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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第三章【たとえすべてを失っても】
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第三百八十九話【かの国のかの英雄】



 目的を定め、式を準備し、魔力を練って、そして術を発動する。

 クレッセンは錬金術の発動において欠かせないそれらの作業を、ひとつとして省略することなく実演してくれた。


 海の水を汲み上げ、その水を吸った泥を掻き集め、それらをひとまとめにガラス容器へと移す。


 目的は飲み水の確保。海水から塩分を除去すること。

 その為の式を――言霊ではなく、陣を準備し、その軌道に必要な魔力を体内で練り上げる。


 そしてすべての要素が埋められれば、自ずと術は発動し――


「――これで水と塩の分離が完了したんだ。でも、まだこのままじゃ飲めないけどな」

「取り除けたのは塩だけで、細菌なんかは残ってる。飲むと腹壊すぞ」


 ガラス容器の中の濁った水と泥は、その境界をはっきりと視認出来るほど完全に分離した。

 泥を含んでいた水からは濁りが消え失せ、そして……きっと泥の中には塩分が取り込まれているようだ。

 揺らさぬように水を抜き出して、その後に残った泥を乾かせば、調味料としての塩も確保出来るだろう。


「……なんか、理科の実験っぽかったな。途中に意味分かんない工程が挟まったけど」


「実験……か。そうだな、それで正しく認識出来てるよ」

「魔術も錬金術も、最奥へ至る途中の実験に過ぎない。ミラ=ハークスが行使してる術だって、本人としてはまだ途上のものだって言い張るだろう」


 はたから見ればもう十分に思えてもな。と、クレッセンは困った顔でそう言って、そしてガラス容器の中身を海へと棄てた。


「でも……思ったよりしょぼい……のか? だって、泥を取り除くだけならろ過で良いし、塩を取り除くだけなら蒸留すれば良い。なんか変なことしてる割には普通だった」


「そ、それは言わないでくれよ。俺はミラ=ハークスみたいな特別な術師じゃない。設備も整ってないこんな場所じゃ、初歩的な錬金術を使うのがやっとだ。あんなのを基準に考えるのが間違ってるんだって」


 ユーゴの何気無い疑問に、クレッセンは心底がっかりした表情でうなだれてしまった。

 こうして技術を身に付けている以上、彼も術師の端くれ……というわけか。

 高過ぎる比較物を前には、自尊心が傷付いてしまうのだろう。


「でも、こんなのだって応用次第で生きるすべになるんだぞ?」

「長い遠征に出れば、当然食料や水分の問題は出て来る。その時、空の水筒さえ持っていれば、動物の死骸や木の幹からでも飲み水を確保出来る」

「普通にろ過するんじゃ時間も掛かるし、蒸留には火の準備だって必要だ」


 体内の魔力を用いる代わりに、いくらか道具や条件を選ばずに解決出来る。それが錬金術ってもんだ。と、クレッセンは少しだけ誇らしげに胸を張ってそう言った。


 きっと……いや、実際にそういった経験があるのだろう。

 彼らが軍人である以上、過酷な環境に予期せぬ形で取り残される可能性は十分に考えられるのだし。


「……っと。いろいろやってたら一番のお手本が来たぞ。まあ、まだ寝てるんだろうけどな。おーい、アギト」


 おっと、もうそんなに時間が経ったのか。と、クレッセンが手を振る方へと顔を向ければ、そこにはこちらへ走って来るアギトの姿が……いや。

 ミラを背負って走って来るアギトの姿があった。


「――お――はようございます――っ! すみません! 寝坊しました! 寝坊してました⁈ ギリセーフですか!?」


「おはようございます、アギト。出航には間に合いましたから、大丈夫ですよ」


 アギトはそのまま私達の前まで駆けて来て、急停止したと思えば、少しかがんで両手を広げて……何かしらの意思を示した。

 それは……ええと……間に合ったのポーズ……なのでしょうか……?


