第三百九十九話【四分の内の一】
馬車が次第に速度を落とし始めて、それから私達は街への到着を……街の入り口、関所での停車を知った。
まだ日は落ち切っていないが、覗き窓から見える空はずいぶん暗くなってしまっている。
もう少し遅れていたら、もしかしたら入れて貰えなかったかもしれないな。
「遅くにご苦労様です。どちらからの馬車でしょうか。身元を証明するものを提示いただきたい」
「そちらこそ、ご苦労様です。私達はランデルから参りました。身元の証明は……ええと……」
到着したのなら、まずは私が仕事をしなければな。と、私はミラを膝の上から降ろし、急ぎ足で馬車を出る。
すると、見張りの若い男に、珍しく優しい対応で迎えて貰えた。
通常ならば関守は警戒心を高めている筈だから、もっと強い言葉を使われることが多いのだが……それだけこのサンプテムが安全……というわけだろうか。
「……こちらでどうでしょうか。オクソフォンのランディッチ殿より、紹介状をいただいております」
「オクソフォンの……少々お待ちください、確認いたします」
さて。思い返されるのはオクソフォンでのやり取りだった。
あの場所では、フィリア=ネイ=アンスーリァと名前を出しても、とてもではないが信用などして貰えなかった。
思えば当たり前のことではあったのだが……
それに……そもそも、王家の名を出すことにはリスクが伴う。
ここは最終防衛線の外の街で、王政に対して良くない感情を持っている人々が多くいても不思議ではない……いや、本来ならばそうである筈の場所なのだ。
そんな経験が、経緯があったから、私はランディッチから三枚の紹介状を預かっていた。
明日以降に訪れる、ブラント、カンタビルの街の長に向けたものと、そしてこのサンプテムの長に向けたものを。
これさえあれば、不用意に身分を明かす必要も無くなるし、そもそも話を早くに進めることが出来る。
つくづく、あの街にランディッチがいて良かったと思ってしまうな。
「……たしかに、オクソフォンで使われている公印で間違いありませんね。確認いたしました」
関守は紹介状の文面とそこに捺された印を確認して、ぺこりと頭を下げてそれを私に返して……返されてしまったけれど、もしやこれで追い返されたりするのだろうか……? なんて、私が不安になっていると、男はここで少し待つようにと言い残して街の中へと走って行った。
「……担当が違う……のでしょうか。あの人物には、行商の馬車や既に許可の下りた客人を通す権限はあれど、新たに承認する権利は無い……と」
不思議なことではないが……しかし、ランデルにいては――最終防衛線の中にいては、それが必要であるとは気付かなかっただろう。
ある意味では、この関は国境なのだ。
もちろん、まだこのサンプテムはアンスーリァ領だ。
実質的な統治権を破棄しているだけで、どこの国の街であるかと問えば、それはアンスーリァだと答えざるを得ない。書類の上では……だが。
しかしながら、現実的にはここもオクソフォンも他のふたつの都市も、どの国にも属さない、四つの独立した自治区のようになっている。
であれば、その関が持つ役割は、街と街との間にあるものとは大きく違ってくる。
ここは、外国からの荷物が入って来得る場所……として扱われるだろう。
資源や通貨の流出や、未認可での流入は避けなければならない。
経済が大きく揺らげば、規模の小さな街単位では、簡単に政治が覆ってしまいかねないのだから。
そしてしばらく待っていると、先ほどの関守と共に、もうひとりの若い男が――もしかしたらアギトよりも若い……幼いかもしれない少年が、少し息を切らしながらこちらへ走って来るのが見えた。
そ、そんなに急がなくとも良かったのに……
「お待たせいたしました。どうぞ、関をお通りくださいませ。フィリア=ネイ=アンスーリァ陛下」
「はい、ありがとうございま……はて。どうして私の名を……? 紹介状には書かれていなかった……と記憶していますが……」
関守も少年もはあはあと息を切らしたまま、私に頭を下げて通行の許可を出してくれた。
のだが……どうしてか、どこにも書かれていない筈の私の名を口にして、少年はまた深々と頭を下げたままだった。
「以前、ランディッチ殿からお話を伺っておりました。近く、アンスーリァより新王が訪問なされるであろう、と。その方は、長い黒髪の、背の高い、美しい女王であるとも」
「ランディッチから……そうでしたか。申し訳ありません、隠して通るつもりではなかったのです。ただ……信じて貰える名前ではありませんから」
「名乗らなかった非礼をお詫びいたします」
