第三百九十七話【準備の予測】
ランディッチと別れ、私は馬車へと戻った。
そしてすぐ、部隊をサンプテムに向けて出発させるべく号令を出した。
「――そういうわけですので、帰りにはまたこの街へ立ち寄ることになります」
「部隊がずいぶん大きくなりますから、海路は使えないでしょう。軍用の船を準備してあれば話は別でしたが、現在運航しているのは、あくまでも私営の船ばかりですから」
出発した馬車の中で、私は皆に――ユーゴとアギトとミラに、ランディッチと交わした話について説明した。
オクソフォンから部隊を派遣して貰える約束を取り付けたこと、その部隊と帰り道で合流すること。
そして、海で見かけた魔獣についても説明したことを。
「……じゃ、ちょっと急ぎで話を纏めましょうカ。あの水棲魔獣について、私からの所感を」
「はい、お願いします。魔獣の知識については、貴女に勝るものもありませんから」
水の中に魔獣は住み着かない。それが今までの常識――まだ大丈夫だという認識だった。
けれど、それがもう意味を成さないもの……いや、むしろ足を引っ張りかねない知識であると見せ付けられてしまった。
ランディッチには、ひとまずそれがあることだけを伝えた。
まだ何も分かっていないから――これから調べたとて分かるのかも分からないから。
それでも、脅威があり得るのだとだけ。
だが……これから向かうサンプテムの街では、そんな曖昧な情報ではいけない、伝える意味が無くなってしまう。
「サンプテムは海に面した街ですから、少しでも多くの情報を――予測を立てて、意義のあるものを持ち込まなければなりません。そうでなければ……」
「こっちの価値を低く見積もられかねないワ。もっとも、最初から全部話しちゃうって時点でさして強い武器にはならないでしょうケド。ま、出し惜しむようなものでもないし、良いんだけどネ」
私とミラのやり取りに、アギトは首を傾げて困った顔をしていた。
そんな彼を見て、ユーゴは少し呆れた顔になって……けれど、それを自分から語ることはしなかった。すべきではないと判断したのだろう。
「バカアギト、もうちょっと利口になりなさイ」
「私達は……ううん、フィリアは、これから交渉に向かうのヨ。現在のアンスーリァの経済圏に加わっていない街――実質的な国外の街に、見返りに国土を提供するから、力を貸して欲しい……ってネ」
この時点で力関係はこちらが下、交渉と言っても基本的には向こうの言いなりになるしかないというのが実情なのだ。
オクソフォンとだって本来ならばそうだった筈だ。
だが、ランディッチが私の思想に賛同してくれて、ほぼ対等な関係を結ぶことが許された。
最終防衛線を引いたのが自分だから、父との縁があったから、なんて理由もあっただろう。だが……
サンプテムを治める指導者にはそんなものは無い。
よしんばあったとしても、それを理由に自らの利益を放棄するとも思えない。
誰しもがランディッチのようには振る舞わないと、そういう前提でいなければいくらなんでも組織の長とは呼べないだろう。
「今のアンスーリァには政治的な強みがありません。少なくとも、広さ以外には」
「王政があること――歴史があることは、この事態においてまったく価値を持ちませんから」
もちろん、単純な人口やそれに伴う武力差についてはこちらに分があるだろう。
だが、それに意味は無いのだ。
私達は侵略戦争をするのではなく、戦う力を貸して貰う為の交渉へ向かうのだから。
「……交渉を有利にする為に、ちょっとでもこっちを格上に見て貰う為に、魔獣の情報を売る……のか」
「交渉を不利にしない為に……が正解だけど、まあそんなとこネ。早い話が、舐められない為の準備ヨ」
それはいくらなんでも乱暴に纏め過ぎではないだろうか……?
