第四百一話【奇妙な街、サンプテム】
ミラの起床と共に、私達は行動を開始した。
目的は、このサンプテムの街の長に面会すること。
その為に、まずはその人物がどこにいるのかを知らねばならないが……
「ふんふん……すんすん……こっち。こっちの方がインクのニオイが濃いワ」
「インクのニオイ……ですか……」
いかんせん、ここはまったく土地勘の無い街だから。
どこに市長がいるのか、そしてその施設はどこにあるのか。何も分かっていないから手探りで探すしかないのだ。
しかしながら、それで何故ニオイをアテに街を練り歩いているのか……だが、これにもまた困った問題が発生してしまっているのだ。
「それにしても変な街だな。もうチビでも起きてる時間なのに、外に誰もいないなんて」
「そうですね……何か祭事でもあるのでしょうか」
もう日が昇ってしばらく経つと言うのに、街頭に誰も出ていないのだ。
だから、どこに行けば会えますかと尋ねることも叶わないでいる。
ただ人がいないだけならば、近くに民家を訪ねて話を聞けば良い……とも思うのだが、この光景が異様過ぎて、踏み込むに踏み込めないままでいる……というのが正しいのかな。
少なくとも、そういうことに躊躇の無いミラが鼻をヒクつかせ始めたから、聞き込みをして……という正攻法は使えない……使わない方が良いのだろう、と。
「偶然そういう日にかちあっタ……正午の鐘がなるより前には、日の下に出てはならない祈りの日がたまたま今日だっタ……なんてことがあるかしラ」
「でも、日が宙天に昇るまでは外に出ちゃいけないなんて信仰も考え難イ。となったら……」
何かしらの意図が、この状況を作り出している可能性が高いだろうと、ミラはそう言いながら私達の前をゆっくりと進んで行く。
インクのニオイの濃い方を……ひとまず、人が書類仕事をする場所を目指して。
「意図……私達の来訪を知っていた、それに合わせて何かしらの準備をしていた……と、そう言いたいのでしょうか。それは……いくらなんでも……」
「すん……んむ、そこまでは言わないワ。ただ……」
女王の来訪とは限定せずとも、外部からの何かに対しての、定められた反応である可能性はあるでしょうネ。と、ミラは立ち止まってそう言った。
「来客があった場合……いいえ。この街が管理するもの以外が街に入ってきた場合、一時的にその機能を変更する……とかネ」
「出来ないことじゃないでしょう、ああやって関があって関守がいて、通達するだけの時間もあったわけだかラ」
「……外部からの人間が来た場合には、その素性が割れるまでは決して関わらないようにと、そんな決まりがあるかもしれない……と? それも……やはり……」
理屈の上では可能かもしれないが……しかしながら、それをする利点はどこにあるだろうか。
少なくとも、現在こうして街の機能が停止している――誰もが働きに出られない状態になっているのだから……
「私達は知ってるからネ、そういう理解不能な管理方法を選ぶ統治者モ。まあ、顔は見てないケド」
「じ、実在したのですか……そんなものが……」
そ、そんな……と、ショックを受けている私に、これとまったく同じじゃないですよ。と、アギトは少しだけ焦った顔で声を掛けた。
しかしながら、奇妙な統治を行う街自体は存在した……のだよな。そこは否定していないし……
「……俺達が知ってるのは、こことは逆……日が暮れてからは一切外に出ちゃいけないって決まりでした。それと同時に、罪人は日暮れと共に家から閉め出されてしまう……なんてルールもありました」
「と言っても……これはこの世界の話じゃなくて……」
「バカアギト、そんな理由で無いと決め付けるのはやめなさイ」
「アレはこの世界から近しい世界――十分に考えられる、派生し得た世界だって前提を忘れないようニ」
この世界の話ではなくて……なんて、アギトの言葉の理解し難さたるや。
しかしながら、彼らの過去を――その冒険を聞かされた私とユーゴには、ふたりの言葉の意味が、わずか程度には理解出来た。
「……召喚によって訪れた別なる世界には、そういった統治の形があった…………そういった人間の可能性が存在した……と」
「たしかにそれならば、ここでもそれが行われないとは限りません」
「そうヨ。だってあの世界もまた、たしかに人が生きてたんだもノ」
「それが全部間違いで、この世界とはまったく異なるものだ……なんて切り捨てることは出来っこないワ」
