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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第三章【たとえすべてを失っても】

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第四百四話【長の気持ち、民の気持ち】



 女は私を見つめたままだった。けれどその目は、先ほどまでとは違って見えた。


 彼女は私に、王の器ではないと言った。

 それは……悔しいことに、何も反論出来ないことだ。


 私はそもそも、後継ぎとしてあったわけではない。

 父が急逝し、どうしようもないから据えられたことが発端。

 そういう成り立ちと、自身の能力の未熟も相まって、相応しくないとは自分でも考えていたから。


 だから彼女は、私をひどく蔑んだ目で見ていた。

 嘲笑し、どうしようもなく愚かだと見下していた……と思う。だが……


「申し訳ございません、アンスーリァ国王陛下。どうか寛大なお慈悲を」


 付き人の少年に諫められた後の女の顔は、まるで別人のように穏やかだった。

 しかしながら、それでもその視線は私を向いている。


 ならばこれは、もう一度の機会を許されたのだ……と、そう捉える他に無い。

 足踏みなどはもうしない、ただ前へ進まなければ。


「……貴女は私に、尋ねなければならないことがある……と、そうおっしゃいました。そしてそれは、私が考える問題のすべてに先んじて優先せねばならないものである……と。ならば……」


 答えは……まだ、理解出来ていない。

 それが分からなかったから、即答出来なかったから、彼女はこうして私を見限ったのだから。


 あてずっぽうでも答えてみようか。

 いいや、それになんの意味がある。私は今、王としての資質を試されているのだぞ。


 ならば、ただ運に身を任せるのではなく、自らの決定に一切の負い目と後悔を感じないだけの判断を……


「――私の事情ではなく、貴女の事情を優先せよ――と、そうおっしゃるのであれば、先んじて決定すべきは……」


 前提として、私は歓迎されていないものだと思うべきだ。

 そしてそれが意味することは、この街からの現王政への不信感が高いということ。

 つまり――信頼を勝ち取ることこそが最優先だ。


 信頼、信用。それらはすぐに手に入るものではない。結果を出し続けることでようやく認められるものだ。


 だが――だがこの瞬間にだけ、交渉の余地ありと思わせるだけの信ならば話は変わる。


 あらゆる中から目の前の人物が優先したもの――優先すべきだと、優先して欲しいと思うもの。

 それは――この街への見返り、利、つまり――


「……ランディッチ殿から伝達されている通り、私はアンスーリァの国土の一部を譲渡する約定を交わしました。そしてそれは、この街でも同じです」

「それを反故にするつもりもありませんし、議会や議員に意見させるつもりも――」


「――ちがーう。違う違う、ぜんっぜん違うわぁ。貴女は本当に器じゃないわねぇ」


……っ。違った……のか。


 しかし……ならばもう本当に分からない。彼女は何を求めている。

 自身に――この街にもたらされる恩恵の確保以外に、他よりも優先して確認すべきことなどいったい――


「……はあ。面白くないわねぇ、貴女。本当に何も面白みが無いわぁ」

「まず第一に尋ねるべきこと――気に掛け、警戒し、恐怖を覚えて、そして震えながら確かめなければならないことがあったで――」


 ぱぁん! と、地価の空間に乾いた音が響いた。

 それは、またしても少年が女の背中を叩いた音だった。


 女はその痛みに仰け反って、目に涙を浮かべながら悶え始める。

 そんな彼女に向けて、少年は心底呆れた顔で……


「いい加減にしてください、“師匠”。何度言わせるつもりですか。この方は国王陛下で、貴女はこの街の長でしかない」

「立場をわきまえることは何よりも先で、その次には人を試すことばかりする傲慢さをなんとかしてください」


 なんと言うか……少しだけ見覚えのある光景に思えた。

 ほんのわずかだが……このふたりの関係は、ジャンセンさんとマリアノさん、それにアギトとミラのそれに近いもの……なのだろうか。


「っ……だからって、何度も何度も叩くんじゃないわよぉ。どうして貴方はそう可愛げが無いのかしらねぇ」


「何度も叩かせないでください。仮にも私は貴女の付き人で、諫めることこそあれ、罰することは本来あり得ないことなのですから」


 付き人……ねぇ。と、女は目を細め、少年の右手を――先ほど自らを罰した鞭を睨み付ける。だが……


 女はそれ以上少年を気に掛けなかった。いや……他のことを優先した、かな。

 それは……私へと向き直し、先ほどの問答の続きを始めること……だった。


「――貴女は王で、国を作るもので、人々の生活の仕組みを管理するもの。ならば、まず真っ先に不思議に思うべきはひとつでしょう」

「この街の住民はどこへ行ったのか――とねぇ」


「……そ、それは……はい。そうですね、それについては不思議に思っていました……が……」


 そうでしょうそうでしょう。と、女はどことなく満足げに頷いた。たしかにその疑問はあった……が……


 それが何よりも優先されるべき疑問なのだろうか……と、私の中には猜疑心が生まれ始める。

 もちろん、まったく関心を向ける必要の無いものとは言わないが……しかし……


「ええと……そうですね。ここは街で、そして……最終防衛線の外ですから。当然、防御の手段を備えていると考えるべきです」

「それをアンスーリァへと持ち帰る……と考えれば、たしかにこの点を重視すべきかとも……」


「ちがぁーう! 違う違う、何も分かっていないじゃなぁい!」


 え、ええ……?

