第三百六十九話【主人公】
役場へ戻った私を迎えたのは、まだ少し顔色の優れないアギトと、彼の膝の上で丸くなったままのミラだった。どうやらまだ眠っているようだ。
「すみません……どうにも緊張感の無いやつで……」
「いえ、構いませんよ。それにしても……ふふ」
なんとも和む光景だな。
もしかしたら、ミラもミラでアルバさんやエリーと別れて寂しがっているのかもしれない。
いくら勇者とて、見ての通りまだ幼い子供なのだから。
「ミラがまだ眠っている……となれば、先にアギトから話を伺いましょうか。ある意味では、彼女よりも不思議の多い人物ですから」
「へ……? 俺に……話を聞く……んですか?」
アギトは私の言葉に、目を丸くして驚いていた。
そ、そんなに奇妙なことを言ったつもりも無かったが、どうやらそう捉えられてしまったらしい。
もっとも、彼からすれば、自分よりもミラの方が……あれだけ大掛かりな魔術を多用する彼女の方が、不思議に思えて当然ではあるだろうが……
「ええと、難しい話をするつもりは無くてですね」
「もしもの話です。もしも、貴方が特別な力を……大きな大きな力を手にした時、貴方はそれをどう使おうと考えるでしょうか」
……しかしながら、この問いに限ってはそれも逆となるだろう。
もしもという仮定をしたならば、力というものから遠いアギトの意見にこそ特別性は見出されるし、現実にあった話だとしても、彼に芽生えた力の方がミラのものよりも異質――特別であるという前提に近しいものだと思うから。
「え……えっと……えっと? そ、それってどういう質問なんでしょうか……?」
と、そんな思惑で私は彼に問いかけたのだが、どうやらアギトはその真意を……質問の意味を掴みあぐねているようだ。
そう……だな。当然、こんな問いに、なんの意味、意義があるのだろうかと、不審がられても不思議は無い。
「……その、ユーゴと少しだけ話し合ったのです。魔人の集いとは、いったいなんなのだろうか、と」
「その目的は、理念は、主義は、いったいどこにあるのだろうか、と。そう考えた時……」
まずもって、魔女から力を分け与えられているという部分こそが肝だと思った。
特別な力――人間には過剰なほどの力を手にしてまで果たしたい願望がある。とすれば、それはなんなのか。
あるいは、それだけの力を手にして、果たしてどんな願望を抱くのだろうか、と。私はアギトにそう伝えた。
彼にとっては気分の良い相手ではないと分かっているが、それでもその思想を知らねば向き合うことも出来ないのだし。
「……あ、なるほど。えっと……うーん……じゃあ……」
アギトはしばらく考え込んだのちに、ミラの背中を撫でながら顔を上げた。
もしもじゃないですけど、構いませんか? と、そう前置きをして。
「……俺は、旅の途中にコイツから魔具を貸して貰いました。一回じゃないです、何回も」
「その時……いや、その度に、俺が思ったのはたったひとつだけです」
「ミラを守りたい……守れるようになりたい。かっこいいって思って欲しい、頼りにして欲しい」
「そういう……思い返すと、なんとも情けなくなるくらいわがままなことを考えてました」
「……ミラを……ふふ。そうでしたか。それは……見ての通りと言いますか」
やはり、彼らの間には深い絆があるのだな。
アギトはなんとも愛おしそうにミラの背中や頭を撫でて、まだ眠ったままの彼女はそうされる度に気持ち良さそうに頬をほころばせる。
ずっとずっと、こんな関係で生きて来たのだろうな。
「…………って、まあ……その……これが、俺の個人的な……えーっと……そのですね。多分……フィリアさんが聞きたい話じゃない方の話だったと思います……」
「っ⁈ い、いえ、そういう話で良いのですよ⁈」
い、いったい何を思い詰めたのだろうか。
アギトは大きなため息をつくと、なんだか申し訳無さそうな顔でわけのわからないことを口走り始めた。
「……大きな力を手にした時……って前提なら、俺にはもっと相応しい出来事がある。あって……多分、それを聞かれてるのかな、って。そう思ったんですけど……」
「……っ。その……そうですね。そういう思惑がまったく無かったとは言いません」
「ですが、しかしそれを聞き出したいが為に、貴方の旅の思い出を蔑ろにするつもりも……」
っと。どうやら、アギトも私の考え……私の想像していた大きな力というものが何を指すのかをしっかり理解していたようだ。
その上で、ミラから預かった魔具の話をしてくれた……ということは、その出来事も彼にとっては重大な意味を持っているのだろう。
ならば、それも聞きたかった話のひとつで間違いないが。
