第三百七十一話【護送】
ダーンフール遠征、魔女との戦い。そして、カストル・アポリアの再訪問。
それらを終えて、ヨロクへ帰ってから三日。私達はランデルへ戻る準備を進めていた。
三日という日数を要したのは、ゴートマンの移送準備に手間が掛ったからだ。
特殊な魔術を使うから、気を払わねばならない相手だから。というのもそうだが、それ以前の問題が立ちはだかった。
ごくごく単純な問題ではあるが、このアンスーリァには根深いもの。
ヨロクの街、砦には、普段から存在する業務以外を追加でこなすだけの人員が足りていない。
「こんなに時間掛かるなら、俺達でやったら良かったのにな。今更言ってもしょうがないけど」
「それは……ううん、難しいでしょうね。もちろん、私から指示を出せば、その通りに動かすことも可能ではあったでしょうが……」
人が足りていないながらも、しかし私やユーゴ、それにアギトにミラと言った友軍の力を借りられない理由も同時に存在する。
それぞれにひとつずつ、合計ふたつの理由が。
私とユーゴが……いや。私がそのことにあまり口を挟めない理由は、特別隊を結成した際に交わした条件にある。
私は固有の武装組織を手にする代わりに、国の武装組織――国軍を、招集、指揮する権利を、一度議会に預けているのだ。
ゴートマンを収容したのはヨロクの砦――国軍の施設。
そうでなくても、犯罪者を捕えて裁くのは国の機関がすることで、王とて個人でそれをすることは許されていない。
となった時に、どうしてもこの場所からでは――宮から離れたままでは、議会に訴えかけることも出来ないから。
私は砦の機能の優先順位に手を加えることが許されなかったのだ。
アギトとミラについてはもっともっと単純で、彼らは国外の人間だからだ。
当然ながら、犯罪者の扱いについてを、外の人間に任せることなど出来はしない。
彼らの誠実さや能力の高さに関わらず、そういうものだから。
その領分に外国を介入させることなど、国として在ってはならない。
そんなわけで、女王からの指示があったにもかかわらず、ゴートマンの移送準備には時間が掛かってしまった。
もっとも、三日という日数はずいぶん頑張った結果だとは思う。
時間も足らず、人も足らず、そして相手は危険極まりない魔人なのだから。
万全を期すなら、十日は掛けて準備するところだ。
「なんにせよ、これでようやくランデルへ戻れます。あとは……」
議会をどう説得するか……いや。パールになんと謝るか……ううん、それも違う。
議会を納得させ、パールにも謝罪した上で、これからどうしていくべきかと考えねばならない。
「アギトとミラの目論見通りであれば、魔女はアギトに対して……アギトのみに対して、非常に強い警戒心を抱いている筈です」
「そして……彼だけはどうあっても殺そうと、対処しようと、自らに及び得る危険材料として、確実に処理しようとするでしょう」
ふたりは言った。魔女という存在を相手に、そもそも五分の条件では勝ちようが無い、と。
怖れを買い、気を散らせ、不必要な警戒を要求し、その上で不意を突く。
そうでもしなければ、勝つという道筋は辿れないだろう、と。
それは……正直、その通りだと――いや、それでもまだ不足しているとさえ思った。
真正面からぶつかった結果、ユーゴは心を折られて敗北してしまっている。
人智などをとうに凌駕した領域に足を踏み入れながらも、彼はその強さに追従し切れなかったのだ。
そして……今のユーゴには、あの時の強さは無い。
あの時の彼と今のミラとでどちらが強いか……という疑問には、とても私では答えが出せないが、しかし大きな差があるとは思えない。
つまり、ミラとてひとりではあの魔女には……
考えれば考えるだけ頭が痛くなる。
答えは出ないままだし、不安は大きくなる一方だ。
こんなことで、本当にあの魔女を倒せるのだろうか。
そして……あのゴートマンに対処出来るのだろうか。
「陛下、馬車の準備が整いましタ。出発しましょう」
最近は何を考えても堂々巡りだな。と、頭を抱えてしまった私のもとに、迎えがやって来た。
と言っても、普段と何も変わりはしない。にこにこと笑顔を浮かべたミラが、外用の言葉遣いで私を呼びに来てくれただけだ。
「……ありがとうございます、ミラ。本来ならば、貴女にはもう少しゆっくり……心を落ち着かせ、万事に準備するだけの余裕を与えてあげるべきなのですが……」
「いえ、ご心配には及びませン。むしろ、身体を動かしていた方が都合が良いくらいですかラ」
ずっとそうしていたから、その方が気分が落ち着くのだ。と、ミラはそんなことを言って、やはりにこにこ笑って私の手を取った。
すぐ外にはヘインスら友軍の皆がいるから、声……言葉だけは取り繕っているものの、部屋の中には私とユーゴしかいないから、見ている分には本当に普段と変わらない、愛らしくて人懐こいミラの姿にしか見えない……いや、その姿しか見せていないのだ。
