が寄り固まって生きているだけの場所。


 あの状況に陥るよりも一歩手前で逃げ出せたとして、それでも個人が手に持てる余裕は少な過ぎる。

 カンビレッジのような大きな街へ逃げられれば良いが、そうでなければ……っ。


「……この街は……貴女は、人々を受け入れる為に形をまず作った。そして、その形を……器を満たすほどの人はまだ……」


「そうねぇ。それにしても、嫌な言い方を選んでくれるわぁ。でも、その通り」


 前提条件は理解出来た。そうすれば、自ずと結論にも思考が行き着く。


 この街は、逃げて来た人々を受け入れる為の進化を……発展を遂げている。

 そしてそれは、決して満たされてはいけない。


 この街は人を受け入れる。受け入れ続ける。その為には、常に余裕が無ければならない。


 そしてその余裕の証拠こそが、あの人影の無い街路――区画ひとつ分をまるまる空に出来るだけの許容能力だ。


 だが……それには……


「遠からずどん詰まりを起こすでしょうねぇ。もっとも、そうなったら受け入れを止めれば良いだけなのだけれどぉ」


 そうもいかなくなってしまったのよねぇ。と、イリーナはため息交じりにそう呟いた。


 そうはいかなくなった……もとはその予定だったのに、変更せざるを得なくなってしまった……?


 それは何故だろう。市長であり、街そのものを作った彼女の決定であれば、他に誰が反論出来ると言うのか。


「……不思議な顔をするわねぇ、貴女は。疑問を抱いたとしても、それを顔に出さないように尽くすのが為政者じゃなくってぇ?」


「っ。す、すみません……」


 うっ。や、やはり顔に出てしまうのか、私は。


 しかしながら、それを見抜かれてしまったのならば隠す必要も無い。と、開き直って問いを投げ掛ける。


 貴女に指示出来る人間が他にいるのか。

 あるいは、すでにこの時点で、民意は市長の制御下に収まらぬほど大きくなってしまっているのか、と。


「うぅん……残念ながら、どちらにも答えられないわねぇ。嫌がらせじゃないわよぅ? でも……そうねぇ。どうしても結論を出さなければならないとすれば……」


 イリーナは頭を抱えるふりをして……それがふりだと分かるくらいわざとらしく悩んで、またちらりと私の隣を……ミラを見た。

 自らの家の名を知っているものを――ユーザントリアの魔術師を。


「……今更な見栄はいらないわよねぇ。良いわぁ、答えを出してあげる」

「ふたつの問いには、それぞれイエスともノーとも答えられない。どちらにも、そうとも言える……としか言いようが無いの」


「……どちらとも言えない……それは、明確な答えを口にする権利を……許可を貴女が貰えないから……という意味でしょうか」


 私の問いに、イリーナは満面の笑みを浮かべて首を横に振った。

 なんだろう……その……すごく、求めていた反応が返って来た……という顔をされた気がする……


「見栄は張らないと言ったでしょう? その言葉のままに捉えてくれればいいのよぉ」

「私に命令を下す存在がいて、かつその人物は私よりも立場が低い」

「そして同時に、住民の数も膨大に膨れ上がりつつ、その数は私ひとりでも御せる程度でしかないの」


「……? ええと……」


 何かの問答をしているのだろうか……?

 私が言葉の真意を掴みあぐねていると、イリーナはまた更に嬉しそうな笑みを浮かべ、大層満足げにうんうんと頷いていた。


 もしや……この人物は、私が悩む姿を見て楽しんでいる……のだろうか……


「……住民の大半は、この街から出て仕事をしている……のネ。広く散っているからこそ、この街での決定を伝達するには時間が掛かり過ぎるかラ」

「でも同時に、一存を押し通しても何も言われないだけの信頼をも勝ち取っていル」


「あらぁ、聡明ねぇ。流石はハークスの血筋。どんな資質にもそれなりの教養は与えているってわけかしらぁ」


 私の代わり……ではないが、イリーナの問答じみた言葉には、ミラがひとつの結論を出した。

 そしてそれを、イリーナは不満げな顔で肯定する。


 街の外で……なるほど。言われてみると、その言葉はまさしくイリーナの語った曖昧な答えと合致するだろう。

 民意が市長の制御を越えてしまっているのか。と、そんな私の問いへの答えに。


「指示は出せない。ところによっては、外の街の指揮下に加わっているものもあるわねぇ」

「でも……同時に、彼らはこのサンプテムの住民であり、その成果はきちんとここまで持ち帰られるからぁ」


「民の半数近くが出稼ぎに出ていて、この街の中での決めごとには、それほど強い拘束力や影響力は無い……と。しかしながら……」


 あくまでもこの街の住民としてあり、税の徴収も、公共の福祉の提供もしっかりと行われている。

 なるほど、これもまた徹底した管理が成せる業……とでも言えるだろうか。


「……しかし、もうひとつの答えが……貴女に指示を出す権力者が、貴女よりも低い立場にある……というのは、いたずら目的に言葉をはぐらかしているようにしか受け取れません。つじつまが合いませんから……」


 ひとつの答えは理解した。けれど……もうひとつ。まだ分からないことがある。


 市長にさえ指示を出せるものが――この街の中に限ればもっとも強い権力を持つイリーナにさえ命令を下せるものがいる、と。


 しかし、その人物は彼女よりも立場が低いと。

 このふたつの言葉は相容れない、同時には存在し得ない筈だ。

 覆せない指示を出せる以上、それこそが立場を意味するのであって……


「……ふふ。うふふ、貴女は本当に良い顔をするわねぇ」


「な、何がおかしいのですか。もちろん、答えられないことであると言うのならば、これ以上の追求はしません。ですが……」


 答えるつもりがあるから、曖昧でも、はぐらかしているようでも、こうして面と向かって話をしてくれているのだろう。それくらいは分かる。


 となると、イリーナは今、ただ単純に私をからかって楽しんでいるだけなのだ。

 それが分かるから……つい、私も言葉が荒くなってしまいそうで……


「答えならばずっと見ていたでしょうにねぇ。本当に鈍感で、愚かで、可愛らしいほど無能な娘なのねぇ。やっぱり、貴女は器じゃないわぁ」


「……っ。ですから、貴女は先ほどから何を……」


 はぐらかしてなどいないじゃない。ねぇ。と、イリーナは目を細めてそう言った。

 そして……彼女が見ている先には、やはり私ではなくミラの姿があって……いや、ミラ……だけではなくて……


「――この街には王が存在する――器として十分な、統治の素質を備える者がねぇ」

「貴女とは違う、ハークスの娘とも違う。このサンプテムを――そして、アンスーリァすべてを統べる王の器。それが――」


 彼女達は私の背後にいた。私の――女王の、すべての権力を備える者の、その背後に。


 では――イリーナの背後には誰がいる。


 私の背後には、世界を救い得るすべてがある。そしてそれは、私の願望そのものでもあった。

 ならば――彼女の背後にあるものもまた――


「――ヴィンセント=ネーロ――私の下で学び、そして私を越えて世界を統治する者。この国の――この世界の王になる器」

「アンスーリァ国王よりも相応しい、最大の統治者よぅ」


「――っ! この……世界の王……」


 イリーナは大きく胸を張って、そして自慢げにその背後を――背後に立っていた少年の名を呼んだ。

 虚勢や願望ではない。彼女の言葉から感じられたのは、確信にほど近いだけの信頼だった。

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