第三百八十一話【途中下車、再出発】
 
馬車の修理は驚くほど早く終わって、私達はすぐに再出発出来た。
立ち往生の時間は最低限に、ハルの街へ到着したのは、まだ日の高くなるよりも前――まだマチュシーへと直行出来る猶予を残した頃だった。
「念の為、他の車を借りてきましょウ」
「直したとは言え、所詮は応急処置。戦闘になればもっと派手に壊れるかもしれないし、そうなれば大きな事故にも繋がりかねなイ」
「それに、今度は直せないかもしれないもノ」
「そうですね。では、役場へ行って掛け合ってみます。以前の工事の折に物資を運び込んだ馬車が残されている筈ですから、すんなり借りられるでしょう」
勝手な期待とユーゴに咎められてしまいそうだと、口にしてから思った。
けれど、そのユーゴは私の言葉になんの反応も見せず、むすっとした態度で荷物番をしていた。
どうにも不機嫌と言うか……今朝は普段にも増して不愛想に振る舞うな。
しかし、そのことを気に留めて時間を使っては、なおのこと機嫌を損ねて怒られてしまいかねない。
彼は時間の無駄……徒労もそうだが、何より自分の意図しない時間が発生すること……待たされることが嫌いな節がある。
それを好きな人間がいるわけも……という話ではあるが、彼の場合は得に嫌がっているような気がするから。
私は少しだけ急ぎ足で役場へ向かって、馬車の交換……実質的な拝借を頼んだ。
現在のハルはまだ復興のさなか……工事によって少しずつ盛り上がって来て、人が増え始めている途中だから、あまり良い顔はされないだろう。
そんな覚悟の通りに、けれど目論んだ通りに、ランデルから持ち込んでいた馬車を一台借りることが出来た。
私達が持ち込んだものを返せと言えば、拒むことなど出来るわけも無い。
それも、女王が直接乗り込んで来ているのだから。
「……我ながらあくどい手段を選ぶ機会が増えた気もします。はあ……」
いつか後ろから刺されやしないだろうか……
私の行動原理……いつかユーゴやアギトとミラとも話し合った、それぞれの行動の根本にある動機について、こんな時にまた思いを馳せてしまう。
私の行動原理は、民に殺された父のようにはなりたくない、だった。
民を愛し、民を救おうとして、けれど力及ばず、愛した筈の民に謀反を起こされた。
そんな、どちらにも正義があったが末の悲劇的な結末をなぞることだけは避けたい、と。
そんな思いを、こんな小さなやり取りのさなかに思い出していては……はあ。
いつか大きな決断を――大勢に苦境を強いるような決断をする時、私の精神は果たして日和らずにそれを決められるだろうか……
奇妙な不安と苦い思いを飲み込んで、私は馬車よりもひと足先に皆のもとへと戻った。
当然、手で押して運べるものでなし。話さえ付ければ、私自体には出来る仕事が無いのだ。
「戻りました。予定通り、馬車を一台借りられることになりました」
そこまで時間も掛からないだろうから、すぐに出発出来るだろう。と、私がそう伝えると、アギトもミラも背筋を伸ばして頷いてくれた。
承知致しました、女王陛下。と、そう言って。
「……普段に慣れてしまうと、どうにも……距離を感じてしまいますね」
「申し訳ありませン、陛下。ですが、これも万事を円滑に進める為ですのデ」
フィリア。と、いつもにこにこ笑ってそう呼んでくれるミラが、きりっとした顔で陛下と私を呼ぶ。
それだけで……ほんのわずかにだが、寂しいと思ってしまう。
腑抜けも腑抜け、ユーゴにどれだけ罵倒されるかも分からないが……私はすっかり皆でいることに慣れてしまったようだ。
「出発までの間に、何か準備を……必要な物資の補給をするくらいは出来ますが、何かあるでしょうか?」
「ミラ、貴女の体調、体力、それに諸々の備えについては、現状の部隊の生命線とも呼べるものです。不足があればすぐに準備させますから、気兼ねなく言ってください」
「ありがとうございまス、陛下。ですが、ご心配には及びませン」
「私は元々、単独での潜入や殲滅を、この身ひとつでこなせる存在として育てられましたかラ」
「それに、以前にランデルを出る時点で、可能な限りの準備をしていまス。それは何も、行きの間の分だけではありませんかラ」
問題が発生し、それを解決し、その上で無補給でランデルまで帰還する前提の準備をしてありまス。と、ミラはそう言って胸を張った。
以前にランデルを出る時点で……ということは、つまり北の調査を頼んだ時から……ずいぶんと前に感じられる、ゴートマンとの戦いよりも更に前の時点で、この状況まで備えてあった……と。
軽々しく言ってくれるが、途方も無いことだ。
特別な補給は必要無い。
私達の乗る馬車にも、後方部隊の馬車にも、一日分の食料と水を載せ直して出発する。それだけで問題は起こらないだろう。
それが、ミラからの進言で、私の決定だった。
そして代わりの馬車が到着し、私達はマチュシーへ向けて再出発する。
私の号令と共に蹄が地面を叩く音が響き始め、ゆらゆらと馬車は揺れ始め……
「……んふふ。フィリア」
また馬車の中に私達だけになれば、ミラは普段通りの子供っぽい笑顔で私の膝の上に登って来た。
ミラもミラでこの場所がすっかり気に入ってくれているみたいだし、私もこうしていると気持ちが落ち着く……良い意味で緊張せずに済む。
だから、これは互いにとって有益なこと……だとは思うのですが……
「……アホ。だけど……そういう馬鹿っぽい間抜けな格好が似合うな。フィリアも、チビも」
「……どうしてそんなことを言うのですか、貴方は……」
ユーゴはそんな私達を、冷たい目でじとーっと睨み付ける。