「なんと言うか……貴女は存外器用ですよね。嘘をつくのは下手なのに……」
「魔術師は手先と口先が命ですかラ」
えへん。と、ミラは胸を張ってそう言うが……手先はまだしも、口先については……その……ううん、どうなのだろうな。あまり誇らしい言葉ではない気もするが……
そんなミラに手を引かれ、私達は部屋を出て馬車へと乗り込んだ。
なんだかんだとこの友軍の馬車にもずいぶんと慣れたものだ。
南へ北へ、思えば広く連れて行って貰ったのだし。
「女王陛下、こちらへどうぞ。荷物は俺……わ、私が持ちますから」
「ご苦労様です、アギト。ですが、このくらいの手荷物ならば、自分で持っていられますよ。それより、貴方は身体を休めてください」
馬車へ乗ってすぐに、私達はアギトに出迎えられた。
しかしながら、この場合は迎えてくれたと言うよりも、ミラに運ばれてここで待機させられていた……と言うのが正確なのかもしれない。
それなりに時間も経ったし、カストル・アポリアとヨロクではしばらく療養に時間をあてられた。
それでも、アギトはまだ顔色も悪いままだし、時折ふらりと倒れそうになる瞬間も見せる。
今だって、座っているのにゆらゆらと揺れていて……
「――ふしゃーっ!」
「――っ⁈ 痛い――っ! いででででで!? な――なんで噛んだ!? なんで噛み付くんだお前は!」
……ミラに噛み付かれて、そのまま地面に組み伏せられてしまった。
これはきっと、横になって安静にしていろ……という指示があった上で、それを彼が無視してしまったのだろう。きっと……多分……
「がじがじ……ぺっ。風通しの良いとこ陣取ってんじゃないわヨ。フィリア、こっち。ここ座って」
「っ⁈ お、お前……お兄ちゃんをなんだと思って……」
優しさから来る厳しい態度……なのだろうと思っていた私を、その優しさを振り撒いている筈のミラが、手を引っ張って窓の近くへと座らせた。
そして……そのまま私の膝の上に収まって、ぐりぐりと喉元へ頭を擦り付けてくる。
ふふ、本当に可愛らしくて……可愛らしいのに、どうしてアギトにはそんなにひどいことを……
「まったく。女王様を差し置いて良い席取ろうだなんて、ずいぶんと偉くなったものネ」
「お、お前……どの口で……」
ぎゅう。と、ミラは私を思いきり抱き締めて、すりすりと頬を寄せてくる。
その……私に気を遣ってくれるのは嬉しいのだが、その……アギトは本当にこんな扱いで良いのだろうか……
「フィリア。バカアギトの心配なら必要無いワ。ふらふらしてるのはもともとそうだし、顔色が悪いのも大体ずっとそうだもノ」
「ま、体力が戻ってないのは本当だかラ、帰ったら二度とこんな無様晒さないように鍛えてやらなくちゃいけないケド」
「き、厳しいのですね……アギトにだけは……」
私にはこんなに優しいのに。
しかし、アギトがそれに反論しない……いや、そこまで不服そうな顔を見せないから、彼女の言っていることはそう大きく外れていない……のかな……?
「……ま、アギトを窓から遠ざけるべきだってのはそうだよな。狙われるとしたら真っ先に殺されるんだろうし」
「っ⁈ こ、怖いこと言うなよ……」
そういう話だっただろ。と、さっきまで静かにしていたユーゴが口を挟んで、そんな彼の言葉にアギトはもっと顔を青くしてしまった。
窓から遠ざける……真っ先に狙われる……ああ、なるほど。
「……なんだか大変な役割を担わせてしまいましたね。その……私の知らないところで画策されていたこととは言え……」
「い、いえいえ! フィリアさんが気にすることじゃないですよ! 俺がやるって言い出したことですし!」
ユーゴの言葉に、また緊張の糸を張り直す……のと同時に、少しだけ胸を撫で下ろした。
やはりミラは、アギトのことを心配していたのだな、と。
その……う、疑ったわけではありませんが……
「……こほん。ユーゴ、ミラ。ランデルへ帰れば安全という保証もありませんが、この帰路には今まで以上に警戒心を高めていてください」
「もしも魔人の集いというものが、正しく人間らしい組織であったなら……」
ユーゴもミラも、それに横になったままのアギトも、私の言葉に黙って頷いてくれた。
私達はゴートマンを移送する。
それはつまり、防御力の高い砦からあの魔術師を連れ出すのだ。
当然、奪還しようと思ったならば、この時を狙わない理由も無いだろう。
そして……情報をしっかりと共有しているのならば、集いはアギトを――魔女をも圧倒したという存在を真っ先に対処しに来るだろう。
今のアギトは、まったくと言って良いほど戦えない。
そんな彼を守りながら、私達はランデルまで帰還しなければならない。
ひとりの戦力として……以上に、魔女を討ち得る唯一の楔として。




