第三百九十八話【嫌な未来と切り札】
ミラが語ってくれた可能性――あの海洋の魔獣から見えた嫌な未来は、ぞっとしないものだった。
魔獣は、魔王の魔力の影響を受けて変質した獣である……というのが、古くから言われてきた常識……前提だった。
だが彼女は、それとは違う原因が――主因があるのではないかと首を傾げる。
魔獣は魔力によって……魔術的な要素によって変質した獣である。
この部分はそのままに、介入しているなんらかの意志が存在するのではないか……と、彼女はそう言った。そして……
「――少なくとも、私が知る限りでは三例あるワ」
「ひとつはフィリアも知ってる通り、この国の魔女が使役するっていう魔獣」
「もっとも、これについては私よりふたりの方が詳しいでしょうかラ。聞いて欲しいのはもうふたつの例になるわネ」
魔女――無貌の魔女の使役する、番号で呼ばれた魔獣。
それらが人為的に造られたものだと言うのならば、すべての魔獣が同じように――まったく同じところから発生しているかは別としても、同じような意思、意図、原因によって生み出されている可能性があると考えられる。
それ以外にもまだふたつ、ミラは類例を知っていると言う。
そしてそれは……きっと、これまでに聞いた彼らの冒険の中に登場した話なのだろう。
「まずひとつ、前にも話したことがあるかもしれないケド」
「ここにいる魔人の集いと無関係じゃないと思われる、ユーザントリアにいたひとりのゴートマン……魔竜使いのゴートマン、アイツの研究が候補に挙がるワ」
ゴートマン。と、ミラはその名を忌々しげな顔で口にした。
そんな彼女を見て、アギトはちょっとだけ悔しそうな……切なそうな、寂しそうな顔になって……
「……ちょっと、バカアギト。アンタでしょうガ。アンタがいっつもイライラした顔だったんでしょうガ。なんで今になってそんな顔するのヨ」
「え……いや、だって……うん。そう……なんだけど……」
そんなアギトの姿に、ミラは大きなため息をついてうなだれてしまった。
やはり、彼らの冒険と因縁浅からぬ存在のようだ……が……ふむ?
なんだかそれだけではない……様子だ。
「……ミラ。アイツの研究は破棄されてた……って、そういう話だったと思うけど、そこんとこはどうなんだ?」
「少なくとも、アイツの研究施設は俺達が焼き払ってるわけで……」
「それとこれとは話が別ヨ……ううん、違ウ。根本的なところから認識を改めるべきだ……って、そう言うべきネ」
「この国に来てから見た魔人の集いの形を思うに、アイツも魔女から……集いから力を借り受けて魔獣を造っていたと考えるべきなノ」
だとしたら……と、ミラはそこで口を閉じ、歯を食い縛って、そして……私の手を思いっ切り抱き締めて、あむあむと甘噛みを始めた。
や、八つ当たり……なのでしょうか……? しかし、痛くないようにはしてくれているのだな。理不尽なのか優しいのか……
「……むぐ。アイツはただ利用されていただけ……私達が思っていたより、ずっとずっと末端の存在だった――集いからすれば、風が吹いて飛ばされた木っ端みたいなものだったって考えるべきでしょうネ」
「危惧すべきことは、あの力が他にも転用されること――使い回されて、魔獣を生み出すゴートマンが増産される可能性があることヨ」
「……っ。アイツが何人も……か。それは……」
まるでふざけてじゃれているような格好なのに、ミラは真面目な顔でそんな話をした。
魔獣を造る存在が……奇異な、強大な、危険な存在が、もしかしたらただの末端の、使い捨ての、再利用可能な存在でしかなかったかもしれない……か。
それは……たしかに気が気でないな。
「そしてもうひとつ。こっちは……もっと大ごとヨ」
「魔力による生物の変質……魔獣の生成に近いやり方で、人間を変質させた例がふたつあるワ」
「ひとつは魔竜使いのゴートマンが手を加えた、エンエズという錬金術師が変質した赫い魔人。そしてもうひとつは……」
「……っ! アイツ――魔王……か」
っ! 魔……王……? 魔王とは……魔獣を生み出して、人間の住処を奪い取ろうとしている……とされていた、魔獣達を統べるもの……だった。
ミラが倒した、あらゆる混乱の元凶となる存在で…………
「……魔王ってのは、人間よりも魔獣にこそ……変質にこそ未来を見出した存在だっタ。そして……その根本は、ただの人間だったワ」
「私や魔術翁すらも超越した魔術師が、最奥への可能性を模索した結果の産物。つまるところ……」
――人間を終わらせ、魔術の最奥へと到達する筈だった奇跡――
ミラはそう言って、そして険しい顔でアギトの顔を見た。
奇跡――と、彼女はそんな言葉を使った。
それは……その意味はきっと、アギトに深く関係していて……それで……
「――奇跡ってのは、誰かが望んだから起こるものヨ」
「魔王には間違いなくその意思が……願望があっタ」
「アイツの場合、魔術師としての根源的な願望――自然現象の再現、つまり……生物の進化を自らの手で操作することだったんでしょウ。でも……」
自らが魔の王として成立したところで、アイツはそれを完了としタ。その時点で、魔術師としては死んだノ。
ミラのその言葉に、アギトは目を丸くして……そして、険しい顔で唇を噛んで下を向いてしまった。
「――もしも――魔王を生んだのがアイツ自身の願望じゃなかったラ――」
「魔王という奇跡を起こした存在が、アイツ以外の何かだったなら」
「そしてそれが――まだどこかに存在して、先を目指して進み続けているんだとしたラ――」
――っ! 魔王が……誰かの手によって生み出されていたら……?