「……ごほん。その……俺があの力に自覚を持った時には…………っ。あんまり……気持ちいい感情は抱いてませんでした」
「なんで、どうして、って。なんで俺は誰も守れないのか、って。どうして俺は何も出来ないんだ、って」
「大切な人がいて、守らなくちゃいけなくて、使命もあって、俺だけが知ってる――立ち向かえる問題があって……」
アギトはそれから、言葉を必死に探しながら語ってくれた。
まるで最期の時に後悔を綴っているかのような、苦悶の表情だった。
どうして自分には大切な人を守れないのか。
どうして自分には世界を救う力が無いのか。
何故、自分は請け負った使命を果たせないのか。
何故、自分は足を引っ張るばかりなのか。
なんで――――自分はこんなにも弱い存在なんだろうか――――
「……では、世界を亡ぼすほどの力を手にした時の貴方の行動原理は……」
「……自分を……弱くて情けないばっかりの人間を、まったく別のものに変えてしまいたい……でした」
「自分自身を亡ぼす――それが、一番根っこにあった考えだと思います」
自分自身を……か。
それは……あまりに苛烈で、残酷で、そして……悲しい話だ。
彼は自分を信じられなかった――自分がそれまでに積み上げたものを信じてあげられなかったのだ。
あるいは、信じていたのに、それでも足りないことを突き付けられ、絶望の中で自己を呪うしかない状況に追い込まれてしまった……か。
「……だから、ユーゴには反面教師にして貰いたいんです。俺は……俺のは、全然……かっこいい力じゃなかったから」
「最悪も最悪、一番かっこ悪い、ダサい力だった。信じるのをやめて、全部投げだして」
「子供の癇癪みたいに、声だけはでっかいけど何も出来ない。そういう力でしたから」
だけど。と、アギトは笑顔を見せた。笑顔で、ユーゴの方を見た。
だけど、ユーゴは違う。と、笑いながら……けれど、悔しそうに、羨ましそうに、何かを堪えて彼を見ていた。
「ユーゴの力は主人公の力だ。誰がどう見たって、主役が持ってるべき能力だから」
「そもそもの境遇も、俺よりずっと主人公っぽい。綺麗な女の人に召喚されて、異世界に来て、チート能力も貰って。これで主人公じゃなかったら嘘だ」
……? アギトの言葉は……その……少しだけ理解し難かった。
それはきっと、彼と私との間にあるギャップ……常識の差が大きいからだろう。
だから、私には彼の言葉の真意は、きっと半分も理解出来ていなかった。だが……
それでも、賛同したいと思える言葉はある。
ユーゴの強さは、振る舞いは、在り方は、たしかに物語の主役にこそふさわしいだろう。
ミラが勇者として――英雄譚の主人公として語られるように、ユーゴもいつかはそうなる筈だ。
彼は、希望を振り撒く物語の主役になるだろうと、私だってそう思う。
「だから、ユーゴ。こんな風にはなっちゃダメだぞ……って、言わなくてもならなさそうだけどさ。俺より頭良いし、ちゃんと考えてるし」
「当たり前だろ。誰がお前みたいなダメ人間になるか」
な、なんてひどいことを言うのですか……
自分の過去を……つらい過去を語ってくれたアギトに対して。
アギトはそんなユーゴの言葉に、顔を真っ青にしてうなだれてしまった。
けれど……私が慌てるよりも前に、また笑って顔を上げる。
さっきまでの何かを堪えた笑顔ではなくて、困っているけど、本心から楽しそうな笑顔を。
「ダメ人間はやめてね……本気で泣いちゃうから……」
「でも、そこを即答されると嫌でも信頼出来るよ。そういうとこ、やっぱりミラと似てるんだよな」
「となると……うん。主人公属性で間違いないだろ」
「……そんなチビと似てるとか、これっぽっちも嬉しくないんだけど」
こら、ユーゴ。と、私が叱るよりも前に、誰がチビよ。と、憤慨するミラの声が聞こえた。
聞こえたが……どうやら寝ぼけているらしくて、まだ目も開けずに……眠ったままでも、アギトの手を噛み始めた。その執念はなんなのですか……
「……っと、そうだ。そもそもは魔人の集いの思惑の話……でした。だったら……一応、俺が知ってるゴートマンの話も伝えた方が良いですよね」
「っ! ぜひお願いします」
わざわざたとえ話などしなくても、魔人の集いそのものの行動原理に繋がるものがあったのか。
なんとも……いや、これは私の尋ね方が問題だったのだろう。
まさか、それを知っているなどとは思わなかったから……
そして、アギトは魔人の集いの……ユーザントリアに存在したゴートマンの話をしてくれた。
ひとりは、魔術師への憎しみを。
ひとりは、守りたいものへの愛情を。
それらを動機にしていたように思える、と。
どちらも納得の行くものではあるが……しかし、それで組織の理念とどう繋がるかまでは……




