第四百二話【歩き回って知ったもの】
お迎えに上がりました。と、少年はそう言った。
特に身構えた様子も無く、それでいてここで偶然鉢合わせたという表情でもない。
意図して――ここに私達がいると確信した上で、彼はこの小さな小屋の前までやって来た……と言うのか。だが……
「……ミラ」
少年を前にして、ミラは私をその小さな背に隠すように立ちはだかった。
そう、彼女もまた言ったのだ。ここへ来る何者かは、私達を迎えに来たわけではなさそうだ、と。
ただそれだけならば――状況証拠だけをあてに推理をしたのならば、ただの勘違いで済まされることだろう。
だが、彼女に限ってはそうではあるまい。
何か確信が――断言するだけの理由が、彼女の感覚ならではの手掛かりがあったのだ。
けれどそれでも、少年は迎えに来た……という言葉を使っていて……
「……どうして私達がここにいることが分かったのかしラ。見たところ、魔術を使ったわけでも、見張りを立ててたわけでもなさそうだケド」
「ああ、いえ。勘違いなさらないでください。この場所にいる……と、細かな現在位置までは想定していませんでした。しかし……」
こほん。と、少年は咳ばらいをすると、ちらりと視線を隣へと向けた。
ミラが見付けた、インクのニオイの濃いという小屋だ。
「……ここか、あるいは他のいくつかのポイントには辿り着くだろう……と」
「一国の主ともあろう方が、それを見付けられぬ筈が無い……見付けられるだけの人員を必ず連れているだろう、と」
「……この小屋は、外からの人間をおびき寄せる為のエサだった……って、そう言いたいのかしラ?」
「それはまた奇妙な話をするものネ。そうまでする理由も無ければ、それを成立させるほどの来客も無いでしょうニ」
ミラの言葉に、少年は苦い顔で笑った。
そして、ごもっともです。と、なんだか困った様子でそう答える。
この場所には辿り着くだろう。
目的があってこの街に来たのならば――何かを探していたのならば、この小屋か、あるいは他の似たような目的の場所へと辿り着くだろう。と、少年は言った。
それは……とても簡単なことではないが、まったく不可能とは思わない心理の誘導だろう。
事実、ミラはこの場所へと誘われた。
そして、このように対面を果たしている。
だが……問題なのは、ミラの発言――彼女が気にした問題だ。
そうまでして何を試そうというのか。と、根本的な謎がまずひとつ。
来訪者の能力を……インクのニオイを探し当てる嗅覚という直接的な能力ではなく、何かを求めて行動し、なんらかの違和感に到達するだけの能力を試そうとしている……というのであれば、まずもってその目的が分からない。
力があればどうなのか。無ければどうなのか。
そんなもの、当人から目的を訪ね、言葉を交わせばある程度推測出来るものだ。
それをわざわざ、こんな形で試す必要などあるまい。
そしてもうひとつは……
「……お察しいただいた通りです。これまでにも何度か……ランデルを訪れる貴人に比べればずっとわずかですが、この街に外からの来訪者を招く機会がありました」
「避難民という意味ではなく、国家の傘から外れた街に用がある者を」
「……その者達は、もれなく皆この街の市長に面会することなく立ち去る羽目になった……のですね」
少年は言った。迎えに来た、と。
であれば、その手に引かれなければ辿り着けない場所があるということだ。
そしてそれは、ここへ来る人間の目的を達する為に欠かせないもの――このサンプテムを政治的に利用しようという意図を果たす為に会わねばならない人物の住まう場所なのだろう。
そういった来訪者を、この街はことごとく追い返している……市長が対面することすらもせずに跳ね返している。
となれば、あまりに内向的過ぎる、外の空気を受け入れたがらない街……という認識にもなってしまいそうだが……
「……ランディッチ殿は辿り着いた……のですよね。あるいはこうなるよりも前から縁があるとも考えられますが、もしそうでも、あの人物であれば……」
「はい。オクソフォンのランディッチ市長は、陛下と同じようにこちらの小屋にまで辿り着きました」
「ご本人は運が良かったと、ただ偶然に足を休めただけだと口にしておられましたが、確証あってのことだったでしょう」
では、もしや……と、私が問いを投げようとしたところで、少年は申し訳無さそうに深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。私からでは答えられぬ質問も多いものですから。案内させていただきます」
まだここでは答えられないことばかりだから。その問いは、自分ではなくこの仕組みを考えたものにして欲しい。と、そういうことだろうか。
少年はまた頭を下げると、くるりと踵を返して道を歩き始めた。先ほど彼がやって来た方へ向かって。
「……フィリア。警戒しておいテ。攻撃の意思は無い……ケド、こっちの腹を探るつもりはまんまんみたいヨ」
「……それは、その……だらしなくせず、緊張感を持っていろ……と、そう言いたいのでしょうか……」
その……ミラ。貴女には私がどう見えているのですか……?