そして、それをやった魔術師が……魔人の集いに存在したら……っ!
ぼつりとこぼした私のそんな言葉に、ミラは小さく頷いた。
「あの海洋の魔獣は、人為的に発生させられタ。そしてそれは、魔王を生んだのと同じ力が生み出している可能性が高イ」
「断言するだけの根拠はどこにも無いケド、否定する材料も見つかってなイ。そういう前提で考えるべきネ」
それが……前提……
ミラはそこまで語ったところで、一度ふうと息をついた。
それからまた私の手にじゃれつき始めて、でも……楽しそうに笑うことは無くて、なんだか寂しそうな顔で手の甲を舐めていた。
ミラは勇者だ。魔王を倒した、大国ユーザントリアの英雄だ。
そんな彼女が、自らが倒した最大の脅威を相手に、何かが作っているものの、その途上のものだ……と、そんな言葉を口にした。
そんなの、本人が一番つまらないに決まっている。
世界を救う為の戦いだった――筈だった。
大勢を守る為の戦いだった――筈だった。
けれど、それがただの魔獣退治と変わらなかった……なんて言われてしまったら……
「……さてと。それじゃ、そろそろ纏め……サンプテムで報告出来る形にしておきましょうカ」
「まず、どこまで語ってどこまで隠すか……だケド。私としては、海洋の魔獣については共有する、その原因についての思い当たる節も話す、でも……こっちにあるいくつかの切り札については隠す……のが良いと思ってるワ」
「……切り札……ですか? それは……ええと、貴女とユーゴと……」
そうネ。と、ミラは小さく頷いて、そしてこちらをちらりと振り返る。
そうだと言いながらも、それだけではないと言いたげな顔だ。
「戦力としての切り札は、たしかに私とユーゴで間違い無いでしょウ。でも、もっともっと大事なものが――大きな力がこっちにはあるワ。それは情報ヨ」
「私の持ってる知識、それと調べられるもの。そして何より、私と繋がってるって事実ネ」
「私の後ろには――ユーザントリアには、マーリン様がいらっしゃるんだかラ」
「……虎の威を借る狐……いや、ポンコツとじゃれあう犬……」
ふしゃーっ! と、なんだか余計な言葉を挟んだアギトに、ミラはやはり飛び掛かって噛み付いた。
どうしてそう噛まれそうなことばかり……
「……しかしそうですね。大魔導士マーリン……とは、名前と物語に語られる活躍しか知りませんが、ユーザントリアとの友好関係が結べたならば、それは政治的に大きな意味を持つでしょう」
「大国の威光を借りるようではばかられますが……」
「がじがじ……ぺっ。そうネ、そういうメリットもあるでしょウ。でもそれは、短期的なものに過ぎないワ」
「もっともっと長く――解放作戦が全部終わってから、この国がまたひとつに戻るときにこそ、マーリン様の力は輝きを増すものヨ」
解放作戦が終わってから……? それは……ええと、つまり……アンスーリァがまたひとつに戻るとき……の話だろうか。
たしかに、サンプテムでの交渉の話をしているのだから、その点にも意識を持たねばならないが……
「ええと……しかし、いくらなんでも、他国の英雄の力があったからと、サンプテムや他の街がアンスーリァに帰属する……とは思えないのですが……」
「ふふん、それがそうでもないのヨ」
「マーリン様の偉大さは、国ひとつを……ううん、世界ひとつを守る為に尽力なされる、その視野の広さにあるワ」
「あの方のお力を借りられれば――あの方の纏める研究施設の力を借りられれば、さっき話した前提の下で、魔獣について完全に解き明かすことだって可能でしょウ」
それは言い過ぎだろ……と、アギトがまた余計なことを言ったから、せっかく嬉しそうな顔で胸を張っていたミラも、また彼の首に怖い顔で噛み付いてしまった……
しかし……ミラの言葉には魅力があった。
魔獣についての研究をしている施設……か。
ミラの能力を鑑みれば、その師である大魔導士の知識量は計り知れない。
たしかに、そんなところと協力出来たならば、安全確保についてアンスーリァは大きく前進出来ることだろう。
それからしばらく、私はミラと共にサンプテムで語るべき内容について――まだ語らぬべき切り札について相談し合った。
馬車が街に到着する夕暮れの頃まで。




