第三百八十三話【山を越え、野を越え、次に越えるは……】
 
長い遠征が終わり、私達はランデルへと帰って来た。
それから四日、パールの宣告通り、私は宮から一歩も出ることが出来ず……出る暇も無く、外部との接触を一切絶って、積み上げられた職務と向き合い続けた。
そして、進捗が芳しいと判断されたのだろう。パールは私に外出の許可を……いいや、そうすべきだと提案をした。
今目の前にある問題への対処は継続するが、これから先に訪れるであろう問題への備えも欠かしてはならないから、と。つまり……
「――フィリア! フィリア! んふふ、久しぶりネ」
「数日ぶりですね。相変わらず元気そうで何よりです」
私はまた、アギトとミラのもとを……ユーゴもいる、ユーザントリア友軍宿舎へとやって来ていた。
これから問題を……ダーンフール以北の解放、そして魔女と魔人への対処を相談する為に。
「ユーゴから話は聞いてたケド、ずいぶん大変みたいネ。余所者の私達じゃ手伝ってあげられないのが悔やまれるワ」
宿舎を訪れ、部屋へ入ってすぐに、ミラは私のそばまで駆け寄って来て、いつも通りにぎゅうと抱き締めてくれた。
にこにこと愛らしい笑顔を浮かべて、ぐいぐいと部屋の真ん中へと引っ張り込むように。
けれど、そんな彼女もすぐに表情を変えてしまった。
私の顔をじっと見上げると、悔しそうに歯を食い縛って眉をしかめるのだ。
何か手伝えることが無いかと、私にそれを尋ねたい……いいや。
尋ねるまでもなく、今は自分に出来ることが無いと理解しているから。
「……ふふ。ありがとうございます。その気持ちだけで十分です」
「それに、貴女にはユーゴの指導をお願いしていますから。それ以上に重要な仕事などありませんよ」
「おい。誰が指導なんてされてるんだよ。適当なこと言うな。アホ」
しかし、ミラにはミラにしか出来ない仕事がある。
ユーゴが力を最大限にまで引き出せるように、彼の知らない強さというものを見せるという仕事が。
それは事実だったし、そういうことをしなければならないとはユーゴも認めていた。
けれど……言葉にされたのが不服だったらしくて、ユーゴは私の言葉に噛み付いて、むっとむくれて私の肩を叩いた。
「た、叩かないでください、もう。貴方は本当に素直ではありませんね」
「うるさい。お前が馬鹿正直過ぎるだけだ」
それは否定出来ないかもしれないけれど……
しかし、ユーゴが素直でないことと、同時にその本心が透けて見えることとは矛盾しない。
言葉とは裏腹に、彼はミラに対して……ミラとアギトに対して、小さくない畏敬の念を抱いているようだ。ある種の師事に近いだろうか。
アギトとミラに会うのは帰還の馬車以来だが、ユーゴとはそうではない。
毎日のように顔を合わせるし、時折執務室で手伝いをしてくれている姿も見かける。
言葉を交わすのは食事中のわずかな時間くらいだが、それでも互いの様子はなんとなく理解しているだろう。
私から見る彼の様子は、日々が充実したものになっていて、どこか満足感を覚えている……ように思える。
これと言って根拠も無いが、それなりに長く見ているからなんとなく分かる……分かっている気にはなる。
パールやリリィから頼まれた仕事を断らないのは普段通りだが、その時に少しだけ文句を言うのは……きっと機嫌が良いからだろう。
気分が良いからこそ、普段以上にひねくれた態度を取ってしまうのだ。
「それで、成果はあったのですか? ふたりに教えを請うのは案外久しぶりですし、それに……この遠征の間に、貴方は多くのものごとを経験しましたから。魔具……魔術と向き合って戦ったり、再び魔女の力を目の当たりにしたり」
「……別に、これと言って変わってない。もともと想定内のことばっかだし、今更変わるわけないだろ。そういう力なんだから」
そうですか。と、私が返事をすると、ユーゴはむすっとまた不貞腐れてしまって、ついにはそっぽを向いて怒ってしまった。
私が彼の機嫌をなんとなく察せるように、彼も私の気持ちをなんとなく理解出来てしまうのかな。
本人はこうだが、実情はきっと違う……大きな進化があったのだろう。それはもう何を見るまでもなく想像出来た。
そして、彼の言葉がそれを確信させてくれる。
そういう力なのだ。ユーゴの言葉を借りずとも、そう言う他に無い。
彼の力は、彼の想像の限りに膨れ上がる強さを発揮する。
であれば、二度目の経験であろうとも、それが意味をなさないなどということはあり得ない。
一度見ただけで万事を十全に理解することなど不可能なのだ。
ミラの魔術は、あれだけ何度も目にしているのに、未だに信じられない奇跡のような事象に思えてならない。
魔女の力など、二度も目の前で見せ付けられたにもかかわらず、ひとつとして理解出来る部分が無い。