しかし、まあ……そうだな。下に見られ過ぎないように、こちらにもいくつかの優位性があるのだと主張するのが目的で間違いない。
たとえそれを虚勢と見抜かれたとしても平気なほどの看板を準備するのだ。
「あの魔獣について、サンプテムが認知しているとは思えません。いえ、もしも認知していたならば、なおのこと事情はこちらへ優位に傾くでしょう」
「どうしようもない脅威を排除した、するだけの力がこちらにはあるとなれば、あちらも頼りにせざるを得ないでしょうから」
直接的ではなくとも、武力が牽制として機能することはある。
そしてその武力というものが、私達アンスーリァにとって最大の優位点だ。
ここを押し売らねば……こほん。アピールせねば、他に何を売りに出来ようものか。
「……なるほど。なんと言うか……やっぱりお前って微妙にずる賢いよな。勇者って肩書にこだわる割に、まあまあセコイと言うか……」
「誰がセコイのヨ! この大バカアギト――っ! ふしゃーっ!」
どうしてそう噛まれることが分かっているようなことを言ってしまうのだろう……
しかし、またなんとも耳の痛い言葉を使ってくれるものだ、アギトも。
「……たしかに、小狡いと言われればその通りでしょう。ユーザントリアほどの強国であれば、このような準備など不要なのでしょうが……」
「がぶがぶ……ぺっ。フィリア、こんなバカの言うことをいちいち気にする必要は無いワ。政治に搦め手は付き物、誰だって避けられないわヨ」
「マーリン様だって根回しや配慮にはかなり気を配ってらしたんだもノ」
根本的に何も見えてないから間抜けなことが言えるのヨ。と、ミラは大層ご立腹な様子でアギトを踏ん付けたり蹴飛ばしたりして、頬を膨らせたまま私の膝へと登って来た。
しかし、その……まあ、なんと言うか。
ある意味で、もっとも世論に近いのがアギトの言葉……だと思えば、それもそれで大切な指標なので、あまりぞんざいに扱うべきでもないように思うのですけどね……
「こほん。それで、ミラからはあの魔獣がどう見えたでしょうか。と言っても、貴女は部屋にいたので直接目にしてはいない……のですよね? あの、そこのところはどうなのでしょうか」
「ユーゴにやらせることが……戦う力を取り戻している確認が目的だった……だけならば、どこかで見ていたとしても不思議はありませんが……」
「見てはないワ。でも、なんとなく音とニオイと空気で理解はしてるつもりヨ」
「アレは一応、魚類じゃなかったわネ。そして……多分だケド、まだ若い個体だったでしょウ」
若い個体……? そんなことも分かるのか……という驚きと共に、あの大きさでまだ未熟な個体だった可能性があることに驚いてしまう。
だって、陸にいる魔獣よりもずっと大きくて……
「すでに成体の獣が魔獣に変質する場合、個体が大きければ大きいほど取り込む魔力も多くないといけないワ」
「でも、だとしたら、海中には魔力に侵されたエサが豊富に揃ってないといけないデショ?」
「それなのに、これまでに海で魔獣の姿は……魔魚とでも呼ばれるべき存在は確認されていない。としたら……」
あれは幼体の時点で魔力に侵されて変質したもの、あるいは変質した個体が海中に適応したものでしょうネ。と、ミラはそう言って、どことなく悔しそうな顔で私の手を捕まえて甘噛みを始めた。
その……何かを噛んでいると落ち着くのでしょうか……?
「厄介なのは後者ネ。陸上の生物が水中に適応するなんて、とてもじゃないけど普通はあり得ないワ。少なくとも、個体の規模で起こる変化じゃない」
「長い年月を掛けて、種の中に突然変異として現れる……ことも、本来なら考えられないことでしょウ」
「……ではつまり、その場合は…………魔力による影響、変質が早くなっている……と? しかし……」
しかしながら、魔獣を生んでいる――発生の元凶となっている魔王は倒されたのだ。
たった今私の膝の上で手にじゃれついているミラの手によって。
その……すみません。本当にそんな存在を倒したのか疑わしくなってしまうほど愛らしくて子供らしい姿をしていますね、貴女は……ではなくて。
「……じゃあ、魔王じゃなかったんでしょうネ。今更なことをひっくり返すことになるケド、そう考えるのが自然でしょウ」
「魔獣を造っていたのは魔王の魔力じゃなかった、他のものだった……ってネ」
「魔王以外の……っ! そう……そうです。あの魔女は、自らの手で魔獣を造っているかのような言葉を……」
っ! ミラは私の手にじゃれついたまま、真剣な顔でそんな話をしてくれた。
そんな言葉を聞かされては、もうその姿に和んでいる余裕すら無い。
そう、そうだ。魔獣を造ることの出来る存在を、私達は知っているではないか。
「もっとも、本当に魔女が造ってるのかは分かんないワ。私の推測だと……」
「……魔女ではなくて……ですか。では、やはりあのゴートマンが……いえ、あるいは他の魔人が……」
まだそこは断言出来ないケド。と、ミラはそう前置きした上で、ひとつの可能性を――現在彼女の中でもっとも大きな可能性、そして最悪のシナリオを語り始める。
あの海洋の魔獣は、なんらかの意図によって準備されたものだ。
そしてそれは、あの無貌の魔女に与する存在である可能性が高い。
かつて、チエスコでその一端を――可能性を垣間見ている。
まだそれは不完全なものだったが、トカゲの子に魔術的な施しを――魔術的な要素を埋め込む施術を確認した。
それに、魔女が魔獣を呼ぶ番号。
それらと先の魔獣との間に関係があるとすれば……私達が向かう先には、無限にも等しい――進化を繰り返し続ける魔獣の巣が待っているに等しいのだろう。




