第三百七十九話【真夜中に揃う】
日が昇るまでは眠って休んでいろ。と、ミラはそう言ったが、当の本人が……いつもはよく眠る彼女自身が、一向に眠る気配を見せなかった。
私を抱き締めて、ぐりぐりと頭を擦り付けて、甘えているのか甘やかしているのかは分からないにせよ、これから眠ろうというそぶりにはとても見えなかった。
その理由……原因は、なんとなく分かっていた。
ミラは心配しているのだ。私のことも……だが、それ以上に…………アギトのことを。
「フィリア、寝てても良いわヨ。何かあれば起こすし、起きなかったら担いで移動するかラ」
「おい、バカミラ。寝てて良いって言うなら寝かしてあげなさいよ。お前がべたべたくっ付いてるから寝れないんじゃないのか」
「ほら、こっち来なさい。おいで。お兄ちゃんのとこおいでって」
誰が兄ヨ。と、ミラはなんとも冷たい目をアギトへと向けると、そのまますぐに私の方へと視線を戻した。
心配そうな顔で、寝ても構わないのだと繰り返す。
繰り返すが……それはそれとして、膝の上から降りようとする気配は無い。
「……ふふ。長い間眠っていましたから、夜が明けるまでこのままでも平気ですよ」
「それより、ミラこそ眠ってください。いつからそうしていたのかは分かりませんが、私が起きた時にはもう起きていたのですから、貴女の方が眠って休むべきです」
私がそう言うと、ミラは不思議そうな顔で首を傾げた。
どうしてそこでそんな反応をするのだろう……私は何も変なことを言ったつもりも無いのだが……
「……こうなったらしばらくは寝ませんよ、そいつ。いつも寝てばっかりいるくせに、危ないと思ったら三日くらいは平気で寝ずにいますから」
「み、三日も……? い、いけませんよ、身体に悪いです。ミラ、すぐに休んでください」
首を傾げるばかりのミラに代わって……なのか、私の言葉にはアギトが答えてくれた。
今までにもこういうことがあったのだろう、彼の口ぶりからすれば。しかし……三日か……
「……? こうなったら……とは、その……どういう状態を指している言葉でしょうか。その……」
普段よりも目が真ん丸になってる、いわば興奮状態にあること……を指しているのだろうか。
その……つい先ほど、アギトが起きるよりもわずか前、まるで獲物を捕らえた獣のような格好でいたから……それ……なのだろうか……?
「えっと……その、ゴートマンが現れたじゃないですか。それに、魔獣だって出た。いつまた襲われるかも分かんない状況だと、そいつは寝ません」
「逆に言うと、そいつが寝てたら大体安全ってことなんですけど……」
「…………すみません、すごくすごく気の抜けた発言でした。そう……そうですね。当然の警戒です。私だけが……」
間抜けは私ひとりだけだった……
なるほどと納得するまでもなく、ミラは当たり前の警戒心を持っているだけだったのだな。
ゴートマンとの戦いがあって、それでの興奮がまだ残っている……というのも含め、彼女はまだ戦闘態勢を解除していない。
魔獣にも、魔人にも、はたまた魔女にだって対処する為に、周囲を徹底的に警戒しているのだ。
私にくっ付いているのだって、きっと真っ先に守る為なのだろう。
「……と、そう言えば。アギト、具合はいかがですか。その……ゴートマンの攻撃があって、貴方は……」
また、あの状態になってしまった。と、私が口を滑らせそうになったのを、ミラはぐいぐいと裾を引っ張って咎めた。
それは口にするな、本人に自覚させるな。そんな言葉を目で訴えかけながら。
「……すみません。気絶した……んですよね」
「その……向こうで夜中に目が覚めたから、やっちゃった……って思って」
「はい、その……気を失っていたようで。身体に異常はありませんか?」
「その……ミラがやや乱暴に扱っていたこともありますし、どこか具合が悪かったりは……」
私の問いに……苦し紛れに方向を変えた問いに、アギトは目を丸くして……そして、困った顔でミラの背中を睨んだ。
私にくっ付いたまま、私に顔を向けたままの彼女の背を。
すみません……余計な発言でした……
「……具合は……はい、平気そうです。まだ頭痛いですけど、これは……ミラがなんかやったんですよね、その反応を見るに」
「めっちゃ頭痛いですけど、これはミラがまたなんかバカやったんですよね」
「バカミラがアホなことやったんですよね! 謝れ! こら! お兄ちゃんにごめんなさいしなさい!」
「……うるさいわネ、それだけ元気なら問題無いデショ」
問題無いこと無い! と、アギトは憤慨して声を荒げた。
その……出来れば安静にしていて欲しい。
頭を強く打っているのだし、そうでなくても失神していたのだし、そもそもまだ体力も回復していないのだから……