それがどこであれ、人間という存在がその道を選んだということは、他の場所でもそれが行われる可能性は十分にあるだろう。
その言葉に強い説得力があったわけではないが、しかしどうしようもない妄言だと無視出来るほど軽いものにも思えなかった。
「……しかしながら、それと目の前の現実とはまた別の話です」
「そういった統治がまったくあり得ないわけではない……というのと、そうである可能性は限りなく低いだろうというのは両立しますから」
「この光景が政治的な意味合いを持つ……定められた決まりごとであるとは到底思えません」
さてと。そんな奇妙な話を聞かされたものの、それと現実問題とはまた別だ。
可能性があることは問題ではない。問題なのは、こうして人と会えないから、市長のもとを訪れる手段が無いことであって、この街の統治にとやかく言うのは今することではない。
「……だったらさ、魔獣が来た時の為の備え……そういう警報があった……って可能性は無いのか? まあ……何も聞こえなかったけどさ」
「住民を緊急避難させている……と? なるほど、それならばたしかに……」
はてさて。と、困り切った私に、ユーゴは首を傾げてそう言った。
そしてそれは、たしかにと納得出来るだけのものであった。
このサンプテムをはじめ、四都市には、魔獣に対する防御策が成されていて当然なのだ。
最終防衛線の外ということはつまり、自らの手ですべてを守らねばならないわけなのだから。
となれば、住民を一斉に避難させる方法は確保されている筈だ。
そしてそれを行使した……私達の訪問とは関係無く、なんらかの理由で防御が必要だと判断されたのだとすれば……
「もしや魔獣が出現して……いえ、それならばミラが気付いてくれている筈で……まさか、ミラでさえ気付けないような外敵が出現して……?」
いや、それならばここの人々も気付けないだろう。
ミラの能力がいかほどかという話ではなくて、ミラの能力と人々の能力との間にどれだけの乖離があるか……を考えるべきだ。
「……すん。ここね、ここが一番ニオイが濃いワ。ただ……」
何も分からないままに街を進んでしばらく、ミラは立ち止まってこちらを振り返ってそう言った。
ここには濃いインクのニオイがある……と。そして同時に……
「……ずいぶん小さな建物ですね。ここに市長が住んでいる……あるいは、ここで仕事をしている……とは……」
ここは目的地ではないのだろう。と、そう予感させるものがそこにはあった。
それは小さな小屋だった。
コンクリート造りの壁には小さな窓があるだけで、しかしそれも木の板で内側から塞がれてしまっている。
この様子を見るに、書類をしまっておく……あるいは、置き場の無くなった書物を保管しておく為の倉庫だと見るのが自然だろうか。
「……魔力痕も無し、工房ってわけでもなさそうネ」
「となると……うーん。やっぱり倉庫……悪く見積もると、燃やす前のごみを溜めておく場所……かしラ」
それは……なんとも否定出来ない可能性を突き付けられたものだ。
ゴミ置き場などと言われてみれば、なるほど納得な佇まいであろう。
窓が塞がれているのは、中のものが盗まれない為……そして、この場所を悪用されない為か。
つまるところ、治安の維持の為と考えれば……
「……すん。んむ、誰かこっちに来るわネ。私達を迎えに来た……あるいは後ろを付けて来たって感じじゃないケド……」
「……では、この建物に用がある……のでしょうか。しかし……」
こうして誰も外に出ていないというのに、ごみを捨てる為だけに外を出歩く住民がいるだろうか。
よしんばこれが意図されたものでなかったとしても、気味が悪いからと引き返してしまっても不思議ではないくらいなのに。
「……ミラ。その人物は本当にここへ向かっているのでしょうか。その……他の場所へ向かう途中で、それをたまたま……」
「いいえ、こっちに来るワ。通り過ぎる可能性はあるにせよ、少なくともここへは……」
必ず鉢合わせるだろう。と、ミラはそう言って、少しだけ身構えて私達の前へと躍り出た。
まさかとは思うが、危険な敵意が近付いている……なんてことは――――
「――ああ、こちらにいらっしゃいましたか。お迎えに上がりました、アンスーリァ国王陛下」
「……貴方は、昨日の……」
来る。と、身構えた私達の前に現れたのは、ひとりの少年だった。
アギトよりも幼い、ユーゴとそう変わらない歳の子だろう。
昨日、関で私達に通行許可を出した彼が、特別な様子も無く今朝も現れたのだった。