「おう、相変わらずのんきな時だけ騒がしいな、お前は」


「お、おはようございます、ヘインスさん。その……いえ、騒がしくした自覚はありますけど、そんな評価を持たれてるのは……」


 不服か? と、アギトに笑って声を掛けたのは、先ほどまで私達と一緒に講座を受けていた……もとい、実験に釘付けになっていたヘインスだった。

 なんと言うか、彼はアギトとはより一層打ち解けている気がするな、他の騎士達よりも。付き合いが長いのだろうか。


「っと、ちょうどいいや。クレッセン、アギトにも色々見て貰えよ」

「こんなんでも巫女様の弟子やってたんだから、知識くらいは多少…………あー……えーっと……? いや、そこんとこは嘘なんだっけか……?」


「え……? え、ええっと……」


 そんなふたりのやり取りに、ふと微妙な間が生まれた。

 それは……いつかミラから聞かされた、信じ難い話に起因するものだった。


 ヘインスや他の騎士達とアギトとは、魔王討伐よりも前から面識がある――筈だった。

 少なくとも、アギトからはそう見えている。

 けれど……それは、現実には残っていないものだ。


 ミラがあの時語ってくれた話は、要約すればそういったものだった。


 アギトは立場を偽った。アギトは経歴を偽った。誰の記憶にも存在しないのだから、そうするしかなかったから。

 だから、彼らの知るアギトと本来のアギトとにはわずかな齟齬がある。それが、皆が聞かされた話。


 アギトは過去を、現在を、そして未来の目的をも偽った。

 すべてを偽って、ミラの記憶を取り戻す戦いに奮迅した。

 それは、私とユーゴだけが聞かされた話。


 ミラが語ったのは、そのふたつの真実――この世界のどこにも残っていない、存在しない真実だと彼女が呼んだものだ。

 そして……それを聞かされた以上、彼らの関係が以前とまったく同じというわけにはいかなくて……


「……ん? あ、いや? 巫女様と嬢ちゃんの魔術をずっと見てたのは変わんないんだよな? って言うか、俺達が思ってるより凄いってだけだよな?」

「じゃあ特に問題無いか。クレッセンに色々教えてやってくれよ」


「うえぇっ⁈ い、いやいや! マーリンさんの弟子ってのは実際嘘で……嘘……まんざら嘘じゃないですけど、魔術とか錬金術とかはまったく教わってないですから!」

「ミラだってそんなの全然教えてくれなかった……くれ……あれ、いや。ちょっと教わったな、なんだっけ」


 五属性がどうとか……と、アギトが頭を抱えてそんなことを口にすると、クレッセンは困った顔で笑ってしまった。

 今更そんなこと言われるまでもない……と、そんな表情にも……おや。


「そーいやもう身体は平気なんだよな? なら、時間あったら稽古付けてやるよ」

「巫女様の弟子、軟弱虚弱な魔術師見習いの子供だってことだから今までは見逃してたが、それが護国の勇者様とあったら話は別だ!」

「仮にも誉れ高い天の勇者だってんなら、そんな弱っちいままなんて俺達は認めねえかんな!」


「え? ど――でぇえっ!? ちょっ、それはいろいろ話が違……だ、誰が軟弱虚弱な子供ですか!」

「俺だって、こう見えてもゲンさんや…………ゲンさん……くらいにしか戦い方は習ってないな。でも! 実戦経験だけはなんか無駄に豊富なんですからね!」

「いや、でも……うーん。ベルベット君と喧嘩しても負けそうと言えば……負けそうと言うか……」


 そこにあったのは、以前と変わらない関係性……に見えた。

 もちろん、そのすべてがまったく同じとは思わない。だが……


 アギトはヘインス達に、これまでと変わった態度を取っていない。

 忘れられているけど、実は昔からの付き合いがあるのだ。と、そんな未練がましい表情は浮かべない。


 もしかしたら、ずっとずっと――忘れられる以前からこうだった……だけかもしれないが。


 そんな彼を前に、皆も態度を変えたりしなかった。

 言葉自体は……その、特別であることを意識してこそいるものの、何も変わらない関係を続けようと……いや。

 変える必要がそもそも無いだろうと、そう言わんばかりで……


「ってか、あんな話なんだって今まで隠してやがったんだ。さっさと言ってくれりゃ……言われて……うーん」

「いや、よくよく考えたら、巫女様に言われても信じねえわ、俺達誰も」

「嬢ちゃんに言われたら……まあ……多少は信じてみようかとも思ったかもしれねえが、結局は子供の妄言だって流しちまっただろうし……」


「そ、そこはマーリンさんの方を信じてあげてくださいよ……仮にも元上司なんですから……」


 変わらなくても良いのならば、変えなくとも良いのならば、自分の知らない過去にも踏み込んでみよう。と、彼らはそう思って、考えているのだろうか。

 それは……とても恐れ知らずと言うか、勇気のいることだと思うのだがな。


 しかし、彼らはそうした。それだけの絆がアギトとの間にある証拠なのだ、きっと。

 それだけアギトという人物が信頼されている――人柄、誠実さや真摯さなど、彼の振る舞いに疑うべきところが無いと思われているのだろうな。


「むにゃ……ふわぁ。ん……すん……臭イ。バカアギト、アンタちょっと生臭いわヨ……むにゃ……」


「おい、寝ぼけてひどいこと言うのやめろ。生臭いのは海が近いからですー、お前が散々文句言ってたお魚さんのニオイですー」

「こら、起きたなら降りろ。二度寝するんじゃない。臭いって言いながら寝るんじゃないの」


 もしかしたら、ミラの態度――アギトへの接し方も関係しているのかもしれないが、そこはもう彼自身の人格に含んでしまって良いだろう。

 これだけずっと一緒にいて、一緒に評価されているのだから。


 友軍部隊は少しだけ……ほんの少しだけ、以前よりも結束力を高めた気がする。

 以前から高かったそれが、より強固になった。

 そんな確信を得ながら、私達は出航の時間を迎えた。

 船に乗り込む際、アギトが任された荷物が普段より多かったのは……そういうことなのかな。

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