 女は私の言葉に憤慨した様子で、先ほどまでよりもずっと大きな声で私の言葉を遮った。


 だが……な、何が違うのだろう。


 私が王で、国の長で、この街の仕組みに気を向けるべきで……と、そこまで前提が固まっているのならば、あとはそれをどう国へ持ち帰るか――正解がなんであるか、どうすればアンスーリァをより良く出来るか……と、それに苦心すること……くらいしか……


「――せっかく驚かせてあげようと思って待ち構えていたのだから、もう少し面白い反応を見せるのが客人のマナーってものでしょぉう!」


「……? え、ええと……」


 ぱぁん! と、また大きな音がして、女は背中を押さえながら身悶え始めた。

 それは……やはり、少年に背中を叩かれた音だった。


「……申し訳ございません、国王陛下。市長は貴女がいらっしゃるのを心待ちにしていたのです。その……悪い意味でも」


「わ、悪い意味でも……ですか……」


 それは……う、嬉しい話ではないのだろうな……

 しかし、だ。


 少年は私に対してそこまで嫌悪感を持っていない……ように見える。

 もちろん、それが本心かは分からないが。


 そんな彼が、悪い意味でもある……とは言うものの、私達を待っていた――良くも悪くも歓迎を企てていたと言うのだから……これは少しだけ喜ばしいこと……で良いのだろうか。


「……こほん。その、そうですね……これを他の何よりも優先すべきである……とは考え付きませんでしたが、しかし疑問があったことはたしかです」

「この街には人が住んでいる形跡があって、けれど……」


「――貴女達が泊まった宿の周りには人の気配が無かった――」

「そう思うでしょう、そう感じるでしょう、そしてそれを不思議に思うでしょぉう」


 そう……不思議だ。そして同時に、不自然だと思った。


 ミラがその謎を――理屈を解き明かせなかったこと。

 つまり、ただ人々が隠れているだけではなかったことこそ、この問題のもっとも奇妙な点だろう。


 あの場所には人が住んでいない――すでに廃棄された区画であると言うのならば、それにしては奇麗に整備され過ぎていた。

 それに、こうして地下施設まで続く階段が隠されていたのだ。


 思い返さずとも変なことばかりが起きている光景だった……と、私が首を傾げていると、女はにやにやと目を細め、今度は好意的な……のだと思われる笑みを浮かべ、私のそばまで歩み寄って来た。


「これはデモンストレーション。この街が――サンプテムが、いかにしてここまでを耐え、永らえ、そして繁栄へと舵を切ったのか。それを示すもっとも原始的な指標ってわけよぅ」


「デモンストレーション……では、ああして住民が姿を消していたのは、やはり街ぐるみでの決めごとが――有事への備えがあった……ということでしょうか」


 私の問いに、女は満足げな顔で小さく頷いた。もしや……いや、きっとそうだ。


 恐らく彼女は、自分の街を自慢したかったのだ。

 あの……いえ、その……どうしてこんな時に、それもこんなにも回りくどい方法で……とは、今は疑問に思わないでおこう。


 過程はどうであれ、彼女はこの街を私に誇り、そして…………アンスーリァよりも優れている、より良いものであると見せ付けようとした……のだ。


「市長、お気は済みましたか。であれば、いい加減に本題へと移りましょう」

「国王陛下がここまでいらしたのは、何もサンプテムを視察に来たわけではありません。この街への協力要請と、その条件についての直接確認に……」


「分かっているわよぅ、そんなことは。ただ……それだけじゃぁ悔しいじゃなぁい?」

「あちらの都合で孤立した街を、あちらの都合の為だけに無視されたのじゃねぇ」


 っ。なる……ほど。


 彼女はここまで――私達を招き、試し、そしてわずかな問答をする間に、感情的な要素のみでこちらを推し量っていたのだ。

 つまるところ――見捨てられたものの民意の代弁者として。


 女はもう笑顔を浮かべていなかった。同時に、こちらを蔑むような眼もしていなかった。


 ただ真っ直ぐに――ランディッチ殿やヴェロウと同じように、街を治める責任ある者としての顔で、降って湧いた貴重な食べ物を――私を、どう捕らえるかと見定めているようだった。

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