ミラはそれを意に介していない様子だが、私は……これでまた彼から悪い方に信用されてしまうのかと思うと、頭が痛くなってしまいそうだった。
「大体、そんなのんびりしてていいのかよ。おい、チビ。お前の魔術、全部盗られたんだろ。まずいんじゃないのかよ」
「っ。そ、そうでした……ゴートマンはミラの魔術をすべて模倣して……」
頭が痛いと嘆いているところへ、もっともっと……もっとも頭を痛くさせる問題を思い出させないで欲しい……
いえ、この問題を無視し続けるわけにもいかないのですが……
昨日の戦闘で、ゴートマンはミラの魔術を模倣した。
それも、威力や精度、規模に至るまでのすべてを、完全な形で模倣していた……ように見えた。
それが意味するところは……
「……私達はこれから、ミラの魔術と戦わねばならない……のですよね。あの男を退けるまで、ずっと」
「……それがヤバいのくらいは流石に分かるだろ。今度は……俺がなんとかすれば良いとか、適当なこと言ってられない。ちゃんと真面目に考えないと」
ユーゴは真剣な表情で、目を伏せたままそう言った。
ずっと機嫌が悪かったのは、この件について不安があったから……だったのか。
しかし、彼の言葉の通りだ。今度ばかりは楽観視出来ない。
無貌の魔女との戦いについては、あちらの強さを把握出来ていなかったが為に、どこか漠然とした可能性を感じることもあった。
だが……今度は違う。
今度は、身を以って知っている強さを――ミラの魔術そのものを相手にしなければならないのだから。不安の彩度が鮮明なのだ。
「アイツ、魔力が無限だ……とか言ってただろ。それじゃあ、単純に考えてチビをそのまま強くした……ってことだ」
「アギトが回数制限ありで借りてただけでも結構……まあまあ……そこそこ……ちょっとは強かったのに、それがもっと強くなった……それも、チビ本人じゃ勝てないってなると……」
誰が勝てないなんて言ったのヨ。と、ユーゴの言葉を切ったのは、たった今話題に挙がっているミラ本人だった。
不服そうな言葉を、けれどどこか余裕の表情で。私の膝の上で、私の手を抱き締めたまま。
「……自分で言っただろ。格上だって、自分の負けだって。実際、押されっぱなしだったし」
「その後に言ったわよネ。アイツと私とでは決定的な差が――こっちに有利な点がある、っテ。強化魔術については、真似しても使い物にならないのヨ」
アンタも体験したことあるんだから、分かるわよネ。と、ミラはふふんと鼻を鳴らした。
そう言えば……と、思い出したのは、ユーゴが一度、ミラの強化魔術を受けた状態での運動が可能かどうか……高速戦闘を実現出来るかどうかを試していたことだ。
そして……それは成功しなかった。
自分の意思以上の運動を強制されてしまう……つまり、強くなり過ぎた肉体を制御出来なくなる……といった理由だっただろうか。
ともかく、強化魔術については、それなりに訓練を積まなければ使い物にはならないだろう、と。
そして……そうだ。あの時、ゴートマンとのやり取りの中で、たしかにミラはその点を優位性として語っていた。
強化によって近距離戦闘をより優位に運べることを……ではない。
強化を受けられる、鍛え上げられた肉体そのものを。
度を越えた強化によっても破綻しない、高い治癒能力についてを。
彼女は明確な差であると、ゴートマンにそう宣言した。だが……
「……しかし、初めて遭遇したあの時、貴女は最大の強化魔術を用いた上で……」
「……取り逃してるわネ。まあ……アレは本当に想定外だったから……って言い訳もさせて欲しいワ。まさか、式に介入されるとは思ってなかったかラ」
それが出来ると分かってるなら、ちゃんと対策もするわヨ。と、ミラはむすっと頬を膨らませてそう言った。
表情のコロコロ変わる姿は愛らしいが……しかし、それは簡単に対策出来ること……なのだろうか……
「……はあ。安心しなさイ。アレは大した敵じゃないワ」
「ううん、ちょっと違ウ。もっともっとヤバい、どうしようもない敵かと思ってたケド、今回の接触のおかげで警戒に値しないことが分かっタ」
「ユーゴはアレ見て勝手に落ち込んでるみたいだけど、私はむしろ安心してるわヨ」
「落ち込んでない。ちょっとどうするか考えてるだけだ。勝手なこと言うな」
いえ、そこは論点では…………? ふむ? むしろ、安心している……?
ユーゴのちょっとだけひねくれた反応に気を取られそうになったが、しかし私はその前のミラの言葉に疑問を抱いた。
自らが積み上げた強さを模倣され、それとは違うところにまで強みを持つのだと見せつけられて、その上で……安心……とは……
「ま、次の機会があれば証明するわヨ。どうしても答えが知りたかったら、バカアギトにでも聞いてみなさイ」
「もっとも…………そこのバカがちゃんと理解してるのか、前に見た、聞いた、知ったことをちゃんと覚えてるのかは定かじゃないけどネ」
「ッ⁈ な、なんだってお前はお兄ちゃんを馬鹿にすることばっかり言うんだ」
「あ、あれだろ? ゴートマンの……その……えー…………弱点があるんだろ!?」
バカアギト。と、ミラは冷たい目をアギトに向けると、小さくため息をついた。
そして、それで話は終わりだと言わんばかりに、また笑顔を見せて私をぎゅうと抱き締める。
あ、あの……次ではなく、今それを知りたいのですが……
しかし、私がお願いしてもミラは答えてくれなかった。
答えるまでもない、見たらすぐに分かることだかラ。と、そればかりで……あの、その見る機会というものがそもそも不安で不安で仕方が無いので、それを先に解消しておきたいのですが……