仮にも一国の女王、そしてこの場には――この街には、交渉の為にやって来たのだ。
それを、市長の遣いであると思しき少年を前に、気を緩めるなんてことはしませんよ。
あの……すると思われているのでしょうか……?
それからしばらく歩き回った。
少年は曲がり角をひとつ越える度にこちらを振り返って、何かを確かめたかと思えば、やはり申し訳無さそうな顔で頭を下げる。
ミラの言う通り、まだ何かを確認する段階にある……と、そう捉えて問題あるまい。
だが……それにしても、もうずいぶんと歩き回っている筈だ。
土地勘の無い知らぬ街並みとは言え、まるであてもなくぶらぶらと練り歩いているだけのようにさえ……
「……長く歩かせてしまい、申し訳ございません。到着しました」
「……やっと……ですか。おや……ここは……」
ここが目的地である。と、少年が示した先には、先ほどの小屋が――ミラが見付けた、少年が迎えにやって来た、インクのニオイの濃い小屋が……それと似た建物ではなく、それそのものが立ち尽くしていた。
「ぐるりと回ってここへ戻って来た……のであれば、これまでの道のりに意味があった……と? 今度は何を試そうというのですか」
「……申し訳ございません。すべては市長の指示ですから。私からでは、その意図までは……」
では……この場にいないサンプテムの市長は、時間を掛けて歩き回らせることに意義を見出している、と。
だが、その意図を少年とは共有していない――彼を通じて何かを確認しようとしているわけではない……と、そういうことだろうか。
またそんな疑問を口にする暇も与えて貰えず、少年は小屋へと入って行った。
鍵を開けて、ぎいと鳴る立て付けの悪いドアを潜って、そして……
「……っ。なるほど、これは上手いこと隠したものネ。まさか、私がこんなのに気付かないなんテ」
「いえ、気付かれる方がいるとすれば、それは気の狂った浮浪者くらいでしょうから」
「市長の考えはそれだけ世間と乖離している……のだと、そう捉えられてもしまいかねませんが……」
入口のドアの先には更にドアがあって、それを越えた先には……ミラの言い当てた通り、天井いっぱいにまで設けられた棚に、いっぱいの書物が詰め込まれていた。
だが……
目を引いたのは、壁一面に備えられた書棚ではない。
ミラも、私もユーゴもアギトも、揃って床を――地面を、その先を示唆する暗い階段を睨んでいた。
「……地下……ですか。この街の市長は、地面の下で仕事をしている……と?」
「……はい。その……私の立場から言う言葉ではないと自覚しているのですが……」
「市長はどうも、奇抜なことをしたがる悪癖があるものですから」
奇抜……という言葉で片付けて良いものだろうか、これは……
しかしながら、この光景にまったく納得出来ないとまでは言えない。
地下に施設があっては不便も多かろうが、しかし利点も小さくないのだ。
単純な理屈で言えば、地上よりもずっとずっとその秘匿性が高い――情報も、市長の身も、圧倒的に守りやすくなっていると言えるだろう。
事実、ミラでさえ手掛かり無しでは一向に辿り着けなかったのだから。
「それではこちらへどうぞ。暗いですし、段も急になっています。ご注意ください」
こちらへ。と、私達は言われるがままに地下へと続く階段を降り始める。
たしかに、どうにもならぬほど視界が悪い。壁伝いに手を這わせなければ、今にも転げ落ちてしまいそうで……
「転ぶなよ、フィリア」
「転ぶんじゃないわヨ、バカアギト」
っ⁈ か、考えを読み取られていた……?
私の前と後ろを歩いているミラとユーゴに、ほとんど同じタイミングで同じような注意を、それぞれが受けてしまった。
そんなわけだから……きっと一番後ろを歩いているアギトも、私と変わらない顔をしているのだろう……
階段は長く続き、その暗さ急さにも次第に慣れ始めて来て、これはまたずいぶんと深くまで掘ったものだと感心さえし始めた頃だった。
ほの暗い中でも、その道の先が平坦になっているのが見えた。
「お連れしました。本来ならば貴女が出向いて挨拶を行うところを、国王陛下直々にいらしていただいたのですから。これ以上の失礼は重ねないでください」
そして、少年はこちらを振り返り、ことさら深く頭を下げた。
そして彼の背後には――私達の見る先には、大きな椅子と机と、そこに掛けるひとりの女性の姿があった。