そうか、交渉条件を通達する際に、ランディッチは私のことも紹介してくれていたのだな。
なら……初めからきちんと名乗っておくべきだった。
今も顔を青くしている関守に申し訳無さを感じてしまう。
しかしながら、こうもあっさり通して貰えたのは話が早くて助かる。
私はふたりに頭を下げて、馬車に乗り込んで関を通過した。
「今回は揉めなかったな。ちょっと時間掛かったけど」
「はい、ランディッチが私を紹介してくださっていたようで…………あの、普段から揉めごとを起こしているような言い方はやめてください……」
起こしてないとは言えないだろ。と、ユーゴは意地悪な顔でそう言って、それからまた窓の外へと視線を向けてしまった。
まあ……その……そうですが、そういう話ではなくて……
ともあれ、今度は何ごとも無く街へと入れたのだ。
悩みも憂いも、無いのならばそれに越したことは無い。
私達はそのまま宿へと向かい、そしてそれぞれ荷物を下ろして部屋へと入った……のだが……
「フィリア、もうちょっとだけ良イ? 明日のこと、ちゃんとしっかりさせとかないとネ」
「ありがとうございます。なんだか、すっかり秘書官を雇った気分です。貴女はユーザントリアの英雄で、他ならぬ勇者であるというのに」
ミラはすぐに私の部屋へとやって来て、明日のことを――サンプテムの長との会談について、話すべきこと隠すべきことを相談しにやって来た。
他国の、それも自分とはあまり関係無い話について、ここまで当事者意識を持てるのはこの子の強みなのだろう。
首を突っ込み過ぎて巻き込まれてしまう癖がある……とも言い替えられそうだが。
「そういえば、ここの市長の話は聞いてないノ? オクソフォンの市長からでも、他の人からでも」
「いえ、ランディッチからは何も。聞かれなかったから答えなかった、ただ忘れていた……なんてことは無いでしょうから、何か意図があるのかもしれません。たとえば……」
やはり、王としては自らの目で確かめるべきだろう、とか。
自分の紹介の所為で無駄な先入観を持たせない方が良いだろう。と、ランディッチならばそう考えても不思議ではあるまい。
「……となると、何を切り札に据えるかは今の段階じゃ決めかねるわネ。んー……」
うーん。と、ミラは唸り声を上げながら頭を抱えて……そして、よじよじと私の膝へと登り、そのまま首元に頭を擦り付け始めた。
ふふ、くすぐったいですよ。
「……ん。フィリア。明日、私も同席することは出来ないかしラ」
「もちろん、私は所詮他国の人間だから、難しいのは分かってル。深入りし過ぎるべきじゃないこともネ。だけど……」
魔獣の問題についてだったら、私は無関係を貫くわけにもいかないワ。と、ミラは真剣な顔でそう言った。むぎゅうと私を抱き締めたまま。
真面目な話をしているのか、じゃれているのか……
「……こほん。私としては、ぜひともお願いしたいところです。ですが……問題は、あちらがそれを許可するかどうか……ですね」
「今のアンスーリァとサンプテムとでは、限りなく国家間の会談に近い格好になりますから」
「そこへまた他の国の人間が立ち会う……となると、良い顔をされない可能性も高いでしょう」
それも、完全中立の立場で立ち合いを行うというのではなく、私達の味方として……実質二対一の格好で向き合うことになるのだから。
拒まれるかどうかはともかくとしても、あまり良いようには受け取って貰えないだろうな。
しかし、ミラの言い分は理解出来る。
彼女は自らの責任感で――魔獣の大本とされていた魔王を倒したものとしての義務感で、その問題については口を出さざるを得ないと考えているのだ。
こちらもまた至極まっとうな理由と言えるだろう。
彼女の場合、それだけの偉業を成しているのだから。
「明日は少し早くに伺って、貴女の同席が可能かどうかを確認しましょう」
「その場合……ですが、政治的な立場は出来る限り中立を貫いていただくことになるでしょうが……」
「うん、分かってるワ。フィリアの味方をしたいとこだけど、それで足引っ張ってちゃ意味無いものネ」
「それに、そもそも政治にまで首を突っ込むのは勇者の仕事じゃないワ。勇者を政治に利用するのはフィリアの仕事だケド」
うっ。な、なんとも重たい言葉を背負わせてくれるものだ。
だが……そうだな。こうまで協力的な姿勢を見せてくれているのに、その力を持て余して無駄にするのは、彼女に対してもユーザントリアに対しても無礼だろう。
それからもう少しの間だけ魔獣の情報について纏めると、今度こそ私達はそれぞれの部屋で眠りに就いた。
明日の朝もきっと早いのだろう。早くにユーゴが起こしに来るだろうから。はあ……