こういったものを何度も目にすることで、彼の中にある記憶と経験が鮮明になり、想像が確固たるものになる。
そんな前提があるから、なんの進歩も無いなどとは嘘にすらなっていない。
「こっちは順調ヨ。本人は認めたがらないケド、アギトとの戦いが大きい刺激になったんでしょうネ」
「私の勝手、アギトの為だけに招いておいてこう言うのもおこがましいと思う……だけど、事実は事実だもノ」
どうにも不機嫌なユーゴに気を遣って、ミラは私にそう耳打ちした。
さっきまでの悔しそうな顔はもうどこかへしまい込んで、少しだけお姉さんな……ユーゴのことを気に掛ける先達のような、頼もしげな笑みを浮かべていた。
「……そうです。アギトの体調はいかがですか? 貴方はこの先の作戦に欠かせない鍵……なのですよね。その……」
悪い言葉を使うのならば、魔女を倒す為の――ユーゴとミラの攻撃を届かせる為の囮として、彼には重大な役割を担って貰わなければならない。
それが、本人とミラが語った作戦だった。
それをどう伝えるものか、どういう言葉ならば彼を貶めずに済むか。と、悩んで言葉を詰まらせていると、ミラはまたにこにこ笑って私の首元に頭を擦り付け始めた。
それは……心配してくれてありがとう……だろうか。それとも……
「ご心配お掛けしてすみません。でも、もう大丈夫です。体力も戻ってますし、どこも悪いとこはありません」
「ミラがその気になってくれれば……なってさえくれれば……また魔具を作ってくれれば……魔獣退治くらい出来るのに……」
「バカアギト。もうしばらくは何も持たせないし、何もさせないわヨ」
「昔からずっと言われて来たデショ。アンタはビビって腰が引けてるくらいがちょうど良いノ。ちょっといろいろ持たせてやったらすぐに付け上がるんだかラ」
……心配は不要だ。と、やはりそう言いたかったらしい。
アギトは元気になったことをアピールするように、その場で走る真似事をしたり、小さく飛び跳ねたりして笑顔を見せた。
見せて……すぐに落胆の表情を浮かべ、恨めしそうにミラの背中を睨み付ける。
そんな彼に、ミラは視線を向けることもせず、突っぱねるような言葉を口にした。
腰が引けているくらいがちょうど良い……か。
たしかに、これからの役割を思うと、魔具を持ったとてそれが通用するかは怪しいところだしな。
「……となれば、私の方の仕事が片付けば、また遠征に出られそうですね。ならば、早いうちに方針を定めなければなりません」
さて。と、私はミラの頭を一度撫でて、それから気分を切り替えた。
のんびりとした談笑にあまり時間を使い過ぎてもいけない。
早く戻って仕事をしなければ、せっかく認めてくれたパールにも申し訳が立たない。
方針を。と、私がそう口にすれば、ミラは私の膝の上に乗ったまま、アギトに指示を出して地図を広げさせた。
そこに記されていたのは……ヨロク北東、あの魔獣の存在しない林――ミラが魔術結界を発見した、何者かの潜む不明の地だった。
「北に行くなら、ここの調査は欠かせないでしょうネ」
「もっとも……あの時言った通り、ここにはフィリアやユーゴを連れて行くわけにはいかなイ。行くとすれば、私が単独で乗り込むことになるでしょうケド……」
「……魔人ゴートマン……あれだけの実力を持つ魔術師が現れた以上、あの男の工房が隠されている……と、そう考えるのが自然でしょうか。であれば……」
かつてその場所を発見した際に、ミラは言っていた。
あの場所には、自分よりも格上の魔術師が潜んでいるだろう、と。
それに……その場所を調べるに際しては、周りを守りながら進むことが難しくなるだろう……私を連れてはいけないだろう、とも。
そして、ミラをも凌ぐ魔術師というものが、現実として目の前に現れたのだ。
ゴートマンと名乗った、魔女との縁を持つあの男が。
このふたつの事実から、あの場所があの男の拠点である可能性は極めて高い。
そして同時に……あの男を退けるとなれば、ここを調査しないという選択肢が存在しないことも意味する。だが……
「……ミラ。私は先に……ダーンフール以北の調査、解放よりも先んじて、南部の調査と完全解放を進めようと思っています。それについて、少し話を聞いてくださいませんか」
「……? 南から……なるほど、先に力を蓄えようって腹ネ」
急いてはいけない。
もちろん、楽観視するのは問題外だが、しかし根本の解決を急ぎ過ぎても良いことは無い。
これが、しばらく働き詰めで冷静になった私の頭が弾き出した答えだった。
まずは南を解放する。
その理由、目的、手段。そして、想定出来る障害について。
私は考えてきたそれらを説明する為に、ミラを膝の上に抱えたまま、皆に耳を傾けてくれるよう頼んだ。