「……っと、そうでした」
「その、以前の話では、何をされても起きない……切り替わりが起こった後には、こちらで何があっても目を覚ますことは無い……と、そうおっしゃっていましたよね。ええと……その……」
その場合、起きる、あるいは眠る時間はどうなっているのだろう。
こちらで二度目の夜を迎えて眠ると、向こうで朝を迎える……とは聞いていたが、しかしこうして真夜中に目を覚ましたところを見るに……
「えっと……こっちで早めに寝ると、向こうでも早めに起きます」
「なので、今回は真夜中に目が覚めて、慌てて、めっちゃ慌てて、慌ててもどうしようもないやってなって……でも、二日目は晩御飯も食べずに寝て、急いでこっちに戻って来ました。戻って来て……」
戻っても夜中だから、何かあったらもう手遅れになってるってのには、こうして起きてから気付きました。と、アギトはがっくりと肩を落としてそう言った。
その……申し訳ない。
とてもとても不謹慎だし、彼の大変さなどは私からでは到底想像も出来ないが…………聞いている分には、ずいぶんと楽しそうな生活を送っているように感じてしまう……
「ミナに迷惑掛けてないでしょうネ。アンタはいつもいつも、やらかしてからしか気付けないんだかラ」
「うぐ……否定は出来ないけどさ……」
しかし、当の本人はそれを過酷なものだとは思っていない様子だ。
ならば、楽しそうな生活だと私が思ったのは、彼自身がそう感じ取って、そういうものとして語っているから……なのだろう。
「……? あれ? ところで、ユーゴの姿が見えないんですけど……いったいどこへ?」
「……え? あ、あれ……ユーゴ……? そう言えば、彼は私と一緒に馬車の外へ出た筈で……」
いや、その場合はむしろ、私がこうして馬車の中にいることの方が不自然なのだろうが。
しかし、そこはミラが運び込んでくれたから……だと推察出来る。
だが、それなら彼を外へ置いて来る理由も無くて……
「ユーゴならフィリアより先に起きて外に出たワ。ちょっとイラついてたわネ。体調には異常無さそうだったケド」
「外に……そうでしたか。ということは、ミラは私のこともユーゴのことも、こうして馬車の中へ運び込んでくださったのですね。ありがとうございます」
私はそう言って、小さく頭を下げた。
お辞儀をしようにも、ミラが膝の上に座ったままだから。
それでも、出来る限り目一杯の感謝の気持ちを込めて、ありがとうと彼女の背中をさすった。
すると、ミラはちょっとだけ苦い顔を浮かべた。
それの意味を、私は少しだけ遅れて理解する。
どうやら、私達は彼女に運ばれて馬車の中に入ったのではないようだ。となれば……
揺らぎと呼ばれていたアギトの……異変……なのだろう。
能力ではなく、異常事態によって、私達は馬車の中――彼の近くへと吸い寄せられていた、と。
壁も距離も関係無く、すぐ近くに集められていたのだろう。
「おい、チビ。向こうの馬車も……なんだ、みんな起きたのか」
納得も理解も難しいことだ。と、頭を抱えていると、足音も無くユーゴが戻って来た。
横倒しになって閉じなくなってしまった扉から、ゆっくりと。
そして、私をじっと見て……
「……相変わらず間抜けな顔だな、フィリアは」
「っ⁈ い、いきなりなんなのですか……」
ふう。と、ため息をついて、なんだかイライラした様子でそう吐き捨てた。
ミラの言葉を聞いた時からなんとなく察していたが……もしや彼は、ゴートマンを逃がしたこと――あの戦いにおいて、自分が何も出来なかったことに腹を立てているのだろうか。
「……じゃない。フィリアの所為で話が逸れた」
「あっちの馬車も無事だった。みんな無事だったし、あの女も連れてかれてなかった」
「朝になったら出発出来る……かは分かんないけどな。こっちの馬車はぶっ壊されてるし」
私の所為にしないでください……
しかし……そうか。外に出た……とは聞いていたが、どうやら彼は後方の馬車の様子を確認しに行ってくれていたようだ。
ヘインス達の無事と、それから捕らえたゴートマンの安否についてを。
「明るくなったら私とアギトで馬車を直すワ。馬は無事なんだもノ、出発出来るわヨ」
「……直せるのか。お前、なんか……チビなのにいろいろ出来るよな」
誰がチビよ! ふしゃーっ! と、ミラは私の膝の上から勢い良く飛び出して……そして、安静にさせてあげて欲しいアギトに噛み付いた。
どうして……どうして怒りの矛先はいつも彼へと向いてしまうのですか……
そんな光景に、私は少しだけ心を落ち着かせた。
ゴートマンの襲撃があった、その強さを目の当たりにした。
それでも、私達はまたこうして全員無事で生きている。
そのことが嬉しくて、同時に心強かった。




